5-1 ニルヴァ邸にて
フィアたちはその日聖都コーレスに到着していた。
ついたのは午後だった。後半刻もすれば夕暮れになろう。
フゲンガルデンを出てからすでに一週間ほど経つ。
本来ならば二週間以上かかる行程をクーナの傀儡魔法でわずか一週間でやってきていた。
「フィア、ニルヴァ様のところは明日でもよくない?」
それほど強い魔法じゃないとはいえ、一週間ぶっ通しで使い続けていたためにクーナには疲労の色が見える。
フィアの力も借りたが、いかんせん自身の魔法のためにまかせることができなかったためだ。
「クーナは宿で休んでいて」
フィアはニルヴァの下に真っ直ぐに向かうつもりのようだ。
前もってニルヴァには尋ねることを手紙で通知してある。
「あんた一人だけで行かせられるわけないでしょう」
クーナはため息を漏らすと馬車の方向をニルヴァ邸にむけた。
これからニルヴァのところに挨拶をしに行こうと向かっていると
背後から人の声が聞こえてくる。
フィアとクーナは声のする方を振り向くと、暴走したような一台の馬車が向かってくる。
フィアたちの歩いてきた後方からだ。
クーナは慌てて馬車を道の端に移動させる。
その馬車はフィアたちを追い越して真っ直ぐ北門の方に向けて走って行った。
「ずいぶんと無茶なことをするわ」
クーナは遠ざかっていく馬車を睨みながら愚痴る。
「どうしたのフィア?」
クーナはフィアの神妙な顔つきに気づく。
「馬にわずかに魔力を使って興奮させて速度を上げていた。あれじゃ馬がもたない…」
「はぐれ魔女?」
クーナはフィアに聞き返す。
「魔力を抑えて結界に見つからないようにしていたみたいだけど、白昼堂々とコーレスを突っ切るなんてずいぶん…」
大胆なことをすると二人は思った。
下手をすればニルヴァの結界以前にここの警備兵に見つかっていてもおかしくはない。
その上、コーレスには人間界最強の部隊、聖カルヴィナ聖滅隊もいる。
そのまま真っ直ぐに二人はニルヴァ邸まで足を運んだ。
馬車を降りるなり二人は真っ直ぐに歩き始める。
ニルヴァの敷地の近くは人払いの術がかけられている。
馬車の中には持ち物のはいっているが、馬車を道端に放置していても盗まれる心配はないだろう。
「フィア、どうしてそこまであなたはあの男にこだわろうとするの?」
ずっと聞けなかった一言をクーナは口にする。
フィアは足を止め、クーナを見つめる。
「一人の人間にこだわろうとする理由がわからない。
カランティを討つなんて危険を冒してまでどうしてそこまでするの?
あんたもヴィヴィ様も。どんなに想っていても…いずれ…別れることになるのよ」
クーナはフィアを真っ直ぐに見つめる。
そもそも人間と魔女では生きている年数からして違う。魔力量が大きければ大きいほど不死に近くなっていく。
見ている世界も、感じている物事も、全く違う。
尺度そのものが違い過ぎるのだ。
彼女が生きて死ぬまでに何人の人間がその人生を繰り返すのかわからない。
命は彼女たちにとって平等ではない。
そんな中で一人の人間の男に執着することなど考えられない。
「私は…あんたには…」
傷ついてほしくないと言いかけてクーナは口を閉ざす。
フィアは困ったように微笑んで口を開く。
「私にとってあの人はたった一人の人だから」
「たった一人の人?」
クーナはわけがわからず聞き返す、
この時のフィアの答えがクーナに一つの選択をさせることになるのだが、
今はその時ではない。
「ついたみたいね」
フィアはニルヴァの屋敷に入る。
以前と変わらずただっ広い敷地の中に巨大な豪邸がある。
屋敷に入ると待ち構えていたかのようにニルヴァの弟子たちがフィアたちを迎え入れる。
そのままフィアたちはニルヴァのいる部屋まで通された。
「いらっしゃい、フィアさん」
フィアたちを待ち構えていたようにその女性は口を開く。
聖堂回境師ニルヴァ。ここの主人であり結界の主である。
『白亜』の魔女とまで言われ、その魔法の腕前は魔女の中でも上位と言われる存在。
傀儡魔法の権威であり、彼女たちの歴史において確実に名を残すはずの女性である。
「コーレスに着くなり直接来るとは、ずいぶんと慌ただしいのですわね」
コーレスに入ってから監視されていたとも言いかえることができる。
それは結界を自在に操っているということの表明でもあり、
またこの結界の中では好き勝手させないという彼女なりの意志を意味していた。
「ニルヴァさん、今日はあなたに頼みがあってやってきました」
そんな駆け引きなどお構いなしにフィアはその話を切り出す。
「話はヴィヴィから聞いていますわ。フィアさん、あなたは本当にカランティを討つつもりですの?」
鋭い目つきでニルヴァはフィアを見つめる。
カランティを討つという話を耳にしてニルヴァの弟子たちが表情をピクリと動かす。
「はい、カランティを討つつもりです」
フィアは迷いない声ではっきりととらえる。
「…ずいぶんと強気ですのね」
ニルヴァは試すようにフィアの表情を見据える。
カランティと言えばトラードの聖堂回境師であり、魔女の社会の中でも上位に君臨する魔女である。
「今あのモノを野放しにすれば我々に必ず大きな災いをもたらすはずです」
フィアは引き下がらずに断言する。
「それは聖堂回境師としての立場から?」
ニルヴァは冷たい視線をフィアに投げかける。
「…正直、私の個人の意向も含まれています。
ですがこのままカランティを放っておけば人間界に必ず大きな災いをもたらしましょう。
ニルヴァさん、どうか力をかしていただけせんか?」
フィアとニルヴァは無言で見つめ合う。
クーナはまるでその部屋の空気が凍ってしまったような息苦しさすら受ける。
コンコンというドアを叩く音がその静寂の氷を破る。
「ニルヴァ様」
ニルヴァの弟子の一人がニルヴァのそばに小走りで駆けてくる。
手には何やら魔法道具が握られている。
「何ですの?人が話しているときに」
ニルヴァの声には明らかに不快感が混じっている。
「フゲンガルデンの聖堂回境師ヴィヴィ様から緊急の通信です」
「…ヴィヴィからですって?」
ヴィヴィからの通信と聞いてニルヴァは驚きの表情に変わる。
「…ヴィヴィから?」
いきなりのヴィヴィからの通信にフィアは胸騒ぎを覚えていた。
今ヴィヴィから連絡を受けるようなことはないはずだ。
ニルヴァがその魔法道具を受け取るとヴィヴィの声が聞こえてきた。
「ニルヴァ、フィアはそっちにいr?」
相変わらずのヴィヴィの声にニルヴァは眉間にしわを寄せる。
「フィアさんなら目の前にいますわよ。第一声がそれ…」
「あんたの愚痴は後で幾らでも聞いてあげるから今はフィアを出して」
ニルヴァの言葉を遮るようにヴィヴィはフィアにつなぐように求めた。
ニルヴァは顔をひきつらせながらフィアにその魔道具を差し出す。
「フィア、落ち着いて聞いて…ヴァロがさらわれた」
そのヴィヴィの言葉にフィアは唖然とすると、顔中に動揺が広がっていく。
クーナはここまでフィアが動揺する様を初めて見る。
「ヴィヴィ…詳しく…聞かせて」
唇を噛みしめながらフィアはヴィヴィに問う。
ヴィヴィは今まで起きた出来事を説明する。
「…ココルからの情報を総合するとそこでどうやらヴァロは捕まったとみて間違いない。
ごめんなさい。私はあいつを止められなかった」
ヴィヴィの対応に落ち度はない。
フゲンガルデンの近くに魔獣が出たのいうのならば狩人を向かわせるのは当然ともいえるし、
今魔獣を討伐できるのは彼とココルだけ。
ココルは魔器は持っていない上、怪物相手の戦闘経験は少ない。
加えてヴァロには魔剣ソリュードがある。
「たった四人の人間に?あの男には魔剣もあるでしょう?」
クーナは疑問の声をあげる。ヴァロの持つ魔剣は準聖剣クラスと言ってもいい。
それも出力だけならばとんでもなく強いものだ。
並みの魔法使いや魔獣ならばあっという間に倒されてしまうだろう。
その上、あの男も相当に場数を踏んでいる。
「囚われていた子供の話によれば四人の人間に捕まったらしい。
その中に魔剣使い、魔法使いがいたと報告を受けてる。魔法の使われた痕跡からかなりの上位の魔法使いが関与してる」
「ヴィヴィ、上位の魔法使いが関与している根拠は?」
ニルヴァはヴィヴィに問う。人間界で上位の魔法使いなど数えるほどしかいない。
ニルヴァが問いただすのも無理のないことだ。
「魔法を使った痕跡とその規模。風の魔法により森の木々が数十本、土ごと根こそぎ巻き上げられいた。
その上、私の放った使い魔は悉く連絡を絶ってる」
「相当な威力を持つ攻撃ができる上に、空を飛ぶ使い魔を落とせるほどの魔法使い…。
はぐれ魔女でもそこまでの力を持ったものとなれば限られてきますわね」
ヴィヴィの報告を聞いてニルヴァは目を細める。
「すべてが裏目だった。私が…ヴァロを一人残してフゲンガルデンを出てなければ…」
もしフゲンガルデンを出ずにヴァロのそばにいれば今回のような事態は避けられたかも知れない。
今更後悔してももうすべてが遅い。
「使い魔たちが消息を絶った位置からその集団は北に向かったんじゃないかと…」
それを聞くなりフィアは、いきなり面を上げた。
「ニルヴァさん、結界をお借りします」
フィアは杖を取り出し、目を閉じ、当然のようにここのコーレスの対魔結界を起動させた。
「なっ」
ニルヴァは小さくうめき声を上げる。
ニルヴァだけではなく誰もがその行為に驚きを隠せない。
コーレスに張られた結界は対魔結界。フゲンガルデンに張られた絶縁結界とは異なるモノ。
だが目の前の少女は機械的にその結界を使用する準備作業をこなしていく。
その動きには一片の無駄も迷いもない。
結界を行使する権限は聖堂回境師とはいえ与えられてないはずである。
結界を使えるのは聖堂回境師として不思議ではないが、他の結界都市の結界を扱うとなれば勝手が違う。
間違ってでも悪意のある第三者に使えないように何重にもプロテクトをかけられているはずだ。
「先ほどコーレスを南門から北に走り去る馬車を見ました。中には魔女が一人乗っていました」
目を閉じフィアは澱みなくその工程を淡々と怖ろしい速さで行っていく。
「それじゃ、もしかしたらさっきの暴走馬車は…」
「多分間違いない。ヴァロをさらった連中」
マールス騎士団領の方角にある南門から真っ直ぐに抜けて行った。
向かった方角もヴィヴィの証言と合う。
さらにはぐれ魔女など教会の最大戦力のある聖カルヴィナ聖装隊のいるこの聖都コーレスで見ることはほとんどないと言ってもいい。
間違ってもことを起こしたのならば死は確実だからだ。
そのリスクを負ってまでこのコーレスを突っ切ったのは何らか目的があったため。
「結界起動」
フィアが目を開くと光とともに結界が起動した。
一縷の望みをかけてフィアは結界の探知能力が使われた。
そしてフィアは結界の力を使い先ほどの馬車がこのコーレスにまだいるかどうかを確認する。
「馬車の姿はもうこのコーレスにない…」
フィアは落胆の表情を浮かべ、結界とのつながる魔法式を閉じた。
「ニルヴァさん、結界を勝手に使用してすみません」
フィアはぺこりとニルヴァに頭を下げるとすぐさまニルヴァに背を向ける。
フィアの言葉にニルヴァはどんな反応を取ればいいのか迷う。
そもそも本来ならば管理権限のないものが結界を使用することは叶わないためだ。
「フィアさんはどこへいきますの?」
「私は聖装隊の詰所に向かいます」
フィアは冷静にそう告げた。
「魔剣使いもいる上、相手には相当上位の魔法使いがいます。
カランティを倒し、ヴァロを確実に奪い返するためにも聖装隊の力も借りたい」
フィアの表情には余裕はない。
次はフィアに失敗は許されない。
もし失敗すればヴァロの肉体は『魔王の卵』として何者かの憑代になる。
それはヴァロという存在はこの世から消え去ることを意味していた。
本来ならばすぐにでもあの馬車の後を追いたかったが、彼女は冷静に万全を期すことを選んだ。
今冷静で正しい手順を踏まないと間違いなくヴァロという存在はこの世から消えさってしまうためだ。
憑代のヴァロは儀式が始まるまで安全ともいえる。
激しい戦いになることをクーナは覚悟する。
フィアとクーナは小走りにその場を後にしようとする。
「待ちなさい」
フィアは足を止め振り返る。
「ピオリ、至急馬車の手配を」
「はい」
声をかけられた弟子は大慌てで部屋を出て行った。
ニルヴァは静かに立ち上がる。
「聖装隊にはわたくしも顔が効きますの。それに言われずともあなた方には貸しがあります。
今回の件に関しては元々あなたを支援するつもりでしたわ」
ニルヴァのあなた方という言葉にクーナはピクリと反応を見せる。
ニルヴァと言えば人間嫌いで知られていたはずではなかったか。
クーナはニルヴァには同じ分野の研究者としてあこがれに近い感情を抱いていた。
そして出会った今でもそれは変わらない。
魔女以外とは重要な要件以外は彼女の弟子か、人形を介して行われるという。
そのニルヴァが個人のため、まして一般の人間のために動くことは考えられなかったためである。
一度ニルヴァと出会った時にヴァロに対してどこか甘い感じを受けていたのは間違いではなかったらしい。
あの何の変哲もない男にどうしてフィアやニルヴァまで動かされるのか
この時はクーナはそれがどうしてか知らなかった。
「…助かります」
聖都コーレスの聖堂回境師であるニルヴァが一緒ならばこれほど心強いことはない。
クーナは眼前の二人の後を追う。
三人はそうして聖カルヴィナ聖装隊の詰所まで足を運ぶことになる。




