恋と呼ぶには
年の差の恋愛ものです。
「あなたを待ち焦がれて」の話は、しばらくこの話を書いていこうと思います。
悪人顔な紳士なおじさんと、
病気のせいで暴言を言っているとわかりつつも身内の言葉に傷つき、身内と向き合えなかった後悔と今も戦い続けている、天邪鬼な少年の話です。
よろしくお願いします。
祖母や祖父と暮らさずにいる家庭が多くなっているこの頃。
俺は父と母、祖母と共に暮らしていた。……あの日が来るまでは。
ある日突然、祖母が毎日同じものを買って来るようになった。
金銭感覚がしっかりしている祖母が、普段なら買いもしない服も良く買って来るようになり、祖母の部屋は物が多くなっていった。
前兆はあった。
祖母は乳がんにかかり、腫瘍を取り除くために手術をした。
だから、母親は手術もあり、強い薬も飲んでいる影響じゃないかと言ったが、その言葉に納得出来なかった。
……物忘れならわかる、でもあんなに金銭感覚がしっかりしていた祖母があんなにもお金を使うようになるなんて。
それを手術や薬のせいだと決めつけるのには違和感があった。……モヤモヤとした気持ちが残り、何故だが嫌な予感がした。
日に日に物忘れは酷くなっていった。
終いには、マナーや時間を破るなどしない限り、恐怖を感じるほど怒鳴ることはなかった祖母が、些細なことで怒鳴り散らすようになった。
何処で怒鳴られるかわからない恐怖で、俺は祖母と会話することが出来なくなってしまった。……その頃にはもう、あんなに好きだった祖母は、誰かに取り憑かれたんだと思わなければ家に帰れなくなってしまっていた。
怒鳴るだけならまだ良い方だったんだと知るのは、数年後のことだった。
祖母が認知症の初期症状を見せたのは俺が中学校二年くらいのことで、それから数年後と言うことは高校一年か二年くらいのことだったと思う。
一人暮らしと、専門学校に行くための資金をバイトしながら貯めていた俺は、いつも通りバイトに行こうとした時、ふとテーブルに目がいき、祖母が乳がんの薬を飲んでいないことに気づいた。
良かれと思って、祖母にそれを教えた時のことだった。見たこともないくらいの鬼の形相で「もう私は死んでも良いのよッ!! あんたごときに薬飲めなんて指図されたくないッ!!」と怒鳴り散らされ、そして……。
細くなった腕から振るわれたとは思えない力で、俺は頰を叩かれ、思わず呆然と立ち尽くす。
頰は直ぐに真っ赤に腫れ、次第にジンジンとした痛みに襲われて、叩かれた衝撃から立ち直った。
……悪いことをしたからって、しつけとしてでも暴力だけは振るわなかった祖母なのに。
叩かれた衝撃から立ち直ることは出来ても、動揺をすることをやめることは出来なかった。
こんな状態でバイトをしても上手くはいかないし、バイトは休んだ方が良いとは一瞬思った。だけど、これ以上家にいる方が自分の命が危ないとか何故か思ったから、普段通りにバイト先に向かうことにした。
腫れを隠すためにマスクをして、バイト先まで行けば、店長に一発で見抜かれてしまったことには驚いた。
ーーその怪我はどうした?
ーー喧嘩したんじゃあるまいな?
違いますと答えれば、店長は顔色を変えて、 家族から暴力を受けているのかと問い詰めてきた。俺だから、そうストレートに聞いてきたんだと思う、回りくどい聞き方を好かない俺だから。
父も、母も祖母のことを認知症だとは認めない。祖母は父の母親だが、母は父と幼馴染で本当の娘のように結婚する前から可愛がられていたらしいから、認めたくなかったんだろう。
……まさか自分の親が認知症になるなんて、そう思ってもいなかったから。
……テレビで報道されてても、何処か他人事のように思っていたんだろう。
家族や本人が認めなければ、役所に行って、申請を出すことも出来ないし、認知症を進めることを遅らせる治療も出来ない。俺がどんなにそのことを訴えかけようと、成人していなく、養われている立場である俺では、子供の戯言として父や母に聞き流されるだけだった。
大人で、こんなにも真剣に俺の話を聞いてくれたのは店長が初めてで、今までの苦しみ、辛さ、悲しみ全てを吐き出した。どんなに祖母に暴言を言われようと、祖母は病気だからと言い聞かせ、泣けなかった俺はその時初めて泣いた。
店長は、俺の背中を泣き終わるまで静かに撫で続けてくれた。
それから店長は母と父に話をつけに行ってくれた。認められないならそれでも良い、それなら息子には迷惑をかけないようにしろとそう言ったようだ。
祖母が事故を起こそうと、火事を起こそうと賠償金は俺は払わないこと。
養子に行こうと文句を言わないこと。
進路や俺が選んだことについて黙って応援をすること。応援が出来ないのなら、黙認することを約束させたようだ。
しかも、後々わかったのだが、その時に両親が書かされた契約書は法律に沿ったやり方であったと言うことだ。
店長は元々は弁護士で、今は何故かコンビニの店長をしているとは聞いたことはあったが、何故わざわざ弁護士をやめたのかは定かではない。
その契約をした後、直ぐに俺は家を出た。と言っても、店長の元で下宿をさせてもらっているだけだけれど。
条件は高校卒業まで。毎月一万払えば、食費も光熱費も全て払わなくて良いと言う好条件で。
本当は断ろうとした。あそこまでしてもらったのに、ここまでしてもらったら、申し訳ないと思ったから。でも、学校に行くために貯めとけって言っていた店長の顔は、とても優しくて、その申し出を断れなかった。
本当はもっと祖母と一緒に居たかった。
本当は祖母を最期まで看取って居たかった。
だけど、その願いを叶えるためには俺の心は弱すぎた。……祖母の変貌ぶりを見るのが辛すぎて、逃げてしまった。
もっと、怖がらず話しておけば良かった。
……人とは愚かだ。失ってから、こうしておけば良かったと後悔する。
「ばあちゃん、俺ね。夢を叶えたんだ。
ばあちゃんに言っていた夢とは違う夢を見つけてね、専門学校をやめて、大学に行ったんだ。……大変だったけど後悔はしてないよ。
……先生になれたよ。たくさん勉強を教えて、たくさん生徒と笑って、もし俺のような経験をしている生徒の相談に乗れたら良いなと思ってる。俺はばあちゃんと上手く向き合えなかったけど、せめて生徒だけは後悔が少なくなってほしいと思っているから。だから、数年間だけど体験していないよりはきっと理解してあげられると思うから、話を聞いてあげたい。
そんな先生になりたいんだ。
綺麗事かもしれない、……偽善者と思われるかもしれないけど、俺は頑張るよ。今度こそは負けないから、天国から見ててね」
これは自分に負けないための決意表明。
どんなにそれが茨の道になろうと、逃げることなく立ち向かうと言う決意をここで見せておきたかった。
新しく何かをすると言うことは、努力を人一倍しなくてはいけないし、批判を浴びる覚悟もしなくてはならない。
中途半端で終わらせたくない、……もう後悔はしたくないから。
「俺は何度挫折しても、立ちあがって、向き合える人になりたい。心が弱くても、意志だけは強く持ち続けられるようになりたい。その気持ちを、ばあちゃんに聞いて欲しかったんだ。
……都合の良い孫だよね。母さんと父さんと離れる覚悟までして出て行った癖に、今更墓参りに来て、ばあちゃんに決意表明して覚悟を決めるなんて。
これで、ばあちゃんを頼るのは最初で最後にするからさ、今回だけは見逃してね。後は墓参りするのは、幸せな報告をする時だけにするから、だから今日だけは……、頼りない孫で居させて下さい……」
頼りない孫で居させてと話しかけた途端、封印していた後悔が溢れ出して来た。
あの時、バイト先に行っていなければ、俺はあのままばあちゃんと一緒に暮らして、精神的に辛くても、看取ることが出来たんじゃないかとか。
薬のことを指摘した時、もう少し言い方を変えて言っていればばあちゃんは叩くなんてことしなかったんじゃないかとか。
もう少し頑張って、自分が傷ついてでも、母さんと父さんのことを説得していればばあちゃんはもっと早くに治療が出来ていて、認知症の進行を遅めることが出来ていたんじゃないかとか後悔は尽きない。
店長はそんなことはないと言ってくれたが、自分がもっと行動していれば何かが変わっていたはずなのにと言う気持ちを抱かないと言うことは出来なかった。
「こんな、頼りない孫でごめんね。
もっと。もっと、俺が頑張って主張していれば、ばあちゃんがしたかったことをもう少し長い時間出来ていたかもしれないのに、俺が逃げたから……。
ごめんね……、ごめんね……。
耐え切れなかったんだ。あの時のばあちゃんの目を見た時、怖くなったんだ。その目には怒りしかなくて……、その目には憎しみすら抱いているように感じたんだ……。
ごめんね……、ごめんね……。あそこまで育ててくれたのに、最期まで一緒にいられなくて……。さよならすら言えなくて、またねすらも言えなくてごめんね……」
言葉に溢れた後悔とともに、俺の目からは涙が溢れ出した。泣いては駄目だと自分に言い聞かせるが、涙は止まってはくれなかった。
その涙を隠すようにポツリ、ポツリと雨が降って来て……、次第に雨具が必要になるくらいの雨が降って来ても俺はその場から動くことが出来なかった。
泣くことを止めることが、出来なかった。
謝ることを、後悔を吐き出すことを止めることも出来なかった。
大声で泣いた。
この雨の音でかき消されるだろうと思って、子供のように泣いた。
……こんな雨の中、自分以外の人が墓参りに来ることはないだろうと思っていたから。
涙が溢れてから何分が過ぎたのだろうか。
声もすっかり枯れて、出し切るまで涙も流してしまった時、雨が当たらなくなった。
……変わらず雨は降っているのにと不思議に思って顔を上げれば、
「……風邪、ひくよ」
無表情で、泣く子もさらに号泣させるくらいの強面な男性が俺のことを傘に入れてくれていた。
……俺は、優しくしてもらう資格なんてもうないのに……。
「そんなの、どうでも良いです」
風邪引くのは困るけれど、あとは卒業だけだし、始業式までに体調を万全にすれば良い。
「……どうでも良いって……、君見た目は若いけど、成人しているんだろう? 健康管理も仕事のうちだぞ? スーツ着てるってことは就活生だな、大学三年か四年ってところか。良いか、社会人になれば風邪では休みを取れることの方が少ないんだぞ? 今のうちから体調管理を自分でできるようになっておかないと後々困るんだからな? 早々休めないし、体調崩したまま仕事をするのは結構しんどいんだぞ?
体調崩している時に、部下に叱ることほど体力を結構持っていかれるんだからな? 出来るもんなら、叱りたくは無いんだが、叱らず甘やかすのも部下のためにもならないし、嫌われ役を演じるのも疲れるよ。ただでさえ、自分は悪人顔なのに、怒ることであらぬ方向の噂は流されるわ、さんざんだよ」
自分で悪人顔って言っちゃうんですね、と内心呟けば、自分の呟きに可笑しくなり、思わずフフッと笑えば、
「何で笑われたかはわからないが、そんな死にそうなされる顔をされるよりも私は自分が笑われようとも、相手が笑ってくれていた方が気持ち的に良いと思っている。……それが例え初対面だとしてもな」
強面な男性はそう言った。
……人は見かけによらないというけれど、彼もまたその類の人なんだな。見知らぬ人に笑ってて欲しいなど、お人好しにも程がある。
「お人好しですね。普通、雨の中傘もささずに立っていたら、怪しむものなのに」
これ以上、親切にしようと思わせないように皮肉を込めてそう言えば、
「よく言われるよ、見た目に反してお人好しだと。いつか騙されて、怪しい壺を買わされるんじゃ無いかと心配だと同僚から言われたことがある。まあ、そんな怪しい輩はこの顔で逃げて行くがな」
一枚上手な返答を頂いてしまった。
「そうですか。傘、差してくれてありがとうございます。今さらなので、このまま帰ります」
これ以上一緒にいたら、この空間から離れられなくなる、そんなような気がした。だから、この心地よい空間から早く逃げ出したかった。
そそくさと男性の元から去ろうとしたが、彼の手によってそれは阻止される。
「そのまま帰ると風邪をひく、これをかぶって帰りなさい。匂いは臭く無いと思うが、おじさんのジャケットで我慢してくれ」
男性は躊躇いなく、知り合いでも無い俺にジャケットを頭から被せた。
同じ男性とは思えないくらいサイズの大きさが違った。俺が細すぎるのか、それとも彼が体格が良すぎるのか、……いや、恐らく両方だろう。
俺はレディースのサイズでも着れるくらい華奢で、大学の健康診断では医者から栄養管理の指導をされたくらいに細い。
食べてないわけじゃ無いし、むしろ人よりもご飯の量を食べているのに、太らない。筋肉をつけるために筋トレしたり、宅急便のバイトを追加しても筋肉はつかない。いや、正しくは数値では筋肉があっても、見ために出ることがないからタチが悪い。
栄養管理の指導をされても、俺は健康体であるのもまた事実。華奢な体がコンプレックスな俺にとっては、体格が良い彼が羨ましくてしょうがない。
それでこの紳士な対応だ。
……卑屈な態度ばかり見せる自分の器の小ささを、この対応の差で感じさせられた。
「……ありがとうございます、このジャケットはクリーニングをしてお返しします。俺……いえ、私は志月虎斗と言います。この見た目で虎斗と言う強そうな名前は似合わないとは自覚しています。昔からこの名前はコンプレックスなので、わがままで申し訳ないのですが、なるべくなら志月とお呼びください。
……あなたの、お名前を聞いてもいいですか?」
クリーニングをして、返すためだ。また会いたいなど一ミリも思っていない! 断じて!
「なら、あえて虎斗くんと呼ぶことにしようかな。先程、皮肉を言われた仕返しだ。
別にクリーニングしなくても良いのに……。でも、それじゃ君の気が済まないよね。私は倉主晴人だ。これ、連絡先だから、いつでも連絡しておいで」
倉主さんは微笑んだ。
強面顔が嘘のように、いたずらに成功した少年のような笑顔を見せられて、思わずドキリとさせられた。
チラリと見えた八重歯に、またドキリとさせられて思わず、
「……はい」
と素直に返事をしてしまった。




