4-2 リブネントの聖堂回境師
彼女が『天秤』と称されるのには理由がある。
壊れることない天秤。
揺るぐことのない天秤。
誰の目からも正しき秤。
それ故に彼女は魔女たちの間で司法を担当した来た。
それは大魔女たちに対しても公平に裁定を下すことからその呼び名が定着する。
そうして彼女は選定会議などの重要な会議を任されるようになる。
それは彼女に対する信頼であり、彼女の責務になっていく。
それを彼女は嫌ってはいなかったし、彼女の目的のためにもそれは必要なことだった。
異様な集団はカロン城へと架かる橋に向かう。
橋の先には一人の人影が待ち受けていた。
一同の行進がぴたりと止まる。
「ここから先、行かせない」
橋の上に一人の幼い少女が浮かび、その一行を無表情で見下ろしている。
その外見は幼いが彼女こそが、四百年以上の間このリブネントを守護してきた聖堂回境師。
このリブネントにおける絶対守護者。
『天秤』と呼ばれる魔女リュミーサ。
「ヒョヒョヒョ…出てきましたか。『天秤』のリュミーサ」
ウィンレイが微笑みとともにカランティの前に立ちふさがる。
「ここは我々におまかせを」
カーナ四大高弟にして彼女の使うのは空間魔法。
あらゆる空間を自在に操り、質量物をその空間内で自在に転移させることができる。
侵入してきた蛮族を巨大な岩石を頭上に転移させて全滅させたという逸話がある。
まともに戦えばカランティでも倒せないかもしれない。
「ヒョヒョヒョ、退きなさい。あなたたちでは無理」
カランティはウィンレイを素通りしてリュミーサの前に立つ。
「お久しぶりですねぇ。リュミーサ」
カランティはその女性を見上げ声をかける。
「カランティ。この結界の中に入ってきたのが運のつき」
カランティとリュミーサは橋の上で対峙する。
仕掛けたのはリュミーサが先だった。
杭がカランティのいた場所に次々に突き刺さっていく。
カランティは前兆を察し、それを滑るように紙一重で躱していく。
最上級クラスの魔法使い同士の戦い。
リュミーサの扱う空間魔法には大まかにわけて二つの系統がある。
その一つが物質の転移。これを転移魔法とよぶ。
あらゆる質量物を任意の空間に移動することができる。
リュミーサは他の場所から杭を転移させているのだ。
カランティは地面を滑るように移動し、その攻撃を躱していく。
「アレは?」
二番弟子のウィンレイに七番弟子のエムローアが聞く。
「足元と地面の間の摩擦力をゼロにして移動している」
「そんなことが…魔法壁を使わないんですか?」
「魔法壁は空間圧縮等の性質が含まれるものでない限り、転移魔法の前には意味がない。
大抵の魔法使いの魔法壁では転移した物体の前に魔法壁ごと貫かれるだろうな」
カランティはそれを見越してあえて魔法壁を張らないのだ。
「空間転移の魔法は座標を指定しなくては発動できない。
言うなれば高速で動き続けることが転移魔法の対抗策になる。
高位の魔法使いにしかできない高等技術」
(カランティ様がそこまでしなくては相手にならない相手ともいえるのだが…)
ここでウィンレイたちは気付いていないが、カランティはさらに小規模な力場を発生させて座標を乱している。
空間転移の魔法の欠点は点であるということ、その点を少しでもずらしてしまえば躱すことはたやすい。
だが、万が一と言うこともあり得る。これは紙一重の攻防に他ならない。
カランティは躱しながら、足元にある落ちている小さな岩をリュミーサに向けて高速で打つ。
リュミーサはその無数の石を空間転移で躱していく。
もしも転移する座標と投げた石の進む座標が重なれば欠片でも致命傷になっているところだ。
人間のいる場所と座標が重なった場合、肉体はひしゃげる。
紙であったとしてもその紙は肉体を切断する。
空間転移とはほんの些細なものでも致命傷となりかねない繊細なものだ。
それゆえに高位の術者者でもそれを使う者は自身の肉体の転移は躊躇わずにはいられない。
戦闘に組み込めるほどの術者は数えられるほどだ。
目の前に繰り広げられる高位の魔法使い同士の戦いに一同は見ていることしかできない。
並みの魔法使いが割って入ろうものなら即死だろう。
それほどに高次な戦い。
「橋はあきらめる」
ふいにリュミーサに一瞬の間が空く。
『溜め』だ。巨大な魔法を仕掛けてくる合図でもある。
リュミーサが『溜め』を見せたために、カランティもまた『溜め』に入った。
それは互いに強力な魔法を使う前兆であり、それを見ている者たちは固唾をのむ。
これで勝負の決着がつく。
「これで終わり」
突如、カランティの頭上に巨大な岩が転移してくる。
その大きさといえば城が一つすっぽり入るぐらいの大きさだ。
次の瞬間、カランティの描いた魔法式から無数の光線が放たれ、巨大な岩石を粉々に破壊する。
「なんという…」
「これがカランティ様の得意とする極光魔法。第十魔王ルーシェが使ったとされる暗黒魔法の対となる存在。
あの魔法を受け継ぐものはカランティ様ただ一人」
ウィンレイはそれを誇るようにそれを語る。
破壊したはずの大岩を押しのけもう一つの大岩が落下してくる。
「なっ」
どうやらリュミーサは大岩の影にもう一個転移させていたらしい。
横から黒い光がその岩を破壊する。
巨大な岩が破壊され破片が周囲に降り注ぐ。
その黒い光放たれた先に人々の視線が向けられる。
そこには一人の子供が立っていた。
「カランティ、ずいぶんと手こずっている様子だな」
どこか楽しげにその子供は笑う。
子供の影が蠢く。
「申し訳ございません」
リュミーサはその目を見開く。
それもカランティの頭を下げた相手を知っていたためだ。
外見は昔の姿とは異なるが、波長は以前のもの。
リュミーサはその名を口にする。
「…ポルファノア」
「久しいな、『暁の三賢者』リュミーサ」
魔王と聖堂回境師の両者は対峙する。
旗から見れば少年と少女が対峙しているようにしか見えない。
「そうか…力場が安定しないのは…お前も…」
リュミーサは小さくつぶやく。
「この者は私の昔の馴染みである。少し話がしたい」
ポルファノアの声にカランティを背後に下がらせリュミーサの前に出ていく。
「四百年前、カーナについたと聞いたときは耳を疑ったよ」
「よく復活できた」
「分散した意識をこの個体にかき集めた。それに三百年かかってしまったよ」
ポルファノアの足元の影からいくつもの有象無象の魔獣が現れては消える。
「リュミーサ。私につくつもりはないか?これから私は人間界を蹂躙する。
クファトス王でもなしえなかった人間界を落とし、我々魔族の楽園を作るのだ」
「ふざけたことを。そんなことラフェミナが黙っていない」
「大魔女ラフェミナだろうと我々なら打倒できるだろう。準備は入念に時間をかけて行ってきた。
大魔女が二人になった今、人間界を手に入れることはそれほど難しくはない。
ただし問題は支配した後だ。手駒がどうしても足りない」
ポルファノアは余裕たっぷりの表情でリュミーサに声をかける。
「お前も星の民として人間相手に肩身の狭い思いをしてきたのではないか?私とともに来い。悪いようにはしない」
「断る。私はお前の駒になるつもりはない」
リュミーサは身構える。
その返答にポルフェノアは鼻白む。
「あわれな女だ。未だこの土地とあの女に縛られるか」
憐みの籠った表情をポルファノアはリュミーサに向ける。
「ポルファノア様」
背後にいるカランティが声をかける。
「下がっていろ。この者などこの躰でも十分だ。
それにこの程度火の粉、私一人で払いのけられねばラフェミナは倒せんよ」
ポルファノアの足元の影が広がっていく。
そうして魔王ポルファノアと聖堂回境師リュミーサの戦いが始まったのだ。




