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賢者様を待っている世界で  作者: 三條聡
第2章 テグネール村 2
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朝寝坊とウシの脱走

 目覚めると、私はベッドの中だった。例のモルモットの巣箱のような……。

 昨日は、もの凄く五月蝿い鳥たちの鳴き声で起こされたことを思い出した。でも、今はとても静かだった。遠くで、ウシの鳴き声や、犬の吠える声が聞こえる。

 早朝のひんやりとした空気でなかったことで、私は随分と寝過ごしたことを知った。

 慌てて、服を着て下に降りて行く。家には誰もいなかった。レギンとアーベルは、羊たちの世話をしているのだろう。アッフたちは、昨晩はどうしたのだろう? そんなことを考えながら、顔を洗いに外の洗い場に向かった。顔を洗って拭くものは、少し厚めのただの布だ。一回使用したら、びちょびちょになることの請け合いのシロモノだ。


 顔を洗って家に戻り、鍋の中を確認する。

 鍋は空っぽで、奇麗に洗われていた。


「あちゃ〜、全部やらせてしまった……」


 昨夜使用したもの凄い数の器なども、ちゃんともとの場所にしまわれている。部屋には、昨日の騒ぎは跡形もなく無くなっていた。

 まさか、もうお昼ってことは無いよね……。ちょっと焦り、羊舎に向かった。


「おはよう、エルナ」


 家を出た所で、危うくぶつかりそうになり、抱きとめてくれたのはレギンだった。


「ごめんなさい、片付け」

「昨日は、大変だったな」


 私の頭を撫でながら、『ありがとう』を言われた。


「ご飯は?」

「昨日の残りを食べたよ」


 空を仰ぎ見ると、太陽は真上に差し掛かろうとしていた。

 もうお昼じゃないか!


「お昼の用意するね」

「そんなに急がなくてもいいぞ」


 レギンはそう言ってくれたが、本当ならお昼にはフワフワのパンを食べれる予定だったのに。

 でも、昨日は知らない人が大量で、ブリッドという昨日会ったばかりの少女と料理を作ったり、ブロルには思いっきり怪しまれるし、子供の体の私には、かなりお疲れになったのだろう。いつ寝たのかも記憶にないし……プリンは食べたな。


 今は、手早く昼のご飯を作り、パンを作らねばならない。えっ? 昨日のパンはどうしたって? 聞いてくれるな、大失敗だったよ。パンの種を作る時に、2度ほど湿った布をかけて、放っておく「発酵」をするのだが、それは上手くいったと思うのだが、焼いたら、それ以上膨らまなかったのだ。まぁ、気を取り直して、昨日作った小麦の殻の酵母菌で作ってみよう。ダニエルたちの実験なんだか、悪戯の果てのブルーベリーの酵母菌は、少し砂糖と小麦を入れて、様子を見るつもりだ。


 で、昼の献立は、クヌーデルとポテトサラダにした。クヌーデルは、固くなったパンを使って良く作ったドイツの家庭料理だ。牛乳と卵をかきまぜたものに、固くなったパンをつけておき、タマネギとベーコンの微塵みじん切りをバターで炒めて、少しの小麦粉とオリーブオイルで混ぜて、こねこねする。そして、丸めていくつか作って茹でる。本来は、ジャガイモでつくるのだが、固くしてしまったパンの良い使い道だった。

 トマトと炒めたタマネギでトマトソースを作る。クヌーデルにトマトソースを掛ければ完成だ。

 ポテトサラダは、作り方なんて今更だ。普段のポテトサラダに、ゆで卵を刻んで和えた。コレステロール満載の一品となった。


 昨日作った酵母は、思いのほか上出来で3倍近くに発酵して膨らんでいた。失敗の為と思って3つも作ってしまったが、この酵母はたとえ冷蔵庫があったとしても、日持ちはしない。なので、今日は大量のパンを作ることになるだろうと、溜め息が出た。まぁ、作りすぎても、みんなに配ってしまえばいいしね。

 パンを作るのは、量と手順を覚えれば簡単なことだ。ただの単純作業になる。私は、周囲から言わせると、生き急ぎの死にたがりらしい。とにかく1つのことをするのが嫌いだった。ただテレビを見るのだって、相当内容の濃い番組か興味のある番組でなければ、何かをしている。料理をしながら、本を読む。テレビを見ながら編み物をする。そんな習性みたいなものがあるので、手慣れているパン作りは、色々なことに思いを馳せることが多い。何せ手が塞がっているからね。


 考えることはこの世界のことだ。何故ここに私が居て、これはどういう状態なのか、といことではない。回りくどい言い方をしてごめんなさい。実は、そんなことを考えるのは無意味のような気がしているからだ。その理由はいたって簡単、この問題には、何の手がかりが無いからだ。今の所……。

 私の考えていたことは、この世界の日常だ。右も左も解らない所で、私は何の力もない幼女である。今考える最悪の事態は、1人で放り出されることだ。これは怖すぎる。特に、魔獣なるものが存在しているのが発覚している。

 勿論、レギンとアーベルや、今まで知り合った村の人々は、とても親切なのは知っている。が、ここは田舎で長閑だ。そんな所の人々が殺伐としていたら世も末だが、それでもここより大きな町なんかは物騒なのは想像できる。なので、できれば今の状態を維持したいのだが……。


 私の知識は、子供のものではない、中身が29歳なのだから。それを悟られるのは仕方ない。どれが子供の発言で収まるのか、大人の私には解らないし、それは人によって変わるのかもしれない。その上、私はこの世界の常識がまったく解らない。一日は何時間? 一年は何か月? 宗教はどうなっているの? 政治形態はどうなっているの? 身分や格差はどれだけあるの? 解らないことより、解っていることを指折り数えた方が早いのが、今の現状である。

 時間の許す限り、解らないことをぶつけてみたいのだが、そんなことをしたら怪しまれるのは絶対だ。本などの記録媒体が見当たらないし、私のブレスレットに書かれていると言う『エルナ』の文字も判読できないので、あっても宝の持ち腐れなのだが……。

 ゆっくりと知ればいいの? そんな暢気で良いの?


「エルナ、ちょっと手伝ってくれる?」

「えっ?」


 家に慌てて入って来たのはアーベルだった。慌てているんだけど、その表情は面倒くさいことが起きたように感じられた。とりあえず、パンの種に濡れた布をかけて椅子を降りた。


「どうしたの?」

「ウシがさ、柵を破って逃走中」

「えぇ! みんなは?」

「兄さんと、アッフたちで追いかけて行ったよ。南の柵は面倒なんだよなぁ」


 おぉ、南! これから行くのは南なんですね。早く行きましょう。


「早く行かなくちゃ!」

「ううん、エルナには荷物運びを頼みたいんだ」

「荷物?」

「柵を直さなくちゃいけないからね」


 アーベルに手を引かれて作業小屋に向かう。そう言えば、レギンもウシが脱走して困るって言っていたなぁ。と、暢気に思い出す。


「壊れた柵は、今どうなっているの?」

「そのままだけど……あぁ、大丈夫だよ。柵はウシが破壊したけど、一部が残っているからね」

「一部が残っていると大丈夫なの?」

「ウシやヒツジは臆病な動物だからね。驚かせるようなことが無ければ、自分の体を傷つけるような柵の残骸の隙間を行こうなんて思わないんだよ」

「へぇ〜! でも、どうして逃げたの?」

「さぁ、わかんない」

「人間がいじめたり、驚かしたりしなくても逃げるの?」

「そうだなぁ〜、蜂に刺されたってこともあったし、ヒツジの群れがウシに突撃したこともあったよ」

「ヒツジとウシと同じ柵の中に入れるのは危険?」

「ん〜、本当はそれぞれの柵があればいいんだけど、そうすると、ウシの柵が狭くなるから、可哀想なんだよね〜」


 作業小屋から釘と木槌を持たされ、アーベルは柵の板を2枚持つ。木製のハンマーに、釘は金属だった。先の尖った金属棒で、頭は90度に曲げられている。とても単純な作りになっている。

 向かった場所は、《禁忌の森》とは真逆にあった。これで、東西南北は確認できた。ちょっと、嬉しい。

 破壊された柵は、上下に2枚の板が真っ二つに折られていた。それぞれ片方は、くいから外れてしまっている。


「あ〜あ、怪我しているな」

「怪我?」

「ほら、板にちょっと血がついているだろ?」

「可哀想……」

「そうだね……。昔、父さんと話していたことがあってね、板って、長い方向に木目があるだろ? これが短い方に木目があったら、簡単に折れてしまうけど、ウシは怪我しなくていいなぁ〜って」

「なるほど!」

「もしそんな木があったとしたら、もの凄い太い幹の木になるだろう?」

「そうだね!」


 2人で笑いながら、破壊された板を回収した。もの凄い太い幹の木なんて、私の世界でも希だ。頭に浮かんだのは、アメリカのレッドなんとかと言う国立公園のセコイアの木と、屋久杉だ。

 板をくいから外しながら、ふと思った。この釘は、案外簡単に抜けるということと、板はくいの内側にあるということだ。


「アーベル、ウシが傷つくのと、傷つかないのとどっちがいいの?」

「そりゃぁ、傷なんて負ってほしくないよ」

「えーっと、いいこと思ったんだけど、聞いてくれる?」

「いいこと?」


 私は、くいの内側ではなく外側に板を打ち付ける方が良いのではないかと提案した。利点は2つ、ウシが傷つかないことと、運が良ければ板は割れずに回収できること。但し欠点も1つ、柵抜けされやすいこと。ウシが体当たりをした時に、柵を破られやすいのは外側に板を打ち付けることだ。

 壊れやすいと思うと、不安になるし、その不安は板が外にあるかぎり解消されない。簡単に言うと、どっちを選択するだけである。個人がよりどちらを重んじるかだけなので、提案はしてみるけど、後はアーベルに丸投げだ。


「そうだね、外だろうが中だろうが、逃げるときには逃げるしね。だったら外側に板を打ったほうがいいかもね」


 思わぬ程の早さで、アーベルは即答した。本人曰く、一番良いのはウシが逃げないことらしい。

 遠くで、アッフたちに引かれた大きなウシがやってくるのが見えた。柵の外にある道を道なりに逃げるので、探す手間はかからないらしい。柵を破って、そのまま直進したら、雑木林にまぎれてしまいそうだ。道を挟んで目の前には雑木林があるのだ。

 でも、興奮しているウシが、何故、90度の方向転換をしたのだろう。勢いにまかせて突進しそうなのだが、いつも道なりに逃げるらしい。不思議に思ったら追求するのが、私の性である。柵をくぐって、雑木林の際まで行ってみる。

 雑木林の際に、溝があるとか、小川が流れているわけではなさそうだ。ただ、草が生えているだけだった。その草はちょっと独特で、葉っぱの裏に白い毛が生えていて、茎に等間隔で、ぐるりと一周するように葉が出ている。その葉は下の方は菊の葉に似ていて、頂上付近の葉は柳の葉のようだった。そんな植物が、雑木林と道の境にずーっと茂っていた。


「何してるんだよ」


 しゃがみ込む私の横で、同じくしゃがみ込むダニエルがいた。


「ダニエル、この草の名前わかる?」

「はぁ? 草は草だろ」


 ダニエルらしい返答である。思わす笑ってしまった。

 私は、草を少しちぎって、ウシを引くレギンのもとへと向かった。


「怪我は大丈夫?」

「ああ、ちょっとしたすり傷だ」

「兄さん、柵に板を外から打つことにしよう!」


 柵に寄りかかりながらアーベルが言う。眉を潜めたレギンに、アーベルは私の提案を話した。


「どうせ、逃げるなら外に板を打ち付けたほうが、板も壊れないかもしれないし、ウシも傷つかないんじゃないかって、エルナが言うんだ」


 アーベルの言葉に、レギンはちらりと私を見て数秒後。


「そうだな」


 なんともあっさりしたものだ。いいのか? 逃げやすいんだぞ! と提案した私が一番不安になってしまった。


「ウシは良く逃げるの?」

「良くなのかは解らないが、月に1回もないだろう」

「ふーん……森には入らない?」

「そうだな……そう言えば、入ったことはないな」

「《禁忌の森》にも?」

「《禁忌の森》には近づかない、だから、柵を破るのは南のこちらで、《禁忌の森》がある東には逃げない」

「で、ここの森にも入らない」

「そうだな」


 ウシは、柵を破って西に逃走するのが常らしい。私は、手に持っている先ほどの草の束を、ウシの口元に持って行く。が、ウシはフイっと顔を背ける。思わず、ニヤリと笑ってしまった。


「みんな! この草が生えている場所知ってる?」


 私は草を高く掲げてー110センチの私の高くですー尋ねてみた。ダニエルは面倒に『草は草だろ』と、繰り返していた。レギンは少し屈んで草を見つめ、アーベルも草を見に柵をくぐってやって来た。

 私を驚かせたのは、ニルスだった。私の手首を握り、自分の目の前に持っていく。


「森の共同林の先の川沿いにある」

「おぉ」


 ニルス少年は植物に詳しいのか?


「本当に同じものなのかよぉ」

「薬に使うから知っている」

「えっ?」


 思わず、私が見つけたこの植物の正体が、私の思うものと異なるのではない可能性が出てきた。だって、これ毒ですよ? アルカロイド系の毒ですよ。食べたりしたら、呼吸麻痺、下痢、嘔吐、胃腸炎、知覚麻痺、痙攣起こしますよ?


「これ、危険なものじゃないの?」

「お婆さんが言うには、飲むと毒だけど、塗り薬になるって」


 おお、そうか! やっぱり毒なんですね。これはキンポウゲなんですね! 後で、ニルスのお婆さんにお話しを聞かないといけない。


「で、エルナ、その毒草がどうしたの?」

「これがあるから、脱走したウシはこの森に入らないんだと思う」

「そうなの?」

「この草はウシやヒツジ、ヤギも嫌がるよ」

「ウマはどうかな?」

「ウマも食べないよ」


 嘘です。ウマはキンポウゲの種類によっては食べます。中毒になりません。でも、私が持っている種類は食べるものなのか確認するつもりだ。ウシのいる柵の外をキンポウゲの花畑にすると、ウシの脱走率がかなり下がるというのは、私の世界では知られている。これは、ヒツジやヤギやウマにも有用なのだ。

 このキンポウゲを南の柵の外側に沢山植えると、脱走が減るかもしれないと思っている。私が見つけた草がキンポウゲの一種で、家畜が食べないと言うこと、キンポウゲに近寄らない習性があることを立証しなければならないが。


「お前、本当に変なこと知っているよな」

「えぇ〜、変なことじゃないよ」


 ダニエルはニカっと笑った。何がそんなに嬉しいの?


「僕……お腹すいた」

「あっ、そうだよ! メシ!」


 ヨエルが力なく言うのとは正反対に、ダニエルはテンションが上がったようだ。皆もお腹が空いていたことを思い出したかのように、自然と足取りが早くなる。


「お昼は何を作ってくれたの?」

「えーっと、クヌーデルのトーマートソースとポテトサラダ」

「クヌーデルってなんだ?」

「固いパンをね、柔らかくしてベーコンとオニオンで……」


 アーベルとダニエルの共通点は、食に関して好奇心旺盛だと言うことだ。

《エルナ 心のメモ》


・《禁忌の森》はレギンの家の北にある

・この世界の釘は、先の尖った棒で、先が90度曲げてある簡単なもの

・この世界で、キンポウゲを見つける

・ニルスは、植物に詳しそうだ

・この世界のウシもキンポウゲは嫌い

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