5-2 魔王の立った日
フィアはニルヴァとともに聖カルヴィナ聖装隊の詰所にやってきた。
門番に呼び止められるもニルヴァの顔を見るとミリオスの元まですんなり通してくれた。
フィアから事情を聞いたミリオスは顔をしかめる。
「我々は現在このコーレスで待機するように言われている」
事情を話すとミリオスは渋い顔でそう告げてきた。
「どうしてですか?」
「理由は話せない」
ミリオスは腕を組み目を閉じる。
これでは何も聞き出せないばかりか、ここに来たことすら無駄足になってしまう。
フィアは
「なら、イクスさんに話を通してください」
フィアがその男の名を出すなり、ニルヴァの表情が凍りつく。
「私ならここにいるよ」
低い声が部屋中に響くと部屋中の視線がその男に集まる。
肩までかかる黒髪に口ひげ。全身は老院の貴族たちが着ているような黒い礼装を身に着けていた。
外見とその身を包む雰囲気は大きく違うがトラードで見たイクスで間違いはない。
「イクス殿、どうしてここに?」
ミリオスは突然の来訪者に目を見開き席から立ち上がる。
「ミリオスに話したいことがあってやってきたんだが、ニルヴァ殿やフィア殿まで来ているとは思いもしなかったな。
こちらとしては都合はよかったが…」
柔和な物腰の中にもどこか抜け目のなさを感じさせる。
「イクスさん…いえ次期教皇陛下」
フィアの言葉にクーナはぎょっとして振り向く。
「次期教皇?」
傍に立つクーナはフィアとイクスの顔を交互にみる。
結界の管理者であるニルヴァもそのことを知っていたようすだ。
「…感の鋭い方だ」
「ヒントはいくつか与えられてましたから」
イクスは口端を釣り上げる。
「イクスさん、単刀直入に言います。カランティを討ち、ヴァロを救い出すためにどうか私に力をお貸しください」
フィアはイクスに頭を下げた。
それを聞くとイクスは眉間にしわを寄せる。
「ヴァロ君は…『魔王の卵』はさらわれたのか…最悪の展開だな」
イクスは考え込むようなそぶりを見せる。
「今なら間に合うかもしれません。どうか私たちに力を貸していただけませんでしょうか」
フィアはイクスたちに対し頭を下げる。
イクスはミリオスと顔を見合わせる。
「君たちにはトラードでの恩もある。本来なら手を貸したいところだが、
今は聖カルヴィナ聖装隊を一人たりともこの聖都コーレスから動かすわけにはいかない」
イクスは硬い表情でそう告げる。
「どうしてですか?カランティは共通の敵のはずです。イクスさん、理由を聞かせてもらえますか?」
食い下がろうとするフィアにイクスはため息を漏らす。
「ついてきなさい。アレを見てもらった方が早い。もうじきここにやってくるはずだ。…ミリオスも」
踵を返してイクスはその部屋を後にする。
意味が解らずそこにいる者たちは皆、イクスの後を追う。
イクスは黙って数人を連れ立ってその建物の屋上にやってきた。
空は既に夕暮れ時で、橙色の光が聖都全体や眼下のゴラン平原を照らしている。
イクスは足を止めると閉じていた口を開く。
「…ついさっき入ってきた情報だ、リュミーサが討たれた」
その言葉にそこにいるだれもが衝撃を受けた。
「そんな現役の聖堂回境師リュミーサ様が討たれるなんて…」
イクスの口から出たあり得ない言葉を呑み込むのにそこにいるだれもが一瞬の間を必要とした。
リュミーサと言えば結界が張られた当時からリブネントの聖堂回境師だったという。
魔女において生きている年数はその魔女の実力に等しいと言われている。
膨大な魔力を持つ者ほど長寿なためだ。
さらにリブネントには静謐結界が張られていたはずだ。
聖堂回境師である彼女がその管理地を離れることはまずない。
つまり結界の中において現役の聖堂回境師が討たれたということになる。
これは有史始まって以来の事件である。
「討たれたって誰にですの?」
ニルヴァはあからさまに怪訝な表情でイクスに問う。
「わからない。だがその集団の中にカランティの姿もあったという。その情報が本当かどうかはここにいればすぐにわかる」
「どういうことです?」
フィアは険しい表情でイクスを見る。
フィアの問いにイクスは答えない。イクスはただ北の空を見ている。
フィアたちもつられて北の空を見ていた。
「来たか」
イクスは険しさをはらんだ目でその影をとらえる。
空には巨大な建造物が空で夕陽を浴び、赤く染まりながら浮いていた。
その光景にその場にいるだれもが目を見開き言葉も上げられない。
フィアもクーナもその城に見覚えがあった。
「カロン城」
フィアはその城の名を口にする。
数カ月前にリブネントで選定会議を行った場所である。
かつてリブネントの湖の中心にあったはずのモノだ。
それが眼前の空に浮いている。
中には目をこすりそれが本当に起きていることなのかを確認している者もいる。
「カロン城はかつて『星の民』が残した遺産の一つ。ある条件を満たせばカロン城は天空の要塞となる。
今まで『星の民』であるリュミーサがそれを護っていた」
淡々と事務作業でもするかのようにイクスはその事実を告げる。
「リュミーサ…さん」
フィアはあの女性がもうこの世にいないことを悟る。
そしてこれがどうにもならない悪夢の幕開けになるであろうことを予感せずにはいられなかった。カロン城が地面に下りると。
それらは地上に一斉にゴラン平原に姿を現した。
「なんだありゃ」
都中の数人の人間がそれに気づき始める。
地平線上に現れた黒い点はどんどん増えていく。
コーレスから見えるゴラン平原を侵食するかのようにその黒い影はその大きさを増していく。
「魔獣の群れだ」
誰かが静寂を破るかのように叫ぶ。
それが皮切りとなり、聖都中が恐慌に包まれていく。
「なんという数の魔獣」
十万は下らないおびただしい数の魔獣の群れがカロン城の西のゴラン平原に現れた。
魔獣たちはまるで統率されているかのようにそれらは隊列をなし、その場に佇んでいる。
それを見ていた者たちは言葉無く、ただその光景に圧倒されていた。
さらに東にもまた武装した白い死霊たちの集団が。
巨大な首の長い寸胴な胴の竜の姿がゆっくりと。
中央には白い人形のような一団。
右翼には魔獣の一団。
左翼には武装した死霊兵団。
中央には白い人形のような一団がある。
さらに両翼と中央には屍飢竜が一体ずつ配置されている。
おびただしいまでの数の魔獣、死霊がカロン城を取り囲むようにして、ゴラン平原に隊列を組んで存在していた。
さらに背後から三体の黒く巨大な首長竜が歩いてくる。
クーナもニルヴァも両翼にいる巨大な魔法生物のことを知っていた。
傀儡魔法を使う者ならばその存在は何度も文献で目にしてきたものだ。
「屍飢竜…」
「屍飢竜?あれが…まさか」
イクスは顔をしかめる。
屍飢竜というのは第七魔王ブフーランが使役したという魔法生物のことである。
首が長く、その胴体は寸胴だが夜になればその闇に溶け、多くの人間をその身に取り込むという。
かつて一つの都市を一夜で滅ぼした魔法生物で、魔法生物の中でも禁忌とされるもの。
フィアは蒼白な顔でそれを見ていた。その眼差しは二人の見ている者とは違う。
中央にいる白い人形の姿をしたモノを映していた。
赤く光る双眸に真っ白な肢体。
二度と会うことなどないと思っていたモノ。
「…『パオベイアの機兵』」
フィアたちがかつてミイドリイクの地下で戦ったものたちがそこにはいた。
魔力を食うそれは際限なく増殖し、結界ですら容易に突破する。
その恐ろしさを知るのはフィアを含めたほんの一握りの者だけ。
「第二の災厄、かつての災いの地へ西の空より舞い降りる。
失われし遺産が空から降り立つとき、際限のない闘争が始まる」
フィアはリュミーサの二つ目の予言を思い出し、口ずさむ。
城の上に巨大な映像が空に映し出される。
玉座に一人の子供が座している。
「我が名はポルファノア。かつて第五魔王と呼ばれたモノだ」
その声は聖都コーレス中に響き渡った。
嘘のように悲鳴などの雑音がぴたりと止んだ。
「時は来た。私はここに宣言しよう。我々はこの地に魔族による、魔族のための楽園を築き上げることを。
君らには二つの選択肢がある。服従か?敵対か?
服従するのならば歓迎しよう。敵対するのであれば容赦はしない。
四日間だけ猶予をやろう。全人類よ。我に服従せよ」
そう宣言し、プツリと消え去った。
直後、コーレス中に激震が走る。
「フィアさん、そういうことだ。今は一兵たりともこのコーレスから動かすわけにはいかない。
すまないがこれから緊急の会議がある」
反転しイクスはミリオスを伴いその場を後にする。
「ヴァロのことは残念ですが…」
ニルヴァは口惜しそうにそう言う。
「…わかってます」
ニルヴァはこの聖都の聖堂回境師。
現状のコーレスの混乱を治め、さらに魔王を迎え撃つ準備をしなくてはならない。
それが彼女たちに与えられた責務でもあり、結界都市の結界を任されているものの責任でもある。
一介の個人に時間を割いていることなどあろうはずがない。
状況は魔王戦争の一歩手前。果てしなく悪い。
フィアたちはイクスやニルヴァと別れ、通りに出る。
先ほどの第五魔王ポルファノアの宣言を受けて通りは混乱していた。
真っ先にコーレスから離れようとする者。
生活に必要なものを買い占める者。
それらで通りは混乱していた。すでに暴動寸前のありさまだ。
ほどなくこの聖都コーレスは魔王戦争の戦火に包まれるのだ。
ゴラン平原には第五魔王ポルファノアの率いる軍が整然と展開されている。
それは人々に忘れていた恐怖を思い起こさせた。
七日を待たずにこのコーレスから人の姿は消えさるだろう。
「フィア、大変なことになったわね…。どうするのこれから?」
クーナはフィアに判断を求める。すでにヴァロを救出するという状況ではなくなっている。
かといってフィアがその救出をあきらめるとは思えない。
フィアは大きく深呼吸をする。
「クーナ。ついてきて」
フィアは振り返ると通りを力強く歩き始める。
人ごみの中を縫うように歩いていく。
クーナはフィアの背中を追うだけで精一杯である。
「…私ももう手段は選ばない。たとえすべてを失ったとしてもあの人を取り戻す」
呟くようにフィアはそう言い切る。
二人はどうにか馬車までたどり着く。
「フィア、これからどこへ?」
「私たちはフゲンガルデンに戻ります」
フィアははっきりとした口調でそう言い放った。
第二次魔王戦争終結からおよそ五百年。
長い沈黙を破り人々の前に魔王が降り立つ。この日、人々は魔王の脅威を再び思い知ることになった。
開戦の狼煙が上がるまであと四日。
聖都は混乱の渦中にあった。




