弱虫サンタのメリークリスマス
朝の少々賑やかしい病院。
小児科で今日の夜行われる、クリスマス会のため彩られた廊下を僕と幸輔は駆け抜ける。
そして勢いよく雪希の病室のドアを開ける。
「雪希!」
僕がそう言いながら病室に入ると、手前におばさんと妹……秋葉ちゃんの後ろ姿。そしてその奥に、たくさんの管が繋がれた雪希が横たわっていた。
これまでより遥かに多い管の数と処置をしている医者の顔が、雪希の現在の状態を嫌でも僕にわからせる。
ボロボロと涙を流しながら雪希の名前を呼び続けるおばさんと、放心状態の秋葉ちゃんの横をすり抜け、僕は雪希の横に膝立ちになって雪希の左手をギュッと握る。
幸輔も目を瞑り必死に何かを堪えている。
僕には……僕たちには祈る事しかできなかった。
(お願いします……お願いします、神様でも仏様でも何でもいい。僕に差し出せるものだったら何でも差し出します! だから雪希を……雪希を、助けて下さい……」
祈る。ただ雪希の手を握りしめて祈り続ける。
『カラカラカラカラ……』
医者の顔はどんどん険しくなっていき、それに呼応するかのように心電図は徐々に直線に近づいてくる。
(僕に……僕にできることは他にないのか!?)
そこで僕はハッと気付く。
そう、僕にはまだできることが……いや、やるべき事が残っていた。
僕は立ち上がり、昨日の夜ポケットに忍ばせていたものを取り出す。
「夏輝君?」「夏輝?」
僕の手の平に納まっている小さな箱。
プレゼント用の包装紙を剥ぎ取り蓋を開け、僕はその中身をおばさんに見せる。
「!? 夏輝君、これって……」
おばさんが驚愕の顔を浮かべる。秋葉ちゃんもそれを見て目を白黒させている。
「本当は去年のクリスマスに渡す予定だった、雪希へのクリスマスプレゼントです」
そして僕はその場でおばさんと秋葉ちゃんに土下座する。
「夏輝く……!?」
「雪希と結婚させて下さい!!」
僕は今できる精一杯の誠意を持って二人にそう告げた。
「夏、輝さん……」
秋葉ちゃんが嗚咽交じりの声で僕の名前を口にする。
「おばさん……いいえ、お母さん! お願いします! どうか雪希を……娘さんを僕に下さい!」
僕は床に額を擦りつけてお願いする。ただ真っ直ぐに、ただ必死に……。
そしてしばらくすると、僕の気持ちをを悟ったのだろうか……お母さんがとても穏やかな声で僕に言った。
「夏輝君……娘のこと、よろしくお願いします」
おばさんのその声に続いて秋葉ちゃんの声が聞こえる。
「夏輝さん、お姉ちゃんのこと……お願いしますね」
僕がその返答を聞いて顔を上げると、二人が土下座をする僕に深々を頭を下げていた。
「ありがとう……ありがとうございますっ……」
雪希の左手をそっと持ち上げ、僕はその左手の薬指に去年渡せなかったプレゼント……ペアリングをそっとはめた。
「雪希、たくさんすれ違って、たくさん回り道して……たくさん雪希のこと泣かせちゃったけど……やっと渡せなかったプレゼントを渡せたよ」
涙で視界がぼやけて何も見えなくなる。次々と溢れだす涙を拭うこともせず、僕は雪希に言った。
「雪希、僕と……僕と結婚して下さい」
……返事の返ってくるはずのない問いかけと知りながらも僕はそう雪希に告げた。ありったけの愛で、ありったけの真心で。
「雪希、愛してる。今までも、これからも……ずっと……ずっと」
リングをはめた雪希の手をギュッと握る。
するとその握った手を弱々しい、注意していなかったら気付かないほどの力で、でも確かに……握り返してくる感触を感じた。
「私も……夏輝のこと……ずっと、ずっと……愛してるよ」
「!?」
聞こえないはずの、もう聞くことのできないはずの雪希の声が聞こえ、僕は慌てて視界を遮る涙を拭う。
涙が拭き取られ開けた視界。その僕の瞳に映っていたのは、うっすらと……でもとても嬉しそうに僕に微笑んでいる雪希の笑顔だった。
「雪……希?」
僕の声にお母さんが、秋葉ちゃんが、幸輔がベッドの周りに集まってくる。
「夏輝……もう一回……もう一回聞いて……。今度は……ちゃんと……答えるから」
雪希のその言葉を聞いて、僕の目からは再び壊れた水道のように涙が溢れだす。
僕は必死に嗚咽としゃくりあげるのを堪えながら、雪希に告げる。
「雪希、こんな……こんな僕だけど……僕と結婚して下さい」
雪希の手を優しく握りしめ、笑顔で雪希を見つめる。
すると雪希はニッコリと、これまで見たことがないほど綺麗な笑顔を浮かべ答えた。
「はい……喜んで……」
その言葉を聞いて、僕の心はとても暖かいものに満ち溢れていく。
「ありがとう……ありがとう雪希……」
結ばれた……僕と雪希は……一つになったんだ。
僕はフニャリとクシャクシャの泣き笑いを浮かべる。
そんな僕たちを見て幸輔が大きな拍手をする。
「おめでとうお二人さん! なんだよなんだよ! クリスマスイブに結婚とは随分洒落込んでるじゃねーか! でもお前らっ……お前ら本当に、すげー似合ってるぜっ……!」
ボロボロと大粒の涙を流し、くしゃくしゃに歪んだ顔を無理やり笑顔にして、幸輔が僕たちを祝福してくれる。
「ありがとう……幸輔君」
雪希が幸輔の名前を呼ぶ。
「雪希ちゃん!? 今、俺の名前……!」
「夏輝と……いつまでも……親友で……いてあげて」
幸輔に優しい笑みを浮かべながら雪希が言う。
「っ……! あぁ……ああ! 心配しなくても俺たちはずっと親友だ! 夏輝がもう嫌だっつっても離れてなんかやらないから安心しろよ!」
ボロボロと涙を零しながらグッと親指を突き立て、幸輔は雪希に最高の笑顔を返す。
安心したように雪希は笑うと、今度はお母さんと秋葉ちゃんの方を向く。
「雪希……結婚おめでとう」
「おめでとう……おねえちゃん!」
家族からの祝福を受けて、雪希がとても嬉しそうに笑う。
そして僕は気付いていた。医者が先ほどから、何も処置をすることなくただ僕たちを見守っていることを。それが何を意味しているのかを……。心電図の線が……もうほとんど直線になっていることを……。
『カラカラカラカラ……』
「ありがとう……お母さん……秋葉。エヘヘ……私……とうとう……お嫁さんになっちゃったよ……」
その言葉を聞いて、『お母さん』が繋いでいる僕と雪希の手を包み込むようにして、自分の手をのせる。
「良かったわね雪希。小さい頃からの夢だったものね……夏輝君のお嫁さんになること……。本当に叶って、良かったわね……」
お母さんがとても嬉しそうに言う。
「ねぇ……お母さん」
「ん?なぁに雪希?」
雪希がお母さんの顔を見つめる。穏やかな、本当に穏やかな顔で……。
「今まで……本当に……ありがとね……。私……お母さんの子供に……生まれて……本当に……良かった……」
その言葉を聞いたお母さんの顔が一瞬クシャリと歪む。でもすぐにいつもの穏やかな笑顔を見せて、雪希を見る。
なんて……強い人なんだろう。
「それはこっちの台詞よ。雪希も秋葉も、私の娘に生まれてきてくれて本当にありがとう……。それと、いっぱい苦労かけて……ごめんね」
雪希が小さく首を横に振る。
「秋葉……あんまり……いいお姉ちゃんじゃなくて……ごめんね……。お母さんの事……よろしくね……」
秋葉ちゃんの方を向いて優しい笑顔で雪希がそう言う。
「私もお姉ちゃんがお姉ちゃんで良かった……本当に良かったよっ……!」
涙で顔がクシャクシャの秋葉ちゃんを見て、雪希は嬉しそうに笑った後……雪希は静かに僕の方を見る。
「雪希……一つ目の二つ目のお願い、ちゃんと守ったよ」
僕は止まらない涙を拭きながら雪希に報告する。
「三……つ目……は?」
そう言う雪希は笑っていた。そう、その結果を雪希は知っている……そんな悪戯っ子のような顔だ。
「ごめん雪希……それだけは一生かかっても叶えられそうにないよ」
僕は答える……満面の笑顔で。
「ふふっ……そうだと……思った……。本当に……しょうがない……なぁ……」
雪希もまた満面の笑顔でそう言う。
「ねえ……夏輝……」
僕の名を呼ぶ雪希の呼吸がどんどん弱くなっていく。瞼は今にもくっつきそうで、それを必死に雪希は堪えている。
僕も雪希もわかっているのだ……その瞼は閉じたら最後、開く日はもう二度と来ないことを。
「ん、なに?」
僕はどんどん冷たくなっていく雪希の手を、更にギュッと握る。少しでも雪希の暖かさを逃がさないように……少しでも雪希の命を零させぬように。
「お願い……守れなかった……代わりに……プレゼント……もう一つ……。……んっ」
途切れ途切れに言う雪希の唇を僕はそっと自分の唇で塞ぐ。
このまま……時が止まってしまえばいい。僕は切に願った。
もう少し……もう少しだけ……!
『カラカラカラカラ……』
ゆっくりと唇を離す。
雪希は笑顔だ。
僕も笑顔だ……笑顔のはずだ。
雪希の唇が動く。
声はもう聞こえない。
でも僕にはわかる。
だから僕もこう言うんだ。
『夏輝、大好きだよ』
『雪希、大好きだ』
『カラカラカラカラから……カチッ!』
カセットテープが止まる音。
ピーーーという無機質な電信音。
泣き崩れるお母さんと秋葉ちゃん。
唇を噛み締める幸輔。
安らかな顔で眠る雪希。
雪希の頭を撫でる。
そして僕は頬に手をあて、言えなかった言葉を伝えた。
建物はきらびやかなイルミネーションを着飾り、そこら中からは定番のクリスマスソングが揚々と流れている。そして一夜限りの夢の国を楽しむ幸せそうなカップルや幸せそうな家族。
袋の中には二つのプレゼントと一つの奇跡。
その二つを大事な人に渡せた弱虫サンタ。
1つの聖夜の奇跡を起こした弱虫サンタ。
役目を終えた弱虫サンタは静かに告げる。
永遠の眠り姫となった恋人に向かって……。
--- メリー、クリスマス…… ---




