第二章 第19話「大使」
ビカムはいったい何を語ろうとしたのか。
――突如鳴り響いたノックの音によって、それは永久に明かされることはなくなった。
「失礼いたします」
許しを得て、宿の支配人が申し訳なさそうに入室してくる。リンは救われた気持ちになった。
賓客二名からの視線に物怖じせず老紳士が言う。
「今、王城からの大使を乗せた馬車が当館にお越しになられております。至急ビカム様とお会いしたいと。……いかがいたしましょう?」
言外に「不都合ならこちらで断りを入れておく」とのニュアンスを含んだ言い方であった。王の使い相手に対して、凄まじい肝の座り様である。
他国の大使が宿泊することもある『黄金の鷹の止まり木亭』は、高貴な者同士が直接やり取りするのに都合が悪い場合、従業員がメッセンジャーを担うことも多い。特に、否定的な回答を伝える難しい役割は並々ならぬ胆力と気遣いを要求される。同じ宿泊業でも安宿の主人ならこうはいかないだろう。
「……会おう(ギルド長が連絡してくれた件かな? それにしてはやたら反応が早い)」
ビカムが音もなく椅子から立ち上がる。
扉まで進んだ時、リンの方を振り返る。
「……リン殿はここで待っていてほしい。戻ってきたら……続きを話そう」
「……(〝異界渡り〟になった理由か……リン殿が聞いたら呆れるかもしれないな。私の恵まれた身の上でそのようなことを、と)」
清掃の行き届いた廊下を静々と進むビカム。
先ほどのリンとの会話は彼にどんな感情をもたらしたのか。表情からは読み取れない。
やがて階上に姿を見せた麗しきエルフを、ロビーで不動の姿勢を取っていた王の使者は恭しく迎えた。
「……大使殿とお見受けする(嗚呼、何を言われるのだろう……)」
三十代後半と見られるその男は預かった言葉を逞しい声量で伝えた。
「はっ! 突然の訪問、失礼いたします! ――国王陛下の命により、ビカム様のお迎えに参りました! 可能な限り早急に謁見を行いたいというのが、陛下の思し召しであります!」
「……(!?!?!?!?!?)」
待ち望んだ面会を告げられてなお、ビカムは彫像のように動かなかった。
「……(ええ……? 私はヨランパ殿に会いたいだけなのに、何がどうなって謁見という話になるんだ……? 嫌だ、行きたくない。だが断れば……。どうしよう)」
極めて砕けた言い方をすれば、王からの直々の呼び出し。エスタード王国の人間であれば栄誉に恐懼し、断れようはずもない。
しかし、どうだろう。
ビカムの様子は、まるで謁見する以外の選択肢があるかのごとく、選び取った先で分岐する無数の未来を一つ一つ見定めているようだった。
そんな類を見ない反応に、大使の内心は極限の緊張に包まれていた。
――定められた相手に王命を告げるまで、大使は王と同じ存在となる。
もちろん大袈裟な表現ではある。だが、もし大使に無礼を働こうものなら、それは王の顔に泥を塗ることに等しく、狼藉者が他国民であれば外交問題にまで発展する。
権力ではなく権威を帯びた役割。それゆえに相対する者は皆一様に恐れおののき、畏まるものだ。
しかし、今目の前に佇む存在は、この国で最も高貴なる存在の命を受けてなお、わずかな動揺すら見せることがない。まるで対等の相手から気安く話しかけられたような、そんな落ち着き方なのだ。不思議な事に、それを不敬だと思わない自分がいた。
今さらながら任務の重要性を認識する――たとえ命に代えても必ず連れてくるよう厳命された時は表向き畏まりながらも、心のどこかで難題になろうはずもないと高を括っていた。民にとって、王の命に是非など無いのだから。
大使は理解した――もし、この方を玉座の前にお連れできなければ、家の破滅すらありえる……!
「(……! そうだっ!)……自分は今、チキュウ人の連れ合いと一緒にいる。その者まで王城に登らせるのは前例に無い。ゆえに申し訳ないが……(これなら角なく断れるだろう……!)」
ビカムはリンと共に行動している事を理由に断った。
確かに、リンダリアル世界においてチキュウ人の評判が悪いのは周知の事実であり、そんな出自の者を王の眼前に引き出すなど、たとえ王その人が許しても近臣たちが止めることは間違いなかった。
しかし、もしこれを伝え聞いた者たちはこう思うのではないか――一緒に王城に行ったとしてもビカムだけ会えばよいのでは? というか、そもそもリンだけこの宿で待たせておけばいいのでは? ……と。
そうではない――そうでは、ないのだ。
そんな反論が来ることなど、言われるまでもなくビカムは承知している。
子供でも思いつきそうな解決策があることは当たり前に理解した上なのだ。
いったいビカムを何だと思っている?
彼は理屈を捏ねたいのではい、己が意思を示したいのだ。〝断る〟という明確な意思を。結論が変わらないなら、理屈など建前に過ぎないのだから。
そして大使に任じられるほど気心の効く者が、その意を汲めないはずもなし。
穴だらけの断りの理由を考えなしに突き崩せば、「……言葉の裏も読めぬ粗忽者よ」と侮られ、それは王の威光を傷つける愚行となるは必至!
「――ッ……‼」
王はビカムを絶対に連れてこいと命じた。
ビカムは王の下に行きたくないと言った。
究極の二律背反――これを回避するには、ビカムですら完璧な論理に唸らざるをえない〝新たなる理屈〟を捻り出さなければならない。
出来るだろうか、たかが一役人に過ぎない自分に。
(――出来る出来ないじゃない、やるしかないんだッ!)
大使の目が決意の光を帯びる――!
「――大丈夫です! 陛下はビカム様のお連れ様にもお会いすると仰せです!」
出来なかった。さすがに無理だった。
出来なかったがやるしかないので、大使は嘘をぶっこいた。
(ああ、終わった、俺の人生……)
なんでこんな事言ってしまったんだろう、冷静に考えれば絶対ダメなのに……体の芯からサーっと熱が引いていくも、一度口にした言葉は取り消せない。
「……、…………、……………………」
面貌端正なる〝異界渡り〟はゆっくりと言葉を咀嚼する。
瞳を閉じ、厳かな空気を従えて身じろぎもしない姿は、さながら深山幽谷の仙人か、または古塔頂きの星見の賢者か。
果たして――
「…………承知した……(それを言われたら上手く断る口実が無いじゃないか……)」
――ここにビカムとリン、王城への登城が決定した!
大使は胸を撫でおろし、そして諦めの表情で自らの首を撫でたのであった。
……余談だが、大使が王命を超えて勝手な判断をしたことは当然大問題になる。
しかし、王妃・王太后・王女・公爵令嬢の連名による取り成しによって、彼はしでかした事に対して極めて異例の、お咎めなしとなった(どころか金一封を褒美に下賜された)。
後に外務大臣となった彼は回顧録で、「人生で間違いなく、一番緊張した瞬間だった。長年の敵国と休戦条約を取りまとめた時よりも」と書き記している。




