第9章 そういうこと
これはとある化学での実験中のこと。ビーカーを洗う水の音に紛れて、グループの一人の里奈が、上気した顔で声を潜めた。
「……それでさ、昨日。最後までしちゃったんだよね」
心臓がドクリと跳ねた。隣で試験管を握っていた私の手が、一瞬止まる。
「……えっ、最後までって。その……全部?」
「そう。全部。……あ、香苗はまだだっけ? 香苗がそういうことしてるの想像つかないもん」
里奈の言葉に、他の女子たちがクスクスと笑う。耳の奥が熱い。私って一体どういうイメージなのか、里奈が語る「その時」のディテールは、私の知らない世界の連続だった。肌の熱さ、シーツの擦れる音、それから……。
「そんな、……そんな場所まで触るの!?」
思わず声を張り上げてしまい、グループの全員が慌てて私の口を塞いだ。だって、いや、ちょっと待って!
「ちょっと佐倉、声が大きいぞ」
背後から、低く落ち着いた声が降ってきた。振り返ると、担当の先生が白衣のポケットに手を突っ込んで立っていた。眼鏡の奥の瞳が、少しだけ呆れたように私を射抜く。
「……すみません」
謝りながらも、私の視線は先生の首筋に釘付けになっていた。さっき聞いたばかりの、淫らな単語の数々。それが、目の前の「大人の男」である先生と、勝手に結びついてしまう。
(先生も、あんな声を出すの? 誰かを抱く時、あんなに冷静な顔が……崩れたりするの?)
「ここだけの話、先生って背高いから多分、ね?」
「うわうわ、そうなんだ、なるほど」
「おい、佐倉。いつまで突っ立ってんだよ。片付け終わらねーだろ」
現実に引き戻したのは、隣のテーブルで不機嫌そうにビーカーを拭いていた花沢だった。相変わらず手際よく同じグループの女子が見惚れている。白衣にメガネ姿、これは萌えてしまう女の子の気持ちもわかる。
「ねー香苗、花沢くんとかどう思うよ?意外と凄そう。……っていうか、絶対ヤバいよね」
別の女子が、声を弾ませて乗っかる。こういう話ってなんでこんなに盛り上がるんだろうか。
「普段あんなに無口でストイックなのに、二人きりになったら……こう、強引に押し倒されたりとかしてさ」
「やだ、何それ! 想像しただけで萌えるんだが!」
女子たちの妄想は、アルコールランプの火よりも激しく燃え上がっていた。私は、心臓がバクバクと暴れるのを感じながら、必死に試験管立てを磨いた。
(……夜の花沢くん?)
一度考えてしまうと、もう止まらない。確かにすごそうだ。でもそれ以上に彼が誰かを好きになる未来が見えない。あんな硬派な男が誰かを激しく求める未来なんかあるのだろうか。
「……佐倉、何話してんだよ?」
不意に、すぐ耳元で低い声がした。飛び上がるほど驚いて振り返ると、いつの間にか花沢が私のすぐ後ろに立っていた。
「ちょいとあんた、びっくりさせないでよね!」
「わりいな、早くしねーと次の授業遅れるぞ。」
「いいなー、香苗ってば仲良くて、あんなイケメンな人と。もう一生分の縁多分使い切ってるよ。」
「はは、そうかも?」
全くみんな言うけど、ちょっと失礼なこと言ったりすることだってあるんだから、あいつ




