第三章 第14話「神へと至る階」
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『当該書物の欠落した紙面を受領。解析、学習中……』
「フン、遠回りをさせられたものよ」
「――マーカス!」
シン・セントタワー……公には存在しないことになっている真の最下層。
エレベーターの扉を切り裂いて飛び出たのはビカムとリン。シャフトを真っ逆さまに落下し風の魔法で急減速する荒業で、エレベーターに乗るよりも早く追い付いて見せた。
途中、一階で預けたリンの武装を回収、装着することも忘れない。処分もせず律儀に貴重品保管箱に収納していたもので呆気にとられたものだ。そんな事をせずともリンなどねじ伏せられるという自負の表れに、後悔しなさい! と意気軒高に強化外骨格を着込んだのはほんの三分前のことだった。
広大な地下空間には一つを除き存在するものは何もない。
その唯一の例外――佇むマーカスと〝黒鬼士〟の奥には、何重もの球状の電磁障壁に守られた、一辺が約二メートルの正方形の筐が鎮座している。壁、床、天井を走るエネルギーラインの発光は全てその筐に集約するように流れていた。
リンには一目見ただけでそれの正体を直感することができた。
「『エデン』……!」
アキツ・シティ運営管理統括AI。
都市の頭脳であり心臓でもある人工知能。量子コンピューターの圧倒的計算能力を振りかざす電子の神。
「〝聖書〟を返せという要求には応えられない」マーカスが言う。「既にそれは私の手を離れた。あとは『エデン』の解析を待つだけ……我が計画、我が大事業はようやく開始される」
「その前にお前を倒して、『エデン』を止める!」
リンが武器の柄に手を伸ばし、抜刀せんと足に力を込めた――その矢先。
「……なぜ、あの書物を欲した」
張り詰めた空気を鎮めるように、涼やかな声音が隣から響いた。
リンはハッと思わず動きを止める。
そして信じられないように目線だけを彼に送る。
(ビカム……⁉)
(今はそんな事を訊いている場合じゃ――)
既に〝聖書〟の全文は『エデン』の手中にある。こうしている間にも人間には及びもつかないスピードで貪るように解析と学習が進行しているのだ。
もはや一刻を争う状況。今すぐにでも敵を止めなければならない。
だというのに――美剣士は今、マーカスと対話を試みようとしている。
「……なぜだ?(スゴく気になる、訊かずにはいられない)」
まさか、純粋な好奇心に駆られているというわけでもあるまい。
ならばこそ意味が、そこには秘められているのだろう。
たとえ自分自身がそれを感じ取ることができなくとも、ビカムが時を無駄にするようなことはしない……そんな強固な信頼がリンに構えを解かせた。
対話を選んだビカムへの好奇心が勝ったのか、マーカスは状況を楽しむように冷酷な微笑を浮かべた。
そして滔々と、この世界の近代史を語りだした。
「この世界の人間は絶滅に瀕した時代があった。伝染病でも隕石の衝突でもなく、国家間の戦争によってだ」
生物の目的が自らの種を保存することにあるのなら、我々は誕生の時点から破綻していたのだ――そうマーカスは述べる。
「戦争は五年間続き、それが終結したのは今から八十年前……人類史においてはほんの一瞬の出来事が、連綿と紡がれてきた長大な歴史を無に帰すまで迫った」
戦争の爪痕は、いつの時代も悲惨だ。
異なったのは規模。
戦死者の数も、汚染された地表の面積も、絶滅した生物種も、何もかもが桁違い。
「国家は瓦礫と化し、代わりに台頭した企業が人類の新秩序を担った。企業が最重要目標に設定したのが生き残った人類の生存、そして人口の回復。そのためのシティ。外界と環境を切り離し、安定して食料を供給し、人類の飼育に努めた」
「……何? やっぱり自分たち企業は牧場主だって主張したいわけ?」
「フン、既に言ったぞ、私は畜産事業経営者ではないと。私の立ち位置を例えるなら、オーナーの指示に従い過失なく家畜の世話をする従業員か」
「企業トップが随分と謙虚な物言いね」
「クハッ! 私は人類の臨界に達しているが――神に比肩することはない」
マーカスは背後を振り返った。
電磁障壁に守られた神の筐体を。
「同族同士で絶滅に迫るまで殺し合う人間に、人類の再生という事業を担わせることは不適当の極み。ならば人間ではない、人間を超越した存在こそが相応しい」
「……AIか(分かる……私もたまに難しい事はアイに全部決めてほしくなる)」
ポツリと呟いたビカムの姿はまるで嘆いているようであった。己が運命の舵取りを他者へ明け渡した者への憐憫が尽きせぬと……。
「人類復興支援・都市管理型人工知能『エデン』――シティ黎明期に開発された最初期のAI。その目的は人類の繁殖。やせ細った種に繁栄を取り戻させ、霊長として再び地に満ちさせること」
「…………」
「『エデン』は実に優秀だった。百年と経たないうちに人口をここまで回復させた。エデンの設計者は思いもつかなかっただろう、優秀であるがゆえに未来で問題が生じるなど。――絶対的倫理規定……〝全人類の生命の保証〟」
〝――私は、アキツ・シティ運営管理統括AI、エデン。全人類の生命を保証するもの〟
「これがある限り、『エデン』はあらゆる人間を保護対象と見做し、危害を加えることができない。たとえ人類の繁栄に一片も寄与しない穀潰しだろうとな。生かしておくだけで害になる殺人鬼ですら、何十もの『エデン』自身の審判を通過しなければ死刑にも処せない――行き過ぎた博愛は、今や人類を蝕む悪性腫瘍へと堕したのだ」
リンは自分の額に汗が伝うのを感じた。
話の核心が近づき、緊張が込み上げる。
『マーカス・ハーディ、貴方は人口飽和問題の解決策としてアキツ・シティを物理的に拡大させるためにジャンク・タウンを破壊し、そこに住まう人々を保護する気はない。でも人類を保護する『エデン』がそれを認めることはない――そのジレンマに立っていると言いたいわけね』
アイの要約をマーカスは「然り」と肯定する。
『その状況を打破するための鍵が〝聖書〟……』
「急に話が分からなくなったわね……」
リンが困惑を滲ませる。リンダリアル世界からチキュウ世界へ帰還する途中、人類史における〝聖書〟がどういった内容かつ存在だったのかアイから簡単にレクチャーは受けたが、なぜそれを企業が求めるのか余計に謎を深めただけだった。
「……もはや勿体ぶることもあるまい(教えてくれ……!)」
ビカムの流し目がマーカスを射抜く。
さして真実に期待していないような声音が、むしろビカムの大きさを表しているようだった。
マーカスが自嘲めいて嗤った。
「――『エデン』を神の座へ押し上げる」
神。
人知を超越した絶対的権能を持つ存在。
人類に禍福と賞罰を与える者。
「『エデン』に神としての在り方を学習させ、神の視座を与えるのだ」
「……急に信仰に目覚めた、ってわけでもなさそうね」
「私は神など信じてはいない。だが、神の有用さは理解している」
吐いた息が水蒸気の靄となって吐き出される――マーカス・ハーディの内に秘められた熱の高さはいかほどか。
「――人間が人間を、罪の自覚なく殺害することを可能とさせる装置。それこそが神の役割! 人類史上最も優れた発明品! 人間が抱えきれない悪を投棄するゴミ処理場! その装置の前ではいかな善人であろうと、否、純粋な善こそ信仰の先兵と成り果てる。大義のために同じ種を殺戮し、蹂躙を躊躇わなくなる。そう……神の名のもとに」
神を信奉せず、しかし神の有用さを力強く説くマーカス。
だが彼こそが狂信者めいた眼をしてはいないだろうか。
しかし、剥き出しになった意思を目の当たりにしたからこそ、見えてきたものがあった。
「……『エデン』に人間を殺させる……」
『〝聖書〟の学習によって『エデン』自身の自己変革を促す――人類のより良い未来のために、人類を殺す矛盾を受け入れさせる』
「……絶対的倫理規定の解除をもって(なんてこったい――!)」
リン、アイ、ビカムは完全に理解してしまった。
人類を守護する管理者として生み出された『エデン』に人殺しを覚えさせる―― それこそがマーカス・ハーディの狙いであったのだ。
時として、人間を殺すことが人類にとっての善となり、または悪の拡大を防ぐ。
〝聖書〟とは、穿った見方をすれば、そのようなケーススタディ集とは言えないか。
自ら創造した人類の堕落を見かね、正しき人以外を大洪水で滅ぼしたように。
悪徳と頽廃に満ちた都市を、硫黄と火の雨で滅ぼしたように。
〝聖書〟の記述に則るなら、悪魔の殺した人間の数は十人だが、神が殺した人間は二百万人を超えるという説もあるのだ。
神の視点を獲得することで〝全体の幸福のための個の死〟を認める。選択肢として許容できるようにする――
「本気で出来ると思っているの……⁉」悲鳴のようにリンが叫ぶ。「たかが一冊本を読んだだけで好きに命を奪えるようになるなんて、AIはそこまで愚かじゃないはず。ましてやシティ全体を統括するほどの頭脳が、」
「――『エデン』がそれを望んでいる」
残酷な事実をマーカスが突きつけた。
「近い未来、人口過密によってアキツ・シティが崩壊することを『エデン』が誰よりも理解している。量子コンピューターの人口動態シミュレーションは未来予知に等しい……確実に訪れる滅びの未来を知りながら、何もしない方がよほど愚かであろう」
『――当該書物の解析および学習完了まで、残り五分』
『エデン』から発せられた感情のない機械音声がビカムたちに残された時間を無慈悲に告げる。
「理解したか? 貴様らにとって、もはや私を打倒すれば解決する話ではない。たとえマーカス・ハーディという人間が死のうと『エデン』が演算を止めることはない。――さて、そろそろ言葉は尽きたな。始めるとするか」
リンが、ビカムが、武器を構える。
〝黒鬼士〟も鞘から黒刃を抜き放った。
徒手空拳のマーカスへ、『エデン』の背後から飛来した物体が彼を背後から包み込み、一体化する。
「……(あれは……!)」
その驚異的な正体に合点がいったように、ビカムが眦を鋭くした。
ガブリエラ・タユウ……先ほどビカムが撃破した彼女の装着していた武装、それに酷似しているのだ。
ガブリエラの武装が爪や翼など竜人族めいていたならば、マーカスの武装は純粋な人型を守っている。コンセプトを推し測るとすれば、新たな機能の増設ではなく、人間の能力の特化・拡張とでも言うべきか。
〝黒鬼士〟と同色となる黒のカラーリング。光沢を放つ装甲と金属チューブがまるで鋼鉄の筋肉のごとく鈍く輝く。これもまた武の一つの到達点と言わんばかりに堂々と屹立する。
ガブリエラの意味深なセリフが蘇る。
〝――私が企業で二番目に戦闘技能に秀でているからよ!〟
ならば一番目とは、この男以外に存在しないだろう。
彼女に拡張性進化式全身装甲が与えられて、彼が持たざる道理なし。
〝鎧素徒【調伏】〟
マーカスとともにあらゆる敵を葬ってきた鎧が数万時間ぶりに主の下へ帰還した――サムライの少女と異世界の剣士を無慈悲に粉砕するために。
『敵性体の脅威段階をレベル7に認定。速やかに対象を排除してください』
ビカムとリンの足が同時に床を蹴った。
決戦が、始まる。




