話し合い
「私、そんなに綾さんに似ているんですか?」
「ああ、似ている」
「加藤先生のことずっと好きでしたから、私本当にとてもうれしいです。ただ今は綾さ
んに似ているだけで私に関心を抱いているみたいだから、本当の相馬杏を知ってもらう
ために、私努力しますね」
「気持ちはありがたいけど、今の立場では何とも言えない。まだ沙織との関係も続いて
いるし」
「わかっています。私、待っていますから」
智樹の心境を杏は理解できた。まだこれから越えていかなければならない壁もある。
婚約者の沙織、そして亡くなった元彼女綾。でも幸せはいくら困難でも、掴み取らなく
ては。せっかくここまでこぎ付けた努力も無駄にしたくない。杏は智樹のほんのひと時
の幸せを感じながら、明日に思いを馳せた。
※
いつまでも沙織を悩ませておくのは良くない。智樹は直接沙織と会って、一連の婚約
解消について結論を出せなければならない。智樹の方からプロポーズしておきながら、
こんな結果になった責任を智樹は感じていた。
実家では両親からこっぴとく咎められた。父には平手で殴られ、母には泣かれた。も
はや勘当寸前といったところだろうか。智樹の両親と沙織の両親は既に仲も良かったし、
こうなるのはわかっていたことだった。智樹の起こした事は世間から見れば非常識であ
ることは間違いない。
そんな思いもあって早く沙織と話しておきたかった。本来なら結婚式が行われるはず
だったクリスマスイヴの2週間前のある平日の夜、智樹は沙織を近くのイタリアンレス
トランに沙織を呼び出した。年末ということで仕事は忙しかったのだが、お互いそれぞ
れの人生がかかっていることなので、無理に来てもらった。そこで智樹はある答えを
沙織に告げるつもりでいた。
「元気だった?」
雰囲気が重たい中、やっと思いついた言葉がこれだった。おしゃれでも何でもない質
問。しかし智樹にはこれが精一杯だった。
「そんな風に見える?だったら智樹はバカだよ」
沙織の答えに黙る智樹。なかなか言い出せない、自身の結論が。
「黙ってなんかいないで何とか言ってよ。あれからどうなったの、杏さんとの話し合い
は?」
沈黙に耐えられなかったのか、沙織の方から話を切り出した。しかし彼女の目はうつ
ろだった。悩んでいた様子が手に取るようにわかり、智樹はとても結論を言う状況では
なかった。
「相馬とは一度だけ話し合いをした。しかし大した会話はしていない。君が気にするよ
うなことではないよ」
「あの子、本気で智樹に惚れているわよ。高校生だったらよくあることだけど、ちゃん
と断らないと大変なことになるわよ」
「そうだね。話をきちんとして、断らないとね」
沙織の話に押され気味で、智樹はなかなか結論を言い出せずにいた。終始沙織ペース
で話し合いは続く。
「あれから何も事態は変わってないのね。私はてっきりあの子とはちゃんと話し合いを
して解決しているのかと思っていた。ねえ、私がどうして婚約解消という言葉を出した
かわかる?」
突然訊かれて、智樹は何も答えることができなかった。
「それはあなたが態度を改めて、私の元へ帰ってきてくれることを信じていたから。
軽い電気ショックを与えるつもりで言ったことなのに、智樹は本気にしたのね。なら
婚約破棄って結論が、あなたにとってのベストな選択なのかしら?」
沙織は以前智樹がプレゼントしたカバンの中からハンカチを取り出して、人目もはば
からずに泣いた。その姿を見て、自身の不甲斐なさを嘆いた。
「悪かったね。僕は沙織の本来の気持ちを知ることもできなくて。長年付き合ってきた
のに、何も理解してあげられなかった」
智樹が話し始めると、沙織は泣き止んだ。そして下を俯きながら、ゆっくりと話を訊
き始めた。
「この際沙織はこんな僕と別れて、他の男性と交際した方がいいと思う。正式に婚約
破棄という結論でどうだろうか?」
智樹が結論を言うと、沙織はコップに入っていた水を智樹に投げつけた。智樹の顔
に散った水がヒットする。たちまちびしょ濡れになってしまった。まわりの客は沙織の
取った行動に、一様に目を丸くしている。
「その答えで私が納得するとでも思っていた?とんでもないよ。私はずっと智樹のこと
を愛していたのよ。それがたまたまあの小娘が、昔の亡くなった恋人に似ていたからっ
て……。智樹が相馬とかいう子と本当に付き合う気があるなら、行動で示して。教師を
辞めるくらいの覚悟はあるんでしょう?」
辞める覚悟。智樹はそう言われてハッとした。果たしてそこまでの覚悟を、智樹は出
来ているのだろうか。
「ただもしそうではなくて、まだ綾さんの幻影を追っているだけなら、私がその代わり
になってあげることが出来る。あの子に出来て、私に出来ないはずがないわ。私はあの
子よりずっと大人なんだから」
そう言うと沙織は席を立って、店を後にした。二人の修羅場を見届けていた店員が、
慌てて智樹におしぼりを持ってきてくれた。智樹はそれで濡れた顔を拭った。これから
果たしてどうなってしまうのか。智樹は思案にくれながら、寂しい食事を一人きりで摂
った。




