柔らかいパン
昼のご飯は、パンで作ったクヌーデルにトマトソースをかけたものと、ポテトサラダだった。アッフたちはトマトソースが甚くお気に召したのか、残ったトマトソースをあの固いパンに着けて食べるんだと言い出した。だから「クヌーデルがパンなんだって!」 と言っても聞かなかった。日々、私が固いパンをどうしたら、食べれるのか工夫しているのがバカみたいじゃない!
昼の後は、一次発酵させたパンを等分して、コッペパンの形にして鉄板に並べて発酵させる。それを、レギンとアーベルが手伝ってくれた。ヨエルは雑用だ。アッフたちは、それぞれの家での手伝いに帰らされ、夕方にダニエルとニルスが自宅の鍋を持って、今晩作るコーンスープをもらいに来ることになった。
「兄さん、パンって作ったことある?」
「いや、ないな」
「パンを家で作るのは、母さんがいた時だけだからなぁ」
重い! 私はコメントできずに、もくもくとパンを作った。当のレギンとアーベルは、そのことにどんな思いを抱いているのか、計り知れない。かといって、部外者の私が暗に立ち入っていいわけがないのだ。
「ねぇ、エルナ。これ作り過ぎじゃない?」
「酵母が上手くいきすぎて……捨てるの勿体なくて」
「明日に使えばいいのに」
「明日には腐ってる」
「へぇ〜、じゃあ、明日のパンの為に、酵母をまた作るの?」
「2つ作ってみたけど、私のパンは、今日作っても明日もまだ柔らかいままだよ」
「そうなの?」
鉄板の上に並べられたコッペパンたちは、二次発酵のために濡れた布を掛けられ、火に近い場所に置かれた。コッペパンの成形はとても面倒で、楕円形に延ばした生地を上下から生地をまるめて、中央で摘んで閉じて行く。レギンとアーベルはそれなりに出来ていた。一番出来なかったのは、幼児の体に全然慣れない私だった。
「これから、お仕事はなに?」
「壁の補修」
「アーベルは?」
「う〜ん、兄さんを手伝うつもり。エルナは?」
「私、パンを焼いて、フェルトを作る!」
「フェルト?」
「ああ、昨日言っていたね」
フェルトという言葉に、レギンはアーベルに説明を求めた。勿論視線だけで。アーベルは、私が昨日見つけた、捨てるヒツジの手を使って、ベッドに敷くマットなるものを作るらしいことを説明した。
「いるものはあるか?」
「スリッカーはある?」
「あるよ」
「ヒツジの毛を洗う石けんはある?」
「あるよ」
まぁ、道具はあるだろうと思っていた。何たって、ヒツジの毛を売って生計を立てているのだから。台所と言う炉の近くに、大きな桶を持って来てくれたアーベルは、そのまま私が何をするのか見ているつもりらしい。レギン一人でお仕事させるのは気が引けませんか?
湯を沸かして、桶に入れ、ゴミ扱いのあのヒツジの毛をスリッカーでほぐし、ある程度になったら桶に入れる。手でほぐせないものは、ゴミになるそうだ。勿体ない。手が空いたときに、パンを焼いたりすれば、夕飯を作る時間も節約できる。
お湯に入れられたヒツジの毛は、もの凄い悪臭を漂わせた。家の中での作業は間違っていたと思ったのだが、湧かした湯を運ぶことを考えると、幼児な私には仕方の無いこと。室内の悪臭にアーベルは笑い、ハーブの束を持って来てくれた。ハーブにそれほど詳しくはない私でも知っているローズマリーだった。そして表の戸と、裏口の戸を開けてくれた。
「もんだりすると、固まっちゃうよ」
「うん」
これも重労働だった。柔らかく押し洗いすると、すぐに水が汚くなる。何度入れ替えてもいつまでも汚い水になるのではないかと、恐怖さえ感じ始めた頃、ようやく、水も汚れることも無くなった。
羊毛が水に浸るくらいに入れ、石けんでごしごしとこすって、強く押す。スリッカーで一定方向にこすり、手で円を描くように摩擦をする。横で、アーベルは他の羊毛をスリッカーで梳いてくれている。
本当は、1メートルくらいの四角い板の上でやればいいのだが、そんなものが都合良くある訳ないし、うっかり聞いてしまって無いことが解れば、レギンとアーベルのことだから、買ったり作ったりしちゃうと思う。それは申し訳ない。なので、桶の底で最大限に出来る50センチ強を2枚作ってつなげるつもりだ。
1時間くらいかけて、やっと2枚のフェルトができた。今は外に出して乾かしている。
「これはカーペットみたいだね」
「うん、カーペットにしてもいいし、寝る時に下に敷くと、藁がちくちくしないし、暖かいよ」
「あぁ、そうだね!」
「それに、これで子供の人形とか作れるよ」
「へ?」
アーベルと座りこんで、私はヒツジの毛を丸く握って、石けんが溶けた水に浸しながら、先ほど使った釘でぶすぶすと指した。耳を作って、マズルを作って、ぶすぶすと刺していく。胴体や手足を別に作っては、繋げて形ができあがる。残念なことに、染めたフェルトが無いので、ただの真っ白な犬になってしまった。眼だけは、羊毛を墨で汚してみたんだけど……。
「凄い……」
アーベルは羊毛フェルとで作った犬を色々な角度で見ては、「凄い」と言う。私も、我ながら凄いと思った。
「このフェルトとか言うもので、他に何ができる?」
「う〜ん、靴の底に入れると暖かいよ」
「それは助かる!」
「あと、服が破れたときに、フェルトをお花の形とか、色々な形に切って、破れた所に縫い付けると、可愛いよ」
「うーんと、上手く想像できないなぁ」
「今度やってみるよ」
アーベルとフェルトの利用方法を話し合いながら、焼けたパンをカゴに入れ分ける。そーそー、焼けたパンを手にしたアーベルの反応はと言うと、フリーズだった。もの凄く騒ぐかと思ったけど、それよりも遥かに驚いたみたいだ。早速、パンを食べるかと思ったが、アーベルは嬉しそうに、「今晩の楽しみ」にすると言って、カゴに戻した。
その後、アーベルと食糧庫で在庫チェックをした。トマトが底をつきかけていたのだが、本来は酸っぱいものとして、人気が無かったトマトが、煮込めばお子様には大受けなのが発覚したので、アーベルもトマトの在庫を心配しだした。
で、当然のことながら、「トーマートを買いに行こう!」となって、買い出しに向かうこととなった。
「ねぇ、エルナ。このパンを食べるだけ残して、ダーヴィッド叔父さんの所に持って行ってもいいかな?」
「えっ、晩にダニエルがお鍋を持ってくるよ」
「あいつ、荷車で来るかな?」
「えっ、4人分のスープ入れて、手で持って帰るの?」
「あいつならやりかねないんだよなぁ」
なんと力持ち!
アーベルの不安が解ったので、ついでにブロルの所とかにパンを配って歩くことにした。おかげさまでまた荷車になった。アーベルは、トマトを買い占めるつもりもあったみたいだった。どんだけトマトソースを作らせるの?
「こんにちは、村長さん」
「やぁ、エルナちゃんとアーベル」
「叔母さんはどう?」
「それが、昨晩はぐっすり眠れたようで、朝はいつもより多く食べていたよ。昨日のスープは美味しかった」
満足そうな顔の村長さんは、ちょっと眼の下にクマがあったけど、良い笑顔だったので、良しとしよう。
「アーダも、スサンが良く泣く理由を話したら、安心したみたいだよ」
「スサンちゃんは、良く飲んでいますか?」
「食が細いのは相変わらずだけど、皮の水筒で飲ませるとちゃんと飲んでくれるよ」
「よかったぁ」
村長さんの所の問題は、どうにか解決したみたいで良かった。あれ以上の手助けは、これ以上の知識が無いので無理です。
「叔父さん、夕方にダニエルがスープをもらいに来るって言ってたけど、パンだけは僕たちが持って来たよ」
「パン?」
「ダニエルは乱暴だから、潰されたらいやだしね」
「え〜っと、パンならあるよ」
「それは、普通のパンでしょ」
アーベルはそう言うと、カゴからパンを1つ取り出して渡した。
「なんだい、これ!」
「エルナのパンだよ、すごく柔らかいでしょ!」
「どうやったら、こんなになるんだい?」
「食べてみてよ!」
アーベルは、自分ですらまだ食べていないものを村長さんに薦めた。自分で食べてから薦めなさいよ。そうとは知らない村長さんは、パンを2つにちぎって口に入れた。
もぐもぐ、フリーズ。
フリーズからいつ再起動するのか見つめていると、カゴを持ったイーダさんが乱入してきた。ビックリした。
「アーベルとエルナちゃんじゃないか」
「アーダ叔母さん、どうしたの?」
「イーダ義姉さんの体調が悪いって言うからさ、差し入れだよ」
「そうだ、叔母さん所にもお裾分けがあるんだ」
「何だい?」
アーベルはイーダさんに、一カゴまるまる渡した。
「これはパンだね」
「そうだよ、エルナが焼いたんだ」
「そりゃぁ、凄いね! こんなちっちゃいのに、パンも焼けるのかい?」
「それも、この国一番のパンだよ」
「あははは、そりゃ、大きく出たね」
そう言って、笑いながらパンを1つ手に持った。
「何だいこれは!」
「凄く柔らかいでしょ?」
何も言わずに一口パンを齧ったイーダさんもフリーズした。
「驚いた……凄く柔らかくて、甘い」
「えっ? 甘い?」
アーベルがイーダさんのコメントに、驚いていた。だから、自分で食べてないものを薦めるな。
「どうやって作ったんだい」
「これ、うちでも作れるかい?」
村長さんは、いつの間にか再起動していた。イーダさんも立ち直りが早い。
「えーっと、酵母を入れてみました」
「酵母ってなんだ?」
「あの、ミソとか醤油とか言う調味料を作るときに使うやつかい」
「はい、チーズなんかにも入っていますよ」
「えっ、そうなの?」
アーベルは、乳酸菌の威力を知らずにいたのか……。まぁ、チーズやヨーグルトなど熟成や発酵をさせるものは、牛乳にもともとある力を使っているから、作り方を知っていれば、その効果を知らなくても作れるからね。
しかし、酵母と聞いてミソや醤油の名前が出て来るとは、さすがにイーダさんだ。宿屋で食事を出しているだけある。
「う〜ん………昨日のシチューとか言うスープも、このパンも凄いねぇ〜」
「エルナちゃんは料理の天才だね」
「ウチで働いてもらいたい位だよ、あっ、ハッセの嫁にこないかい!?」
いやいや、ハッセって誰? あぁ、ブロルにちょっと似ているお兄ちゃんか。確か、長男でブレンダという双子の妹がいたと思うけど……ごめんなさい、それくらいしか記憶にないです。
6歳の幼児に婿を薦めるとは、何ともイタい話である。引きつった笑顔で答える。
「それより、叔母さんの所でも作ったら?」
「作ったらってそんなに簡単なのかい?」
「どう思う、エルナ」
「簡単だよ!」
そう私が答えると、あれよあれよと言う間に、明日、イーダさんとブレンダさんが教えを乞いにやってくると言う話になり、ついでに村長さんが「ブリッドを行かせる」と言い出した。ブレンダさんとブリッドの知らぬ間に、明日はパン作りをすることになってしまった。
しかし、いいのかなぁ〜、この村にはパン屋さんがあったと思ったけど。この勢いで広まると、商売できなくなるんじゃないかと思う。
「アーベル、このパンをみんな作れるようになったら、パン屋さんはどうなるの?」
「えっ? そうか、マッツさんの商売が成り立たないか……」
「じゃぁ、マッツにエルナちゃんのパンを代わりに作ってもらって、売り上げの1割くらいもらえば?」
ダーヴィッド村長さんの発言に私は驚いた。そんな方法がこの世界でもあるのか!
発明(本当は全然発明ではないけど)に対しての利益を得るという発想は、もっと後の世界のものかと思っていた。私の知識には特許関係のものは無い。あれ? 特許庁に行った記憶があるぞ。そんなことを考えている間に、村長さんとイーダさんとアーベルの話しが加熱していった。
「パンは1つ銅貨6枚だろ、いくらで売るつもりなんだい」
「いくらなんでも今までのパンと一緒には出来ないだろうなぁ」
「でも、大きさが違うよね……今までのパンの3分の1くらいの大きさだし」
「じゃぁ、エルナちゃんのパン1つで銅貨2枚くらいかな」
「で、エルナの取り分てどれくらいが普通なの?」
「2割くらいは取ってもいいかねぇ」
「じゃあ、エルナはパンを10個売るたびに、銅貨4枚を得ることになるのか」
何か、どんどん売る方向に話しが行くが、マッツさん本人抜きで決めていいの? 私がそんなことを心配していると、ダーヴィッド村長が、唐突にドアを開けて中に入って行く。
「おーい、ダニエルいるか?」
「いるよ」
「ちょっと来なさい」
「ナンだよ、俺なんにもしてないぞ」
何だその会話は。呼ばれて怒られるというパターンが、当然のように常習化しているのか? まぁ、ダニエルだし……。
村長さんに続いて、ダニエルも外に出てきた。出てビックリしたのだろう、動きが止まって私たちの顔ぶれを確認する。その顔には「俺、何したっけ?」と書かれているのが見えた。
「何で、エルナとアーベルがいるのさ」
「おい、このパンを持ってマッツの所に行ってこい」
「パン? なっ、何だよこのパン! エルナが言ってたパンってこれなのか?」
「早く行って、そのパンをマッツに渡してこい」
背中を叩かれたダニエルが、パン屋さんまで走って行った。えぇ〜っと……何かもめるのは面倒だなぁ。
で、どうなったかと言うと、ものの数分で真っ青な顔をしたひ弱そうな男の人を引き連れて、ダニエルが戻って来た。だぶん、その青い顔の人がマッツさんなのだろう。
でも、気弱そうだと思ったけど、やって来たかと思うと、ダーヴィッド村長さんの胸ぐらを掴んだ。
「あれはどうやって手に入れた!」
あまりの剣幕に、29歳のお姉さんはアーベルの後ろに隠れてしまった。すごい迫力だったのに、村長さんは笑っていた。
「凄いだろ?」
えっ、何が? 何で煽っているんですか?
「で、このパンの作り方を利益の2割で売るぞ」
「うっ」
この世界で最初に出会った村長さんは、こんな人だった? と思う程に、喜々としてるのだがどうしてだろうか?
「どこからそんな数字を出して来た」
「なに、このパン10個で銅貨4枚だな」
「高すぎる」
「そうか? お前の所の一番安いパンは、このパンの4つくらいなものだろう?」
「いやいや、5個分はある」
「いやな、このパンは簡単に作れるらしいんだ。そうなると、村中に広まるのもそんなに時間はかからないと思うぞ」
「うちは、明日、ブレンダと習いに行くんだよ」
凄い、畳みかけに行っている。さすが兄妹である、阿吽の呼吸とはまさにこのことを言うのであろう。気が弱そうで、ひょろひょろっとしていて、先ほどまでは青い顔をしていたマッツさんは、見かけとは正反対にこの兄妹に立ち向かっている姿はあっぱれなのです。
「あの〜」
「しかし、そんな値段では売れ残ってしまう」
「じゃあ、売れる方を作ればいいだろう?」
「あの、村長さん!」
「父さんもマッツさんも、ちょっと待っててば!」
ダニエルが2人を引き離した。おお、さすがに腕力はあるね、ダニエル。
「提案です。私の酵母を買ってもらえないでしょうか?」
「酵母?」
「パンを柔らかく焼く秘密の素材です」
「原料を売ると言うのか?」
「なるほど!」
アーベルが、私の言いたいことを引き継いでくれる。
「酵母を買ってもらえれば、面倒な計算も必要なくなるし、マッツさんは次の日に必要な数を注文してくれればいいだけだね」
「その酵母は、いくらで売るつもりだ?」
「そうだなぁ……。あの容器3つで、パンが60個くらいだから……大銅貨2と銅貨4枚だね」
アーベルの素早い計算で、マッツさんも頭の中で数字が行き交っているのだろう。私は、この世界の通貨と価値がまったく解らないので、アーベルに御任せだ。今回は、陶器3つの酵母を使用したから、1つ銅貨24枚の計算だ。原料は、水車小屋のおっちゃんに、麻袋1袋を銅貨10枚で譲ってもらった。家にはまだまだある。原価率はものすごく良んじゃない?
「よ、よし、その値段で買った」
「その前に!」
「まだあるのか?!」
「出来れば、雑貨屋で売っている保存食品用の一番小さな陶器を、買ってください。ウチにはそんなに無いので」
「大きいヤツじゃだめなのか?」
「小さい陶器でパン20個分の酵母を作るのが、一番効率がいいんです。だから、マッツさんの所で、1日に100個のパンを作るなら、前の日に5個の陶器を渡してください」
「解った」
「それと、マッツさんがエルナのパンをいくらで売ってもかまいませんが、エルナが作るものに関しては、エルナがただで渡しても、お金を取ってもマッツさんには関係ありません」
「よし」
なんだか、アーベルの方が良く解っているようなので、私としても特に付け足すことはない。ただ面倒なことに、2番目の風の日、すなわち明日に、マッツさんが酵母を使ったパンの作り方を学びに来るという。
村長さんとイーダさんなんか、いつの間にかアーベルとマッツさんの取り決めを聞いているだけになっている。私も丸投げしたんだけどね。
とにかくマッツさんは、意気揚々と引き上げていったから、まぁ、悪くない取引だと思う。イーダさんも、宿屋に卸すパンの値段もちゃっかり交渉していたし。これで、心置きなくみんなでフワフワパンを食べましょう!
ついでに、マッツさんは余っているフワフワパンを全てお買い上げしてくれました。この世界で初めてお金をゲットしました。大銅貨2枚です! しかし、大銅貨2枚で何が買えるのか、あとでアーベルと要相談です。
《エルナ 心のメモ》
・ダニエルは力持ち
・特許という考えがある
・パン屋のマッツさんが、2番目の風の日に酵母の使い方を教えることになったよ。
・銅貨20枚ゲット!




