10 目覚めて後に
目覚めて後に
「ん、クソ…あぁぁ」
今まで感じた事の無い重みを帯びた自身の瞼をゆっくり開けて目を覚ます想刃。意識状態は良好、頭痛もしない事から何とか好調であると判断したが、如何せん体が思うように動かなかった。
一度動かそうとすると、動かした体の一部分を通して全身へと痛覚が行き渡り、一瞬で激痛と化す。頭を少し上げてよくよく体を見てみると、首から肩から胴体まで布団で隠れた部分を含めてほぼ全身が包帯に巻かれていた。
「あの犬にやられた、か。胸糞悪りぃ…」
想刃は溜め息ついでに先ほどまで闘っていた椛の事を思い出し、苛立っていた。歯を食いしばりながら両手を拳に変えて強く握り、力んだ事で生じる痛みすら気にする事無く起き上がり、右拳を敷布団に叩きつけた。
ーー次は絶対に勝つ、そして殺す!
敷布団を殴った衝撃が痛覚に変わる前に現象として表れ、想刃の右手から肩までの傷が全て開き、白い包帯が一瞬で赤い血の色に染まった。しかし傷の開きによる痛覚は想刃の脳に伝わっていないように見えるほど想刃は憎悪で肉体の限界を超えていた。
「失礼しま〜す」
様子明る気な声で襖を開けて現れたのは緑髪の女で、御盆に乗せた食事と薬らしき紙包みを持ってきた。しかし彼女は想刃の右腕を見るや否や物凄い見幕で想刃の目の前に座した。
「何故自分を傷付けるんですか! 折角閉じていた傷を態々開いてまで、あなたは何故憎しみを滾らせるのですか⁉」
先ほどまでの穏やかな顔は何処へやら、女は目に涙を浮かべながら想刃を叱りつけるように怒号を放った。女の目に浮かぶ涙を見た想刃は僅かにうろたえた、そして直ぐに元に戻った。
「お前には関係無い、そして俺に関わるな」
「関係無くないです! そしてあなたがここに居る時点で私達は既に関わっています!」
「お前に俺の何がわかる! 突然現れて泣きながらゴチャゴチャ言いやがって、俺はテメェみたいな奴が大嫌いなんだよ!」
女は想刃の言葉を直ぐにいなし、想刃をまたもうろたえさせた。しかし、ここで言わせたままで居させるワケも無く、想刃は目を鋭くし、殺気と共に女に向けて怒りを飛ばした。
「そうだとしても、私達にとっては、掛け替えの無い繋がりなのです…! あなたがどう言う人であろうと、私達と関わったからには生きてもらいます! どうか、命を無駄にしないでください…!」
女は血の滴る想刃の右手を両手で優しく握り締め、涙ながらに想刃を心配した。再びうろたえた想刃は、優しく握る女の手を遠目のように見つめていた。
ーー俺は間違って無い。だが、この女の言葉には、一言一言に重みがあり、その全てが俺を心から気遣っている…
想刃はゆっくり目を瞑り、ただしっかりと女の手の温もりを血だらけの右手で感じた。暫らく後、想刃は右腕の包帯を替えてもらい、女が用意した食事を口にしていた。
「どうですか、お味の方は?」
「まぁまぁだな」
まぁまぁと言いながらも、勢い良く白飯をかっ込んでいる想刃の姿を見て、女は微笑んだ。しかし女の微笑む顔を見て尚、想刃は食事を無表情で食べ進める。
初めてだ、このような笑顔を見ながらの、暖かい食事は。思えば彼にとってこんなに暖かみに溢れた美味しい食事は今までに無かった気がするのだ。
ーー何だ、これは。仮親の所に居るよりずっとマシなのは確かだが、なんなんだ? この、心の底から湧き上がる気色の悪くて暖かいモノは…
「あ、今微笑った!」
「は?」
「今微笑いました、あなたが!」
「俺が? 何を言ってんだあんた、俺は微笑ってなんかいねぇぞ」
「ーーでは、無意識ですね!」
「大丈夫かあんた?」
想刃は疑うが、彼女の言う通りに想刃はその時、確かに微笑っていた。紅魔館の時でも同じように、無意識の内に、自分では全く気付かない内に微笑んでいた。
「ところで、あんた名前は?」
「あ、申し遅れました、私は…」
『東風谷 早苗だ!』
女が名前を口にしようとした瞬間、見事なタイミングで陽気な声が割って入ってきた。想刃にも女にもその声は実に聴き覚えがあり、馴染みがあった。
「魔理沙さん、戻ってたんですね」
「あぁ、今永遠亭に話を着けてきた。これから想刃と向かう。どうだ想刃? 体の方は」
「すこぶる悪い、と言っておく」
「なら大丈夫だな。よし、今から出るぞ」
「もう行くんですか? まだ傷は閉じ切ってませんし、もう少し休んだ方が…」
「俺は大丈夫だ、早く行くぞ」
魔理沙は現れて直ぐに想刃を永遠亭と言う場所に連れて行こうとしたが、早苗がそれを制止する。しかし想刃は立ち上がりながら早苗の制止を払い魔理沙の隣まで歩んだ。
「ん? おいあんた、俺が着てた服はどうした?」
ふと想刃は包帯のみを身に纏った自分の上半身に気が付き、先ほどまで着用していた執事服の事を早苗に訊いた。下半身にはスーツのズボンを履いているものの、さすがに上半身に同じ物を着てないと気が散る様子。
「え? あのスーツですか? あれなら後で縫おうと畳んで置いてあるんですが、このスーツ凄いですね…。素材全てが高級ブランド物です、しかも動きやすいように素材には一部綿を使って本来のスーツの硬さを無くしています…」
「無駄口叩いてないでさっさと寄越せ」
「あ、そんなぁ…」
早苗は手を叩いて部屋の隅から綺麗に畳まれた執事服の上を持ち出した。すると突然スーツの彼方此方を舐め回すように観察し始めた為、想刃は早苗が持った執事服を無理矢理取り上げた。
「これから何処へ行くんだ?」
「永遠亭って言う診療所に行くんだよ、お前の傷を治しにな。なぁに、お前を乗っけてもほんの数分で着くから待たずに済むぜ」
「あの…ホントに大丈夫なんですか? さっきの右腕の傷で包帯を変えたばかりなのに…」
「どうだっていい、それにこれから治すから要らない心配だ。いいからさっさと行くぞ」
想刃は早苗の心配を振り払いつつややボロボロに成り果てた執事服を包帯が巻かれた体に通す。しかし本来スーツの下に着る筈のシャツが椛との闘いで完全に破れてしまっている為、肌着スーツと言う形になった。
「じゃあ、世話になったな」
魔理沙は早苗に礼を言って襖を開いて出口へと歩き、想刃も魔理沙の後を付いて歩く。その時、想刃は出口へと向かう廊下を歩いている時、左右から自身にのみ集中する殺気に気が付く。
素早く目で左右を見ると、右には腕を組んだ紫髪の女と、左には帽子を被った金髪の少女が居た。しかし、想刃は膨大な殺気を全身に受けながら汗一つ流さない上、一瞬だけ右眼を緑色に変え、殺気を全て断ち切ると同時に、自身の全身からソレを遥かに上回る殺気を全体に放った。
「うッ…!?」
「わわッ…!?」
「うげッ!?」
想刃が全身から放った殺気は紫髪の女を怯ませ、金髪の少女を転げさせ、魔理沙に死に近い恐怖と衝撃を与えた。そして三人は同時に同じ事を思いの中で呟くのだった…
ーー何て恐ろしい奴なんだ…
人間の身にして妖怪以上の殺気を放つ想刃は、殺気のみならず、その身体能力すらも妖怪の域に達するほど。しかし何度も言うが、彼はあくまで人間、空も飛べない弱い人間なのだ。
出口を抜けて気が付けば、いつの間にか想刃の方が前を歩き、魔理沙が想刃の後ろを付いてくる形になっていた。魔理沙は頭を振って状態を回復し、想刃の前に立ってから箒に跨る。
「乗りな」
箒に跨った魔理沙は箒の先端である掃き部分の根元を叩く。しかし想刃は箒に乗ろうとせず、幻想郷の情景を一望してから周囲を見渡し、ふと魔理沙に尋ねる。
「おい、永遠亭とか言う場所はどっちの方角にある?」
「はぁ? これから向かうんだからそんなのいいだろ」
「いいから教えろ、あんたがそこからここまで来たんだ。方角くらいわかるだろ」
「わかったよ。永遠亭はここから向こうの方角だ」
想刃が出て来た屋内の出口の方向の反対方向を北に喩えると、ここから北西の方角へ向かった先にあるそうだ。それがわかった想刃は魔理沙が指した方向へ体を向けた。
「おいおい、まさかお前飛ぼうとしてるんじゃねぇだろうな⁉ お前飛べないんじゃなかったか⁈ それにその体で落ちたら洒落になんねぇぞ!」
魔理沙の止め掛ける声には見向きもせず、想刃は足の様子を確かめながら数回跳躍し、スクワットをした後に姿勢を低くした。そして地面を強く思い切り蹴り放った。
「翔翅『翼の影飛』…」
「おい待て!」
寸前で魔理沙が止めようとしたが、その時既に想刃はその場の地面を壊して消え、遥か向こう先へと飛んでいた。その速さ故か想刃が飛んだ瞬間、大気の波紋が魔理沙に押し寄せていた。
「こりゃいよいよ人間かどうかの疑い時だな…」
魔理沙は想刃が同じ人間としての違いが凄まじい事に肩で溜め息を吐いた。帽子の位置を直すと魔理沙は再び箒に跨り、飛んだ想刃の後を追うように永遠亭に向かって飛んだ。
先ほどの跳躍飛行で想刃は直線を描いて進み、暫らく後に重力を漸く得てゆっくりと落下し、高速で前進する。先ほどのたった一回の蹴りで竹林まで辿り着いた模様で、早速地面に足で強くブレーキングして高速前進からやっとの事で停止した。
「落下に至るまでの直線移動距離は大体200mか。場所が高かった事が幸いで、何とか着いたようだな。尤も、今の身体じゃこれが限界なんだがな…」
想刃は冷や汗を一滴流して自身の脚を見下ろした。先ほどの一回の蹴りによる衝撃と着地時のブレーキングによる圧迫と力みで思った以上のダメージが脚部全体に掛かり、ズボンの下からは血が覗いていた。
「クソッ…あの糞犬、次に会ったら俺の今の身体以上に痛めつけてやる…!」
想刃は両手を拳に変えて歩き出し、足の痛みに耐えながら目の前に見える永遠亭と思わしき建物に近づいた。そして入り口の呼び鈴を鳴らして誰かが来るのを待った。
それと同時に魔理沙が想刃の後に追いつき、永遠亭の入り口前で待っている想刃を見つけた。だが魔理沙は想刃の様子の異変に気付いていた、何故なら想刃が立っていたであろう地面の削れ跡には微かで確かな血の痕があったのだ。
「無茶しやがったあのバカ野郎…」
魔理沙は箒を持って急いで想刃に接近して、直後に永遠亭の戸が開いた。戸を開いたのは頭に耳を生やした薄めの紫髪の女で、魔理沙はよく知っている人物だった。
「あなたは、さっき予約で来てた…」
「わかってるんならとっとと頼む。さっき言った怪我人だ」
魔理沙は想刃を指さし、支えるようにして横から押して歩いた。想刃は無言ながらも目に力は有り、脚から流れズボンを通して滴り落ちる血など気にせずに永遠亭の中へと入った。
薄紫髪の女は、魔理沙と想刃を診療室まで案内する事にした。案内の後に想刃を寝かせ、直ぐに彼女が師匠と呼ぶ主治医を呼びに診療室を飛び出て行き、ものの数十秒で師匠を連れて戻ってきた。
「師匠、魔理沙が言っていた患者です」
薄紫髪の女は想刃を寝かせたまま服をある程度まで脱がせ、想刃の包帯だらけの体を晒した。師匠は想刃の包帯だらけの体を素早く自身の目と手のみで確認した。
「凄いわね、この人。どうやってここまで来たのか経緯があるなら説明をしてくれる、魔理沙?」
「あぁ、こいつは自分の足でここまでやってきた。守矢神社からひとっ飛びでな」
「ひとっ飛び? まさか飛んできたと言うの?」
「いや、正しくは"跳んだ"だ。こいつは並の人間が持たない身体能力を持っている。ここまで来るのにもほんの一瞬跳んだだけだ」
「だとしたら人間じゃないわね。この体の傷、並の人間ならまず動けないわ。一部を少しでも動かそうものなら、動かした体の一部を通して全身に痛みが行き渡り、一瞬で激痛と化すわ」
「な、なんだって⁈ 永琳、それマジで言ってるのか⁉ こいつ、平気で動いてたぞ⁉」
「だから"人間じゃない"と言ってるのよ、脳が痛覚を受け付けないか、精神が肉体を凌駕したとしてもこんなのあり得ないわ…。とにかく、先ずは開いた傷を塞ぐ事から始めるわ」
ーーそれでも俺は、人間だ…
続く
【今回のスペルカード】
翔翅『翼の影飛』
(しょうし つばさノえいひ)
縮地による強い足の蹴りで駆ける事よりも"翔ける"事を選んだ走法。真っ直ぐに駆ける事で真っ直ぐに飛翔する言わば超低空&超高速グライド状態。一回の蹴りのみによる最高直線飛行距離は200m。
想刃の肉体は既に限界を超えていた…
それでも動けた想刃は、本当に人間とは呼べないのか…




