5-3 戦争の足音
聖都コーレス最奥の『凰天の間』。
そこで急遽、ゴラン高原に出現した魔族の対応を検討することになった
ミリオスをはじめ、聖カルヴィナ聖装隊の面々、ニルヴァがすでに座している中、枢機院の人間たちが続々と集まっていた。
枢機院と言うのは教会において教皇に並ぶ意思決定機関のことである。
教会における幹部たち、さらに構成員の一部には名だたる貴族や豪族の腹心が派遣されている。
聖都コーレス…いや教会ひいては人間界の中枢を担う重鎮ばかりである。
その発言は絶大であり、時には教皇に並ぶほどの発言を持つという。
それゆえに高度な政治駆け引きの舞台となることもしばしば。
これほどの面々が顔を合わせるのは時計台の破壊の一件以来である。
誰一人としてその表情は苦悶に満ち、余裕がない。
会場中は会議が始まる前からどよめきに包まれている。
「リブネントが落ちたと」
「相手は第五魔王ポルファノアを名乗っているとか」
「真偽はどうであれあれほどの魔獣を従えているのはあきらかだ」
「あの城はリブネントのリュミーサが守護していたカロン城。それがこの場にあるということは…」
無理もない。現役の聖堂回境師が魔王に倒されたのは前代未聞のことである。
それも対魔王用結界の中で倒されたという。
単純に考えれば相手はこちらの想定する魔王以上の力を有していることになる。
そしてそれがかつて倒されたはずの第五魔王を名乗り、魔族の国を人間界に作るとまで言ってきた。
その上死霊や魔獣たちは隊列を組んでいる。
組織された死霊や魔獣が目の前に現れるのは数百年ぶりのことである。
その場に杖を右手に一人の男が入ってくる。途端にその場は水をうったように静まり返る。
そしてその姿を瞳に映す。彼こそは当代の教皇、イグナティウス十八世。
すべての魔剣を司る大聖杖を手にする人間界における最高権力者。
その者は周囲の視線のなか、静かに卓の中央にある自身の席に腰を下ろす。
「ニルヴァ、コーレス内の混乱は?」
席に着くなり教皇はニルヴァに問う。
普段は穏やかな雰囲気の教皇とは違い迫力があった。
「ここの結界の力と衛兵たちの協力により、コーレス内での混乱は収束しつつあります」
厳かにニルヴァが報告する。
暴動寸前まで行ったが、彼女の『白い兵団』や衛兵たちの力でどうにかなりつつある。
「ご苦労」
そう一言かけると再びその場は静寂に包まれた。
教皇にすべての視線が集まる。
「『ジルコックの槍』、教会統合軍、黒曜第七師団を集結させよ」
「『三宝』を?」
教皇の言葉に枢機院の一人が声を上げる。
『三宝』と言うのは教皇に対抗するための枢機院側の最終最後の切り札でもある。
「四日後、魔王戦争の布告を発する。それまでに人間界の戦力をコーレスに結集させよ」
有無も言わせぬ教皇の言葉に誰もが衝撃をうける。
「交渉は…」
「我々は魔王相手にいかなる譲歩もせぬ」
当代の教皇は断言する。
「もしコーレスを落とされたのならば人間は滅びを待つほかなくなる。
断じて聖都コーレスが落されることだけはあってはならない。
ミリオス。我が名において命じる。その聖剣の力を持ち魔王ポルファノアを討伐せよ」
普段教皇を知っている者ならば聞いたこともない強い口調であった。
「はっ」
ミリオスは立ち上がり一礼する。
教皇から正式に聖剣の使用の許可を受けたのだ。
第六次魔王戦争の開戦の布告まであと四日。
かくて教皇による命は下された。
教皇の命により教会に属する国々は続々と動き始める
何せ魔王と呼べる魔王などこの二百年以上ものの間出てこなかった。
平和とは停滞であり、停滞の中では地位も富も滞ったままだ。
ゆえに現状の変化を求める人間たちは我先にとコーレスに向かいはじめる。
リブネントよりも北にある深い森。
巨大結社テーベの一角。
その屋敷の長い廊下を二人の従者を引き連れ歩いていた。
「教皇の判断は正しい。芽は育つ前に刈り取るべきだ」
ポルコールは歩きながら従者に話しかける。
整った顔立ちだがその刺すような鋭い瞳。
その銀の甲冑を着て赤いマントを羽織る様はまるでおとぎ話の一枚の絵画を見ているようだった。
彼女が広間にやってくると広間にはすでに甲冑を着込んだ女性の姿が整列していた。
ハーティア聖滅隊。魔女たちの有する最大戦力。
ポルコールは甲冑を着込み左には兜を抱え、その壇上に姿を現す。
ポルコールはその広間を見下ろすと息を吸い込む。
「喜べ、今まで蓄えてきた力を存分に振るう時がやってきた。
相手は第五魔王ポルファノア。数百年ぶりに復活した老いぼれと教会に今こそ我々の力を存分に見せつけてやろう」
広間に凛とした声がその地に響き渡る。
ポルコールがその場から去ると耳をつんざくような歓声がその屋敷に響き渡る。
「各地にいるハーティア聖滅隊のメンバーに連絡を取れ。各国々にはすでに通達が届いている頃合いだ。
早いモノならばすでにコーレスに向けて軍を移動させているところもあるだろう。
この我々が出遅れるわけにはいかぬ。四日以内に聖都コーレスに結集せよとな」
ポルコールは歩きながら命令を飛ばす。
そんな中、一人の従者が魔道具を差し出してくる。
「ラフェミナ様からです」
ポルコールは手渡された魔道具を耳にあてる。
魔道具から聞こえてきたのは聞きなれた声。
「ポルコール、またあなたに頼ることになりそう」
緊迫したこの状況でその声を耳にしポルコールは内心ほんの少しだけ安堵した。
「相手は第五魔王ポルファノアか…。早いものだ。あれからもう四百年もたつのか」
「ええ」
ポルコールはどこか遠い瞳で語る。
「カランティを放っておいたつけが思った以上に高くついてしまったな。まさかリブネントが落とされるとは…」
「…ええ、私のミスでかけがえのない友人も失ってしまった」
ラフェミナは小さくこぼす。
自身よりもはるかに巨大な魔法を使えるというのに出会ったころから友人だと言ってくる。
何度注意してもそれは変わることない。
一人消えるごとにその心を痛める。
「そう気に病むな、リュミーサは自身の役割を全うしただけにしか過ぎない。
これは我々全員の責任でもある。…それに私は事務作業よりも私はこっちの方が得意でね」
ポルコールは剣に触れ精一杯の冗談を言って見せる。
「戦場で」
「ああ」
二人はそう言い交わすと通信を切った。
ポルコールは魔道具を従者に手渡し、兜をつける。
そして馬の倍ほどはあるであろう魔法生物にまたがる。
カランティ等は二百年以上も時間をかけてこの状況を作り出してきたのだ。
あの女のことだ。切り札の二三枚は懐にあるだろう。
対してこちらは即席で集められた集団。幾らなんでも分の悪い話だ。
だが、もし要であるコーレスを落とされようものならばあの魔王に寝返る者も出るかもしれない。
コーレス防衛はこの命に代えても阻止しなくてはならない。
「ラフェミナでは少々荷が重すぎる。サフェリナやカーナがいらしてくれればと言うのはただの弱音か…」
ポルコールは覚悟を決め、手綱を握りしめる。
「ハーティア聖滅隊出るぞ」
大きく掛け声をあげるとポルコールは数十騎の兵を引き連れポルコールはコーレスに向かった。
トラードから西に行った暗く深い森の中をランタンを片手に初老の男が歩く。
その暗い闇の中でも見えてるかのようなはっきりとした足取りで。
その初老の男は巨大な大木の前で足を止める。
周りの木のなかでその木は一際巨大で目立ってた。
その初老の男が手を向け、何やら唱えると大木の中から一人の人間が姿を現す。
何も身に着けてはいない。
目を見開き、その青年はゆっくりと立ち上がる。
青年が立ち上がると青年の背後にあった大木は嘘のように消え失せ、代わりにに巨大な一本の剣がその場に刺さっていた。
初老の男は全裸の青年にマントを手渡す。
「お初にお目にかかります。『狩人』の始祖にして聖剣エウラーダの契約者ソウ。私の名はバルドラック。」
初老の男は跪き頭をうやうやしく垂れる。
その青年はマントを体に纏い歩き出す。そのわきを黒服の男が寄り添う。
「あんたが当代の伯爵か」
その声には堂々としていて落ち着きがあった。
「はい、お初にお目にかかります」
その男はその体と同じぐらいの巨大な剣を片手でひょいと持ち上げる。
二人は暗闇の中を並んで歩き始める。
「私はずいぶんと長く眠っていたようだな。今は聖歴何年になる?」
「聖歴572年です」
その言葉にソウは驚いた表情を見せる。
「そんなに経っているとはな。私が最後に目覚めたのは第十魔王ルーシェの時。
あの時駆けつけたが既に二人の大魔女が倒してしまっていた後だった」
どこか悔しそうにその青年は語る。
「さて、伯爵殿、今回降臨した魔王の名を聞かせてもらえるか?」
その青年は初老の男に声をかける。
「ポルファノア」
その言葉に青年は顔をピクリと動かす。
「ポルファノアとは第五魔王ポルファノアのことか」
「そう名乗っていたと伝え聞いております」
初老の男がそう言うと青年の顔が歪む。
「ふははははは、過去より戻りし亡霊か。今度こそはこの私が引導をわたしてやろう」
人などいない暗い森の中にその笑い声は響き渡る。
彼こそは聖剣エウラーダの使い手であり、異端審問官『狩人』の創始者ソウ。
聖剣使いの一人がこうして現世に帰還したのだ。
そこはゴラン平原には本来あるはずのない城。
「それぞれに使うことのできる魔法を記入するよう皆に行っておいてくれ」
部下はウィンレイからそう言いつけられるとすぐさまその部屋を後にした。
ウィンレイは魔法隊の編成を任されたウィンレイは頭を抱えていた。
それというのも結社を追われたはぐれ魔女が多く参加しており、統制が難しいためだ。
ウィンレイは元々ヒトを統率する類の人間ではない、自身の研究を一人で突き詰めたい種類の人間である。
ただ今回の人事は師であるカランティの後押しがあったらしい。
ここで辞退して師であるカランティの顔に泥を塗るわけにはいかない。
骨休みするためにウィンレイは部屋の外に出た。
廊下の窓からはゴラン平原が一望できた。
視界の先にあるのは聖都コーレス。
全人類の叡智の結晶であり、その地を落とすことは人類の歴史の終焉を意味する。
ただ連中も黙ってはいない。集められるだけすべての戦力を投じてくるだろう。
これからこのゴラン平原はかつてないほどの戦いに見舞われる。
「骨休みですか、ウィンレイ」
その声にウィンレイは振り向く。
そこにはカランティが立っていた。
「カランティ様、結界の掌握の方は済んだのですか?」
「おおよそ七割といったところですかね。さすがに掃滅結界とはその術の機構そのものが違う。
実戦段階まで完全に掌握するまでもう少しかかりそうです」
カランティの方も難攻しているらしい。
「人の位置を特定するのはできますがね」
どうやらカランティはこちらの位置を見越してやってきたらしい。
「…少し散策でもしましょうか」
「ええ」
カランティの提案にウィンレイは頷く。
「心配はいりませんよ。この戦闘では我々が戦うことはない。
もし必要とあれば直に魔法を使えばよいだけ。慣れない結界などよりもはるかに有効でしょう」
カランティは数少ない極光魔法の使い手でもある。
その実力は魔女の中でもトップクラスと言ってもいい。
「…」
「…魔女の結社にはそれぞれに文を送っています。今は混乱しているか、もしくは様子見しているのでしょうね。
こちらが優勢となれば我先にと寝返ってくるでしょう」
「ならいいのですが…」
カランティはウィンレイの顔を覗き込むように見る。
「ヒョヒョヒョ、何を恐れているのですかウィンレイ?」
カランティに見透かされたかのような言葉に、ウィンレイは歯切れの悪い返事を返した。
ウィンレイはゆっくりと本音を語り始める。
「…相手には聖剣使いミリオス率いる聖カルヴィナ聖装隊をはじめポルコール率いるハーティア聖滅隊、
さらに教会には数多くの魔剣に加え、ミリオスの持つ聖剣を除いても三本の聖剣があります。
この時のためになんらかの対策をしているはずです」
ウィンレイは本音を語る。
聖剣は第二次魔王戦争時、圧倒的に劣勢であった人間たちの状況を覆したという。
どれほどの力を持つものか、文献に記されているだけである。
魔女としての組織に属していた彼女ならばポルコール聖滅隊の恐ろしさは骨身にしみている。
魔女たちの中でも選りすぐりの優秀な魔法使いを集め、戦闘に特化した部隊。
それがポルコール聖滅隊。
それに引き替え今いる城内の魔法使いははぐれ魔女の寄せ集めである。
こと戦闘になれば組織された部隊になすすべもなく倒されてしまうだろう。
「…」
ウィンレイの問いにカランティは応じない。
気が付けばいつの間にか二人はずいぶんと地下にやってきていた。
カランティの前には分厚い鉄の扉の前がある。
「これは…」
扉の奥に巨大な鉄の塊が姿を現す。
「かつて第二次魔王戦争の終盤、人間たちが魔剣の生成と並行して開発していた兵器。
魔剣の開発の陰で日の目を見ることのなかった狂気の産物」
「…まさか…」
唖然とウィンレイはそれを見つめていた。
伝承では聞いたことがあるが、実在しているとは思わなかった。
「ヒョヒョヒョヒョヒョヒョ」
ウィンレイの驚くさまを見てカランティは高らかに笑い声をあげた。
「兵力の差など考える必要などないのですよ。我々にはそれを覆す手段があるのですから」
この四日と言う期間は相手に散らばった戦力をコーレスに集める期間としては十分すぎる。
そして聖都コーレスに戦力が集結したその時こそ教会の戦力をこちらの思惑通り一網打尽にできるのだ。
それは教会の体制と歴史が終わるとき。
全戦力を持って人類の歴史を蹂躙し、現体制を崩壊させ、その上にポルファノアを頂点とした新たな体制を築く。
その時がすぐそこまで来ていることをカランティは疑わない。
舞台はかつて第三魔王ドーラルイが引き起こした第三次魔王戦争の地、ゴラン平原。
さまざまな思惑の中でいよいよ魔王戦争が始まろうとしていた。




