エルナ先生の料理教室
ブロルが家から出て行くと、私は早速仕事にとりかかった。もう、お昼の準備をしなければならないのだ。
ブロルの質問には「おほほほ、女の人に年齢を聞いちゃいけません」と、恍けておいた。
「バルロブさ〜ん」
「どうなされました?」
私たちが話し合っている間、バルロブさんは食糧庫で整理をしていた。新たにバルロブさんの棚を作り、作りはじめた酵母菌を並べたりしていた。
「バルロブさんの知っている料理で、小麦粉を水と卵で練って、紐状にする料理ありますか?」
「紐状ですか?」
「ないですか?」
「小麦粉と水と卵で作るものは、ラザーニャがございます」
「おお、それを作ってくれますか?」
「ええ、何人分をお作りいたしますか?」
「10人でお願いします」
「承知いたしました」
バルロブさんを手伝って、小麦粉と卵と水を用意した。この世界には、パスタは無いようだが、なぜかラザニアがあった。ラザニアを細長く切ればいいだけなのに……。でも、パスタの生地を作ることができるなら、料理が凄く増える。
バルブロさんは、10人前のパスタを手際よく捏ねて行く。今気がついたのだが、バルロブさんは、手がとても大きい。今の私のサイズからみれば、本当にうらやましい……思わず自分の手をじっと見る……。
バルロブさんがパスタの生地を作っている間、別にじっと見ていたわけでなく、その横で、この前、村の共有林から採って来たリンゴをどんどん切り分けていった。皮はそのままで、芯をとって三日月に切って、それをさらに薄切りにした。
「エルナ様は何を作るのですか?」
「リンゴのジャムと、リンゴのジュースです」
「ジュースとは何ですか?」
「果物で作り、アルコールが入ってない飲み物です」
「それは、どのような時に飲まれるのですか?」
「いつでもいいんです。でも、果物をしぼっただけのジュースは、朝が一番いいですね」
「朝ですか……」
「栄養の話しを前にしましたよね」
私はバルロブさんに、簡単な栄養の話しを病気を例にいろいろと話した。勿論、ビタミンとか炭水化物なんか言っても通じないだろうし。せいぜい、風邪をひいたときは、酸っぱい系統の果物をとると、治りが早いとか……。
「エルナ様、生地は出来上がりました」
「では、少し生地を休ませましょう」
「休める……ですか?」
「はい、パンもそうですが、小麦粉で練るものは、寝かせるとより柔らかくなりますよ。ああ、濡れた布を掛けておいてください」
バルロブさんは、元王宮料理人のうえにずーっと年上なので、対応に困ることがあるが、おしゃべりしながら、料理を作るのは楽しいし。
「そう言えば、カプロンの料理はいかがいたしましょうか?」
「夜にカプロンのプリンを作りたいなぁ〜」
「ぷりんですか? それは先ほど子供たちも口にしていたようですが……」
「牛乳と卵で作れるお菓子です」
「菓子ですか……それにカプロンを使われるのですね」
「はい、他の料理は明日にしますよ、今日は思わぬ食材が手に入ったし」
「魚はいかようにされますか?」
「小麦粉をまぶして、バターで焼きます」
「おお、それは王家でのみで作られているムニエルというものです」
「そーそー、ムニエルです」
「では、今日は私が1品をお作りすることができますね」
「ええ〜、バルロブさんがいなかったら、私一人じゃ無理ですよ。スープも手伝ってください!」
「ええ、勿論」
可笑しそうにくすくす笑うバルロブさんは、おしゃべりしていても、手は休めないのだ。今も、いつのまにかリンゴを切るのを手伝ってくれている。
最近は、酵母菌やジャムや保存食を作ることが多く、朝から鍋を1つ、消毒用に沸騰させている。リンゴで稀釈するジュースを作り、鍋に砂糖で煮詰めてジャムを作る。ジャムができる間に、パスタ生地を四角く伸ばしてもらい、それを3センチくらいの四角をいくつも作ってもらった。
「こんなに小さくしてよろしいのですか?」
「これは、ラビオリと言って、こうやって、チーズを真ん中に置いて、半分にした三角形にします。そして、フォークでつなぎ目に押し付けます」
「これは……」
「すべてチーズを入れて茹でます。食べるときには、トーマートソースを掛けて食べるんです」
「おお!」
「チーズの他に、ひき肉とみじん切りのオニオンを炒めて、それを中に入れてもいいです。キノコとキャベツをみじん切りにして、ホワイトソースで食べてもいいです」
「おお!」
「中に何を入れるのか、どんなソースを掛けるのかの組み合わせで、いろいろとできますよ」
「おお!」
「それと、こうやって三角ではなく、二枚を重ねると、形も変わるし、切る時にもっと小さく切れば見た目だけでも変えることができ、献立も増えます」
「す、素晴らしいです!」
「それと、この生地を何枚かに折って、細長く切り、それを茹でてソースを掛けるだけでも美味しいです」
「こ、これは……パンに変わる食材になるのでは?」
「うん、そうですね」
バルロブさんは、ラビオリの生地を放り出して、アーベルが持っているものよりも大きなメモ帳を持ち出して、いろいろメモをしはじめてしまった。私は必死こいて、10人分のラビオリを作りますよ……。
「ええ〜、これだけ?」
「パンはどうしたの?」
ダニエルが量が少ないと文句を言う。ヨエルはパンが大好きなので、食卓にパンは無いのは寂しいのかもしれない。
今日の昼の献立は、ラビオリのトーマートソース掛けと、ポテトサラダ、鳥の唐揚げである。少ないと言うが、この献立は、私の世界では夕飯でもいいくらいだ。サラリーマンたちが、食べているコンビニのサンドイッチと飲み物の昼飯を与えたら、この子らは泣くだろうな……。
「お代わりもあるから大丈夫よ!」
「でもさ〜」
「いいから、食べなさい」
「エルナ……パン……」
「これは、パンと同じものでできているんだから、パンはいらないの!」
と言いつつ、関西で食されされている関東の人間には理解できない『お好み焼き定食』を思い出した。確かに、コース料理でも、パスタがあってもパンは出るのだけど、今回はラビオリが主役なのだからいいと思ったのだ。
「ソールとノートに感謝を」
ダニエルの文句も、ヨエルの懇願も無視して、レギンはこちらの世界の『いただきます』と言った。文句を言っていてても、食べるのは食べるのだ。
「これ、モチモチしてて不思議な感じだな」
「パンは、形にして焼くけど、これは茹でるの。アーベルはこーゆーの嫌い?」
「ううん、中に溶けたチーズが入っていて、このソースにとても合っているよ」
「良かった」
アッフたちは、これは何だ! とか言っていたのは最初の頃だけで、いつの間にか静かになってしまった。食べるのに夢中だ。
パスタやラビオリ、マカロニやラザニアがあるだけで、1国の食文化だ。形を変えるとか、ソースを変えるだけで、品目も増えるし、味も見た目も変わる。
まぁ、それでもお肉大好きな男の子たちなので、唐揚げは多く作ってある。
「エルナって、料理屋をすればいいのに」
「この村じゃぁ、儲けになんないよ」
ヨエルの言葉に、ブロルが笑う。そして至極全うな理由を言ってくださった。
「まぁ、この料理を1人分ずつ売るって言うのを考えたことはあるけど……」
「ブロルが?」
「そうだよ、ほら、病気で料理ができないとか、一人暮らしだとか、赤ん坊が生まれたばかりだとか……去年、風邪が流行ったときにさ、家の宿屋の食堂は、人でいっぱいになって、座れない人までいたんだよ。急遽、皿を持って来てもらって、家で食べてもらうしかなかったからさ」
「おお、それはいいね」
「でも、スープに肉料理に……って、3往復もさせるのはちょっとね……」
「家族が多くて、お母さんが風邪をひいたら、それこそ大変だね」
「でさ、このラビオリみたいなものだったら、1つの皿で間に合うだろう?」
「うん、まぁそうだけど……新しいお皿を作ってもらうって言うのもあるよ」
「新しい皿?」
「お盆くらいの大きさで、4つの窪みを作るの。スープなんかは無理だけど、1つに、このラビオリを入れて、その隣にこの唐揚げを入れて、もう1つにこのサラダを入れて、最期の1つにパンを入れるの」
「なるほど、そうすると、使う器も少なくて済むし、片手で持てないこともないな……」
「勿論、お盆を用意して、その中に器に入れたものを並べるのでもいいけどね」
「でも、そうすると、運んでいると器同士が移動して、こぼす危険があるんだよ」
「ああ、そうか……ついでに宿で出す料理もその器で出すと片付けが楽なんじゃないかな」
「宿でも?」
「ほら、パンとラビオリとサラダと唐揚げの4品目、パンとハンバーグとサラダと果物……て言うようにいくつか考えおくと、献立が増えるでしょ?」
「そうだなぁ〜」
でも、まずは料理の献立を増やすのが先になりそうだな……。ブロルの家だから、協力はしたいけど、バルロブさんに教えていることをまたやるのかと思うと、ちょっと面倒だなって思ってしまう。
「エルナ、そう言えば、町長さんのマットレスは今日、渡すんだよね」
「うん」
「もうゴミ屑の毛が無くなっていたけど、どうするの?」
「ああ〜、そういえば……この村でヒツジを飼っているのはアーベルん所だけ?」
「いや、南側の道を行くとある2軒もヒツジがいるよ」
「そこにもあるかなぁ〜」
「あるある、支度月に《禁忌の森》に入る時に捨てるのが普通だしね」
「じゃぁ、売ってもらえないかな」
「買うの? あんなの貰ってもらえれば、捨てる手間が省かれて、逆に喜ばれるよ?」
「だめだめ、作ったものがあんな金額で売れちゃうんだから、後で知られたらいい気はしないと思うんだよね」
「ええ〜、ケネトさんもヘルゲさんもそんなこと言わないと思うけどなぁ〜」
「え〜っと、本人だけじゃなくて、第三者と言うか……他の人とかさ……」
「まぁ……エルナがそう言うなら……」
アーベルは納得してくれなかったけど、これは私が注意しなければならないことだ。アーベルやレギンは人が良いから、自分の所のゴミが他人の手によって、売れたとしても何も言わないだろ。が、みんながみんなそうとは限らない。高く売れることを黙って、ただで材料を仕入れている……なんて陰口を叩かれたくはない。それに、お金を儲けて潤うのなら、村を巻き込んでおいたほうが、後々都合が良い。
「アーベル、エルナのマットレスって幾らで売れたの?」
「銀貨56枚」
アーベルが金額を言うと、レギン以外は動きが止まった。ダニエルなんて、思いっきり咳き込んでいた。
「ご、ごじゅう……」
「銀貨56枚って……うちの売り上げが……」
「すげーなぁ〜エルナって!」
「……」
ヨエル、ブロル、ダニエル、ニルスの反応です。ニルスは、ダニエルの言葉に頷いているだけだった。
「特急料金だからね、いつもそんな値段で売れるわけはないからね」
「でもさ、オリアンから帰って来て皆で作ったって言ってたよね」
「そうよ、みんな疲れているのにさ、だから、その分も上乗せしてくれたのよ」
「で、そのゴミって幾らで買うの?」
「洗うのに、もの凄い大変だから、普通の毛と同じとはいかないけど、どんなもんなんだろう?」
「銀貨2枚くらいかな……」
「普通は、あの袋につめたやつって、銀貨5枚ちょっとするんだよね……安くない?」
「洗う労力を考えたら、多いくらいだと思うけど?」
アーベルは、すでに考えていたように金額を即答した。
後で、アーベルが2軒に声をかけて、アッフたちと持って来てくれると言う。あのゴミを奇麗にするのに、人を雇いたいくらいだ。
「あー、お腹がいっぱいだ」
「パン、いらなかったでしょ?」
「うん……」
「でも、ずいぶん余っちゃったね」
「村長さんとかも来ると思ってたからね……そうそう、ニルスは後でこれ、エッバさんに持って行ってね」
「ありがとう」
村長さんは顔を出すとレギンに言ってはいたが、謎の男の登場などでちょっと遅れているから、もしかしたらご飯は食べていないかもしれないと思うので、あとで温めてなおして出すことにした。
「じゃぁ、みんなには、夜までに買ってきたヒツジの毛を洗ってもらおうかな」
「俺たち、剣の稽古をしたい」
「じゃぁ、それが終わったらやってね」
ぶつぶつ言いながら、レギンに剣を教えてもらうためにアッフたちは外に出ていった。でも、文句を言おうとしたときに、ダニエルの脳裏にはプリンが浮かんだはずだ。
「バルロブさん、味はどうでした?」
「はい、大変バランスの良い味で、美味しかったです」
さて、これから午後は、再び保存食の作成と、明日の為に、鶏ガラでのスープを作るつもりだ。どうやら、今日は一日中、料理教室で終わりそうだ。