この世界の習慣
料理の下ごしらえをしている時、レギンがやってきて、イーダさんの家族がやってくると言うのだ。あまりの大人数で、バルロブさんをはじめ、ロリさん、エーミルさん、ラーシュさんの4人は南の家で食事をしてもらうことになってしまった。
いや、もう凄いですよ。レギン、アーベル、アッフたち、村長さんの家族だけでも10人、バルロブさんたちを入れて14人もの食事を作るのでも大変だたのに、イーダさんの家族が加わると、20人分の料理を作らなければならなくなった。
申し訳なさそうな顔で、イーダさんの家族の参加を告げたレギン。きっと、無理だと言えば、レギンは断ってくれるのだろう。でも、いままでさんざんお世話になっているのだ、レギンの顔を潰すのは申し訳ない。もう、ついでだから、エッバお婆さんも招待しようと言うことになった。あの謎の男を見張っている人にも料理を運んであげるつもりだ。これで、合計23人の食事を作ることになったのだ。
「おーい、みんな〜! ちょっとその仕事の手を休めて、川で魚なんかを捕ってきてくれない?」
外に出て、東側の水路で作業をしていたアーベルとアッフに声をかける。仕事の追加をしてしまって、申し訳ないと思っていたのだが、こちらの反応は私の予想に反して、歓喜に沸き返った。
「よっしゃー!」
「何をどれくらい?」
「ビアンを15匹くらい、アルメハとかクレフタはこの鍋いっぱいくらい!」
「そんなに?」
「なんか、ブロルの家族も食べにくるんだって」
「あぁ……父さんか……」
「えっ?」
「いや……父さんは無類の美味いもの好きで、俺がエルナの料理を褒めたもんだから、食べてみたいって五月蝿くって……」
「そうなんだ。でも、私はブロルのお父さんには会ったことはないから楽しみ」
「五月蝿いだけだって」
「あっ、それからエッバさんも招待したいから、行くついでに声をかけてきてね。お婆さんの所にいる人の夕飯は、あとで持って行くからって伝言をお願い」
「うん」
あっ、ニルスの表情が少し柔らかくなった。ここ数回の会話で、ニルスの表情を崩させるには、エッバお婆さんに親切にすると、こうやって表情を崩してくれる。もの凄いお婆ちゃん子なのだ。
「とにかく、夕飯がかかっているので、1時間以内にできるだけとってきてちょうだい」
「よーし、行くぞ!」
ダニエルの元気な号令で、4人はバタバタと駆け出して行った。
「エルナ、大丈夫なのそんな人数の料理……」
「アーベル、大丈夫だよ。バルロブさんやエーミルさんは料理人なんだから、ばんばん手伝ってくれているし、ロリさんは、どんどんパンを焼いてくれているよ」
「ああ、そうか……でも、道具小屋にしまってある机を出さないといけないなぁ〜」
「椅子とか足りる?」
「ええ〜っと、何人来るのかな?」
「イーダさんところから6人、村長さんのところから4人……ああ! 1人は乳幼児だった」
「ブロルの弟だって、まだ3つだからそんなに食べれないと思うんだ」
「そうなの?」
「でも、多く作るのは別にいいんだよ。人を招待した時には、腹一杯食べさせないといけないからね」
「そうなの?」
「お客さんに少しでも空腹な思いをさせるのは、とても失礼で恥ずかしいことなんだよ」
「そうなの? じゃぁ、パンが足りないとか、サラダが足りないとか無いように、それぞれを多めに作っておくの?」
「そうだね、余ったら明日食べてもいいし、お土産にお客さんにあげることもあるよ」
「そっ……そんな習慣なんだね」
「じゃぁ、アッフたちが帰ってくる前に、他の仕事を片付けておこうかな」
「今日は、プリンを作っているから、がんばってね」
「おー!」
これは参った。料理は単純に人数分を用意すればいいわけではないらしい。これは、それぞれをの量を増やすよりは、何か1品を増やしたほうがいいのではなかろうか? そうだ、バルロブさんに聞きに行こう!
8つ目の鐘の間際になって、村長さんの一家がやってきた。
奥さんのアーダさんとは初お目見えなのだが、どこかで会ったことがあるような気がしていた。挨拶を済ませると、スサンの件でお礼を言われた。どうやら、最近では夜泣きも食の細さも気にならなくなったそうだ。夜泣きは少なくなっているけど、食が細いのは変わらないのだから、こちらが慣れるほかは対処の術が無い。
奥さんは、穏やかそうに見えるが、芯が強そうな女性だった。なるほど、ダニエルが怒られることにビクリとしたはずだと納得した。
そーそー、村長さんが牛肉の固まりを持ってきてくれた。たぶん3キロはありそうな量である。アーベルはお礼を言って、受け取っていたが、今日、豚肉を大量に購入したばかりなので、こんなにいいのに……と思ったのだが、顔に出ていたようで、アーベルが説明してくれた。
それによると、晩餐に招待されたら、それに見合う食材を持って来るのが礼儀らしいのだ。まぁ、私の世界でもこれに似たことはあるが、食材とは珍しい。料理を持ち寄るというのがあるけど……、でも、それではダメらしいのだ。料理はその家の味で統一しないといけないので、他の家の味を持ち込むのは、反対に失礼にあたるらしい。例外があるとすれば、それは誕生月のように、いろいろな人が出入りする宴の時は、みんなが料理を持ち寄るらしいのだ。
そんな訳で、イーダさんのところからも、3人がかりでいろいろな野菜を持って来てくれた。
「本当は、肉にしようかと思ったんだけどね、兄さんのところと同じだと、扱いに困るだろうと思ってね」
「ありがとうございます」
「お礼なんかいいよ、こんな大人数で押し掛けてごめんよ」
「いいえ、楽しみにしてました」
「やぁ、君がエルナちゃんだね」
イーダさんを押しのけて、私の前に現れたのは、とても背の高い男の人だった。ひょろひょろっとした感じだ。すぐにブロルのお父さんだと解ったのは、顔がそっくりだからだ。そして、次に挨拶をしてくれたのは、やはり、ブロルそっくりな少年だった。このブロルそっくりさんは、兄のハッセであると自己紹介してくれた。ブロル→ハッセ→ブロルのお父さんクヌートさんという、ブロルの変成を見ることができた。すごいな、このハンサム遺伝子。
「やぁ、俺はブロルの兄のハッセだ、よろしく」
「もう、楽しみで楽しみで、是非ともうちの嫁に欲しいくらいだよ」
「ええ〜!」
まだ食べてもいない料理のために、私は嫁に行かなければいけないのかぁ?
「ごめんよ、エルナちゃん。オヤジは美味いメシに目がなくってね」
呆れた顔でハッセが謝罪をする。クヌート叔父さんの目は、ここにいるどこ子よりもキラキラさせている。
「ほれ、デニス、ちゃんと挨拶をしなさい」
「……」
イーダさんによって前に押し出されたのは、イーダさんそっくりの男の子だった。指を咥えて、上目遣いで警戒している。ああ、この世界に来て初めて見下ろしている、私。
「僕……デニス……」
「私は、エルナです」
どうしよう、すごく可愛い! 茶色の髪に、くりっとした緑の瞳。
もじもじしているのも、指をくわえているのも、上目遣いも、幼児体型のところもまるまる可愛いです。
もじもじしているデニスくんは、急にイーダさんのスカートを引っ張った。何をするのかと思っていたら、イーダさんはいつのまに持っていたのだろうか、じゃがいもを1つデニスに渡したのだ。
え〜っと、何でしょうか。子供が生のジャガイモを催促するって……。そんな不思議な光景を見ていると、デニスくんはイーダさんから受け取ったじゃがいもを私に差し出したのだ。
「エルナ、ちっちゃい子供はね、晩餐に招待されたら、自分の好きなものを渡すのが習わしなんだよ」
「ちっちゃい子だけ?」
「昔はね、この村を作るのに大人たちは忙しくって、自分の子供の面倒をお年寄りにみてもらっていたんだって、だから、親は食材を子供にもたせていたのが、いつの間にかそんな習慣になって残っているんだよ」
「おお! デニスくんはポテトが好きなの?」
「うん」
コクリと頷く姿も可愛すぎる。
私は、床に膝を付いて、手を付いてしまった。可愛らしい光線にやられて、力が抜けてしまったのだ。
「えっ、エルナ大丈夫!」
「エルナ?」
レギンとアーベルが慌てた声を出し、レギンが私を起こそうとした。
「ご、ごめん……可愛すぎて、力が抜けちゃって……」
「はぁ?」
アーベルの素っ頓狂な声で、自分のしていることが、どんな風に思われているか解ったよ。でも、可愛いのだ。力くらい抜けるだろうよ!
「何してるんだよ、びっくるするじゃないか」
「アーベルには解んないよ、こんな可愛い子が、ポテトを差し出して……可愛いすぎる……」
「はいはい、ほら、ちゃんと立って」
呆れたアーベルに、抱き起こされた。
「子供って、いくつまでの子なの? 私もその対象?」
「3歳になる誕生日に、命名の儀があるんだ。それが済むまでは、招待されたり遊びに行く家には、自分の好きな野菜とか果物を持って行くんだよ」
この『命名の儀』というヤツは、子供は生まれて1年たって、誕生の祝いをして、そして3歳になる日に、親族が呼ばれた宴で、父親に抱かれて神に感謝を述べて、正式な名前をつけてもらうらしい。今は、生まれたらすぐに子供の名前がつけられ、その名前が『命名の儀』で正式な名前になるという。だから、3歳になるまで子供の戸籍は無いそうなのだ。
まぁ、日本も昔は「7歳までは神のうち」と言われていた。それだけ、子供の死亡が多かったのだと思う。だから、この『命名の儀』も、子供の死亡が多い世界の習慣なのだと思う。
ちょっと凹むよ。こんな可愛らしい子の生存率が低いのは……。
「ありがとう、デニスくんも沢山食べていってね」
「うん」
「……可愛い〜」
「あはは、デニスよかったね、エルナちゃんに気に入ってもらえて」
3歳児でも遠慮のない勢いで、頭を撫でられているデニスくんは、いやがる素振りもない。場慣れていやがる……。結構、丈夫に育っているね。
「あれ、そう言えば、エッバお婆さんは?」
「ニルスが呼びに行っているから、もうすぐ来るんじゃないかな?」
「じゃぁ、私はみんなにハーブティーを入れるね」
「ああ、そんなの私らがするからいいよ」
イーダさんは、ブレンダを呼んでハーブティーを入れる準備をしてくれた。
私は、バルロブさんとエーミルに、先に南の家で4人で食事をしてもらう為に送り出した。この時になって、私はラーシェさんのことを思い出したのだ。
「バ、バルロブさん、そう言えばラーシェさんのことどうしました?」
「部屋にいましたよ」
「ど、どうしますか? 私、忙しくてすっかり忘れてしまって……」
「まぁ、私にお任せください」
「い、いいんですか? どうなっても責任は持ちますけど……」
「大丈夫ですよ。彼のような方は何人も知っておりますから」
「じゃぁ……お願いしてもいいですか?」
「はい、大丈夫ですよ」
何人もあんな態度をするヤツを知っているって……料理人の世界ではテンプレ?
<エルナ 心のメモ>
・お客さんに少しでも空腹な思いをさせるのはとても失礼で恥ずかしいこと……らしい
・お呼ばれで、料理を持ち込むのはダメ。料理はその家の味で統一しないといけないので、他の家の味を持ち込むのは失礼になる
・クヌート&イーダさん一家の末っ子デニスは、力が抜けるくらい可愛い
・デニスくんはポテトが好き
・お招きされた家には、食材を渡す習慣は、「命名の儀」を終えるまでは、好きなものを持って行くのが慣習になっている
・命名の儀とは、3歳になった子供に名前をつける儀式で、3歳になると領地の戸籍に載る