第二章 第39話「三面六臂」
輝けるフェーレが通り抜けた線上には『怪物の煙』の核たる器も存在しており、逃すことなく真っ二つにされていた。
器を破壊された以上、魔法生物が存在を保てるはずもなく、分身体は端から塵と化して崩壊する。
「……(よし、倒した)」
『やったわね』
ともあれ、アイはビカムの勝利に喜びを滲ませる。
――『怪物の煙』の器から大量の恐怖の象が飛び出すまでは。
ビカムがことごとく斬り捨てた恐ろしい怪物たちが堰を切ったように空間に溢れ出す。
「……(あれッ⁉ 倒せてない⁉)」
『なっ……! まさかっ、マズダーはここまで読んで……!』
ストックした恐怖の象にも魔法生物の器を与え、破壊されると同時にそれらを解き放つ……
マズダーはそんなギミックを『怪物の煙』に仕込んでいたのだ!
内臓魔力を使い果たせば消滅する最後っ屁の嫌がらせのはずだった――しかし、今や魔力を自発的に吸収する変質はストックたちにも継承されていた。
狼が、鷹が、蟲が、鳥が、竜が、恐ろしき有象無象の大群が、自然消滅することなく命令のまま暴れ尽くすだろう。
まさに悪夢としか言いようがない。
このまま何もしなければ事態は取り返しがつかなくなる。
「……終わりだ(私は、とんでもない事をやらかしてしまった……)」
そう――何もしなければ。
ミシミシミシ――バキィッ!
何かが軋み、割れる音。
増殖するように空を埋め尽くさんとしていた恐怖の象たちは……映像を巻き戻すかのごとく出現した一点に吸い込まれていく。
凄まじい吸引の風に、ビカムは地にフェーレを突き立て耐えしのぐ。
恐怖の象たちが吸い込まれた先には虚空……空間に開いた漆黒の切れ目が存在した。
あれほど大量にいた恐怖の象は、その全てがあっけなく呑み込まれ、
空間の切れ目は端から徐々に修復されていき――跡形もなく消え去った。
風は、止んだ。
「……(気合いが入って空間まで斬り過ぎたか……でもお陰でなんとかなった……)」
『そう……そういう事だったのね――』
アイの声は驚きのあまり感情の抜け落ちたような音声を発することしかできなかった。
――ビカムはここまで予見して、霊剣フェーレを解放したのだ。
ハイテク銃でも器を撃ち抜くことはできた……だが、それでは膨大な数の恐怖の象に対処しきれず、討ち漏らしたものが深刻な被害を生んだだろう。
最悪の事態を防ぐため、ビカムはあえて消耗著しいフェーレの解放を行い、器を空間ごと斬った。
溢れ出した恐怖の象はしかし、傷つけられた空間から虚空――次元と次元の狭間、吸い込まれたら最後どうなるか分からない――へ追放することで悲劇を回避してみせたのだ。
この男を除いて、いったい誰が同じ事を出来ようか?
『未来を占うというのは、むしろ貴方にこそ相応しいわね、ビカム』
もはやアイにはかける言葉を見つけることができなかった。粘土板の古代文字から現代のサブカルチャー用語まで幅広く言語を蓄積したAIが、よもや言葉に窮するなど……。
ともあれ、〝四鬼天〟が一人である〝鬼術師〟マズダーは完全に撃破したと判断してよいだろう。
虚空が開いた影響で『怪物の煙』が消滅し、周囲の視界が回復する。
煙が晴れたビカムの視線の先、
――今まさに〝黒鬼士〟に斬られ、地に倒れ行く少女の姿が。
「――リン殿……!」
風を置き去りに駆け寄らんと踏み出した美剣士。
その眼前に立ちはだかる影があった。
三つの頭部、六つの腕。
「……(貴様は……!)」
――〝鬼神〟ラクシュナ。
ビカムの目の前に立ちはだかったのは三面六臂の鬼だった。
***
無秩序に錯綜する記憶、情報。
それを思考と呼んでいいのか分からない。
なにせ頭を半分割られている。普通の生物なら死んでいるはずなのに、脳は機能不全を起こしつつも停止してはいなかった。
ずっと疑問だった。
なぜ鬼族はわざわざ過酷な鍛錬を経て頭を裂き、〝鬼神〟になろうとするのか。
鬼族の気質に従い、命果てるまで戦い続ければいいのに。頭を割ってしまえば別人のように大人しくなってしまうというのに。
何も余計な事を考えず、次の相手を求めて世を流離い、強者と死闘を繰り広げる。
それこそが我らの本懐ではないのか?
戦いの中で死ねるなんて、最高ではないか?
〝――闘争を欲する鬼よ。終わりなき闘争を選ばんとする子よ。その道の険しさを理解しているか?〟
――今なら分かる。奴の言っていたことが。
〝鬼神〟は知っていたのだ。終わらない闘争という恐怖を。
どれだけ勝利を重ねようと、戦い続けた最後に何が自分たちを待っているのか。
――何も。
なぜなら鬼族は闘争こそが目的だ。何かのために戦うのではない。戦うために戦うのだ。
何かを成し遂げる、何かを残す――そんな雑念は必要ないと進化の過程で捨て去った。
だが、知ってしまった。恐怖を。
勝った後にも負けた後にも何一つ残らないという恐怖。何も残らないと気づきながら、それでも種族的本能として闘争を求めてしまう恐怖。無為と分かりながら死するまで繰り返す恐怖……。
だから最初の〝鬼神〟は頭を引き裂いたのだ。鬼族に不要な事を考えてしまう脳をズタズタにしてしまいたかったのだ。
結果としてその行いが闘争本能からの脱却を成し遂げるものだったのは、奇跡と言うべきか偶然の悪戯と言うべきか分からない。
〝鬼神〟の出現が二、三百年に一人というのも納得だ。昇華の修行の意味も分からず後追いをしていた連中はことごとく耐え切れず諦め、真に鬼の性に苦悩し救いを求める者こそ昇華しうるのだろう。
ならば今こそ――彼女にとって、その時だ。
「あ、あ、あ……」
傷口の割れ目に両手の指を突き込み、左右に押し広げる。
『怪物の煙』の中に浮かんだシルエットが劇的な変化を遂げていく……半分に引き裂かれた頭部、左右それぞれの断面からボコボコと肉が盛り上がり元の形を取り戻そうとする。
そこで煙は一層濃くなり、骨肉を引き裂き血の滴る凄絶な音だけが響き続ける。
……やがて音は途絶えた。
同じくして、ビカムがマズダーと『怪物の煙』を討ったことにより、視界を遮っていた紫の煙も消滅していく。
そこにいたのは、〝鬼神〟にまで昇華を果たしたラクシュナだった。
三つの頭部に六つの腕……見た目だけではなく、今や彼女が醸し出す雰囲気もまったく別人のそれとなっている。
なお虎柄のチューブトップは激しい戦いの最中に千切れ飛んでおり、煙が晴れた現在極めてけしからん状態が予想されたのだが、腕のうち一対を胸の前で組んでいたため、大事なものは辛うじて隠されていたことを説明しておく。
「……(貴様は……!)」
異質な存在へと変態を遂げたラクシュナに、さしものビカムも足を止められた。
以前のラクシュナならそれだけで己に喜悦を覚えていただろうが、今や落ち着き払った表情を見せるのみ。
「「「――礼を言おう。美剣士ビカム」」」
ラクシュナの第一声は、感謝の言葉だった。
「「「貴様との闘争を経て、我は己が種族の宿業から脱却することができた」」」
彼女は過酷な修行すらせず、しかも〝亜鬼神〟の段階すら一気に超えて〝鬼神〟へと到達した。
〝――汝にはまさしく闘争こそが昇華の道。我らも及ばぬ、恐るべき真の鬼子よ〟
だがそれは、先人たる幻霧山の〝鬼神〟が予言したとおりだ。
鬼族の中でも純然たる闘争の申し子だった彼女ならば、肉体を苛め抜く修行ではなく、歴代鬼族の誰もが不可能であった戦いの中での昇華を成し遂げると。
伝説の美剣士を敵に迎えることで、種族の宿願は叶った。
「(凄く姿が変わっている。怖っ)……そこを退け(早くしないとリン殿が)」
――しかし、それが何の妨げになろうというのか。
そう言わんばかりにビカムの表情は凛々しく、眦は決していた。
「「「あの娘が大事か」」」
ラクシュナの一番近い方の首がリンに向く。
「「「……であるならば、我はなおさら汝の前に立ちはだかろう、ビカムよ」」」
「……退け」
ビカムの言葉は、もはや絶対零度の冷たさを帯びていた。
眼差しはいつも以上に鋭く、常人であれば視線だけで心を千々に引き裂かれているだろう。
だが、昇華を果たし涅槃を得た〝鬼神〟ラクシュナを退かせるには至らない。
むしろ彼女の三面は笑みを浮かべる。
「「「――貴様、我を相手に本気を出していなかっただろう」」」
あの戦いを目にした者が聞いたならば、真に信じられない言葉であろう。
あのラクシュナの暴力の嵐をいなした剣の技巧は、マズダーですら内心冷や汗を浮かべたほどの神業。
その剣術を己が身に刻まれてなお、ビカムは本気ではなかったと言い切った。
「「「出し方が分からないというならば、我が引き出してやろう、美剣士ビカムよ」」」
リンへ一直線に疾駆するビカム。
その進路上に立ちはだかったラクシュナ。
振るわれた霊剣フェーレは〝鬼神〟の掌で華麗に逸らされ、別の手が美身を遠く弾き飛ばす。一連の動作は、かつてのラクシュナを思い起こさせないほど流麗かつ完成されていた。
「「「我はこの涅槃の境地を味わいたいのだ。そのためにはビカム、貴様の全力を我にぶつけてくれ。究極の闘いをしよう」」」
闘気を充溢させた三面六臂が告げる。
「「「ここまで言わねば分からんか? ――我を倒さねば、あの娘が死ぬぞ?」」」
「――――」
ビカムを中心に、平原の下草が放射状に揺れ広がった。
美剣士の肉体から漏れ出た魔力放射。精神の変化に伴い生物が無意識に放つそれは、ビカムの場合、魔法使いであれば杖を捨てて降伏を迷いなく選ぶほどの圧に達していた。
ゆえにこそラクシュナは微笑んだ――目の前の相手が、今度こそ本気で自分を殺しに来る〝覚悟〟を決めたことに。
ビカムの爆発的踏み込みが大地を抉りぬいた。
弾丸のごとく射出された美身は一瞬で〝鬼神〟へ肉薄する。
迎え撃つ三対の腕が、まるで一切衆生を掻き抱き慈悲を示さんとするがごとく、全方位から美剣士を襲撃した。
正拳、側拳、裏拳、掌打、手刀、貫手――
六本の腕から繰り出されるありとあらゆる徒手空拳の技。
迎え撃つは研ぎ澄まされた剣術。
鋼と肉の打ち合いであるはすのそれが、甲高い衝撃音を迸らせる。
戦いは十秒にも満たなかっただろう。
しかし、十日十夜にもわたる戦をその一瞬に凝縮させたかのような濃密さであった。
最後、ビカムが前進と同時に剣を横薙ぎに振り抜き、
――その後方にて、〝鬼神〟ラクシュナは百を超える部位に切り刻まれ敗北していた。
「「「ありがとう」」」
良い闘いだった――武を追い求めた鬼の呟きは果たして届いていただろうか。勢いそのままビカムは駆ける。
すらりと伸びた美脚は、だが急停止を命じられた。
「……(リン殿! これは……⁉)」
――前方から噴火のごとく、莫大な魔力が立ち昇った。




