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20話 利他主義者のお悩み相談


 ハインがこの宿に避難し、1週間ほど経った現在。


 詳しくは聞いていないが、時々図書館や森に行って好きに過ごしているらしい。


 少し得意げに魚や山菜を持って帰ってくる日もあったので、リフレッシュできているのだろう。


「仕事の合間にごめんなさい。話したいことがあります」


 昼休憩中にハインが診療所に入ってきた。


「分かった。今日の夜、終わった後でいいか?」


「はい」


 遂にこの日が来てしまったか。


 できるだけの準備はしたが、不安は大きい。


「それなら、それまでに悩みや心配事を紙に書いておくといい。できるだけ具体的にな」


「分かりました」


「俺に見せるかどうかは任せるが、書くだけでも頭の中が整理されて客観的に考えられる」


 もやもやとしたネガティブな感情は、言語化することで対処できる問題になる。


 ハインなら一人でもある程度言語化できるだろうという信頼だ。


「それじゃ、また後で」





 日が沈んだ後の診療所。


 いつも座っている椅子に腰掛けて対峙した。


「好きな体勢で座って、自分のペースで話してくれればいい」


「それと、ここで聞いた話が外に漏れることは無いから安心してくれ」


「ありがとうございます」


(という事で、こっちを見聞きできないようにシャットダウンするから。野次馬は散りなさい)


(そんなに気にするの?)


(気にするの)


「ハインが話したくないことは、話さないでいいからな」


「何を不安に思っているのか、聞かせてくれるか?」


 ハインは紙を見ながら、ぽつりぽつりと話し始める。


「ある日の朝、起きようとしたら、ベッドから出られなくなってたんです。気分が悪くて、吐きそうになって、動けなくて、それでお姉ちゃんに迷惑をかけて」


「休めば良くなると思ってたんですが、それから何日もベッドの上で無駄に過ごしてしまって、でも外に出られなくて」


「他の人からどう思われてるのか気になって、でも知りたくなくて」


 堰き止められた水が流れるように、ハインは不安を吐露していく。


 その話を俺は相槌を打ちながら聞く。


 一旦話し終えたハインは溜息をついた。 


「なるほどね、話してくれてありがとう」


 ここまでは予想通りだな。


 前に診察した時から爆発しそうな兆候があって、その時も精神的な問題だと指摘したわけだし。


「布団から出られない程のストレスか。それはしんどいな」


「はい。自分を責めて、より苦しくなって、焦って、でも動けなくて、さらに自分を責めて、自分のせいで世界が悪くなって、生きる価値がないんじゃないかって」


 価値がないって最近よく聞く言葉だ。


 それは兎も角、不安をよく言語化できているな。


 紙に書いたことが多少なりとも役に立っているのだろう。


「悪循環だな」


「そうですね……」


「でも、誰にでも起こり得ることだから。特別なことじゃない。断ち切ればそれで済むこと」


「そのためにも、もうちょっと質問するから」


「はい」


「外に出られない理由ってあるか?」


「依頼とか、溜まってて、それをやんなきゃいけないから、それが嫌で」


 輪をかけてはっきりしない言い方だ。


「仕事が嫌だってことか。それはめっちゃわかる」


「他に不安なことはないの?」


「……それだけじゃないです。誰とも会いたくない。見られたくない。責められたくない」


「怒られるのが怖いんです。お姉ちゃん、シアさんに」


「会ったら怒られるだろうな。めちゃくちゃ」


「怒られたことなんて、ほとんどなくて、わからなくて、嫌な想像ばかりで」


「俺の勝手な想像だけど、補佐子は理詰めしてきそう。君の姉は泣くか……意外と怒鳴るか?」


「うわ。想像しただけで嫌だな」


「……」


「どちらにせよ、今から何をしたって間に合わないんだから。受け入れるしかないよな」


「しょうがないと覚悟を決めて、自分に言い聞かせる」


 一瞬だけ俺の目を見て、非難するような目をした。


 まぁ、怒るよな。


 しかし、自分でそれに気付いたのか、すぐに目を伏せて怒りを引っ込める。


「わかりました」


 こういうところで、自分の感情を引っ込めて何も言わないのがな。


「怒りがあるなら抑え込まずにぶつけていいよ」


「いえ、ごめんなさい」


 俺は肩を竦める。


「一旦、ここに来る前のハインのスケジュールを書き出してみようか」


 ハインは言われた通りに紙に1日のスケジュールを書いていく。


「これを見て、どう思う?」


「分刻みの予定が詰め込まれていて、これはちょっと、無茶ですね……」


「俺もそう思う」


「そのスケジュールで動いていた時は考えてなかっただろうけど、客観的に見直すとどれだけ無茶していたか分かるだろ?」


「はい」


「この分刻みの依頼って、全部ハインしかできないの?」


「そんなことは、全くない、ですけど」


「それなら他の人に任せればいいんじゃない?」


「もう既にあれから1週間以上経ってるでしょ?それで問題なく町は運営されてるし」


「そうですね、はい」


「そうだな……今度冒険者ギルドに行く時に、ハインの仕事の現状とか聞いてきてあげる」


「他にも何かやって欲しいことがあれば、聞くけど」


「じゃ、じゃあ、お姉ちゃんとシアさんの様子を……」


「あー、様子を見るだけならいいよ。でも、話しかけるのは期待しないで」


「はい、大丈夫です」


 ここで一度休憩。飲み物を飲んで落ち着く。


「それで、他に言っておきたいことは?」


「今は、ないです」


「それじゃ、俺から質問いいか?」


 ハインは頷く。


「傍から見ていて、ハインは利他主義者だなって思うんだけど」


「ハインは自分をどんな人間だと思う?」


「意志がない。自信がない。周りの言うことに従うだけの人間。取り繕って……」


「ごめんごめん、もういいよ」


 ネガティブな言葉が羅列され、俺のミスを認識し、途中で遮った。


「……でも、利他主義というのはそうですね。他の人のことを考えて、がむしゃらに仕事してきました」


「僕はみんなの見本として常に礼儀正しく、尊敬される立ち振る舞いをしないとダメなんです。仲間をリードして、常に守れるようにならないと。それが僕の義務だから」


「それをできていない今の僕は、どうしようもなく駄目で、絶対に見放されるんです」


「そうか?」


「少なくとも俺は今のハインを認めているし、かなり根気強く付き合っていると思うけど」


「……そう、ですね。大変お世話になってます」


 なんか話がズレてるような。


「そういえば前に、戦闘で役に立たないと価値がないって言ってたな」


「はい、最初に森に行った時、ですよね」


「それに、さっきも自分に生きる価値がないって」


「なんでそう思うんだ?」


「人の役に立つことが、僕が生きていても許される理由なので」


「役に立たないと生きることも許されないのか?」


「僕は、ですけど」


 特定の個人に厳しすぎるディストピア?


「人の役に立つことが価値だと考えると、休んでいる間は無価値ってことにならない?」


「そう、ですね。ベッドで横になっていても焦ってます」


「それ、健康に悪くない?」


「う……」


「価値観なんて人の主観と認識の産物で、それぞれ違う。絶対的な価値なんてない」


「だから、個人的には自分のしたいこと、面白いと思うこと、好きなこと、総じて心の発露を価値にするのがオススメかな」


「別にそうしなくても気にしないし、参考程度の話だけど」


「俺も人の役に立つことに価値は感じるけど、自己満足の方が優先度は高い。どちらかを選べと言われたら自分を優先する」


「ハインも人の役に立つ以外の価値観を持ってるんじゃないか?認識してないだけで」


 人の価値観にはグラデーションがある。それを認識するために自己理解が必要。


 単純に考えると視野が狭くなって、更に思考が単純化される。


「そう、かもしれません」


「でも、他の人の感情に、影響を受けやすくて」


「嫌な感情を向けられると、苦しくて」


「だから、他の人の言うことを聞いている間は、気分が悪くなることが少ないので……」


「僕が頑張って、相手が喜んでくれれば、自分も嬉しい、というのもありますけど」


「なるほどな」


「その能力は素晴らしいが、それが足枷になることもある。使い分けられた方が良い」


「自分と他人の境界線を意識して、共感性を抑える練習をするといいかもな」


 ハインは手持ちの紙に俺のアドバイスを書き留める。真面目だ。


「あと、ハインが今認識している価値観で、外的なものと内的なものを区別したい」


「ハインはドラゴン討伐の式典の後どう思った?」


「責任を感じました。もっと頑張らないとって」


「それだけ?」


「……感謝されて嬉しかったのは間違いないと思います」


 承認欲求が薄いのか?


「依頼を分刻みでこなしてた時はどう思ってた?」


「町で雑用みたいな仕事をするのは納得してなかった……と、思います」


「重要じゃない依頼の時は休みたいし、自分の時間が欲しいと思う」


 ハインの体が少し跳ねる。


「……俺ならそう思うって話」


「他の人のためだけに生きて、それで納得できてないなら、自分を大切にした方がいいんじゃない?」


 事実として、利他行為だけでは耐えられていない。


 過労にならないための体調管理とか、そういう話じゃなくて、根本的な生き方の話。


「誰かに優しくした分だけ返してほしいと思うのは決して間違いじゃない」


「無私で他愛が本当に純粋な利他主義なんだろうけど、そんなの人間的じゃなさすぎる」


「ボロボロになるまで他人に尽くして、何も得られないなんて、普通の感性なら納得できないでしょ」


「そう、ですよね」


「先に自分の幸せを考えて、余力があれば周りの人の助けになるぐらいが丁度良い」


「その為にも、ハインは自分のために生きる自分を許す。他の人のために生きてきた自分を労る努力が必要かもな」


「が、頑張ります」


 ここで二度目の休憩。軽食をとる。


「話をちょっと戻そうか」


「ハインはポジティブに考えて、自分自身をどう思ってる?」


「天才だとは、よく言われます。戦いに関しては少し自信がありますし、町の人にも、冒険者にも、よく頼りにされてます」


 やっぱり他人の評価か。評価軸を自分に移すには時間がかかりそうだ。


「身体を動かすことに関しては、努力も込みで天才的なのは間違いない」


「前半は同意するが、後半。“頼る”と言うよりは、“扱き使う"と言った方が正確かもな」


「そうですか?」


「外から見た俺の感想だけど、ここに居るってことはそういうことでしょ」


 すぐ逃げる弱さがあれば、拒否する能力があれば、ここまでの事態にはなっていない。


 強いからなんでも求められる。人が良いから苦しむ。


「……でも、みんな責任感持って、真面目に町のために仕事してますから」


 そういう認知なのか、それとも、自分の世界観に固執して目を逸らしているだけなのか。


「間違いじゃないけど、視野が狭い」


「人間に利他的な部分があれば、利己的な部分もある」


「それに、良い人に見えても裏があったり、意地悪な人でも優しさがあったりする」


「大人は必死に生きているように見えてサボってるし、ギリギリで生きていない」


「そんなこと……」


「ないって本当に思ってる?」


「相手の善意を信じて行動できるのは素晴らしいけど、悪意を見抜けないと自分が傷つくだけ」


「……」


「人間は楽しく生きて、気楽に暮らしていい。実際大半の人間は楽観的に生きているし、ハインも俺もそれができる」


「これを知ってないと、生きている意味を見出せないし、死んだ方がマシだと思ってしまう」


「まぁ、頭の片隅にでも置いてくれれば良い」


「分かります。言っていることは理解できるんですけど、ダメなんです」


「どうしても、周りの人に期待されたり、頼りにされたりすると勝手に身体が動いて、口がネガティブな言葉を発してくれない」


 ハインは喉の奥から搾り出すように悲痛な声で話す。


 頭では理解していても自分を責めてしまう。


 これは幼い頃に原因があると見た。


 ハインの過去を尋ねるか。


「話は変わるけど、どんな家庭で育ったの?」


「ずっと前に、両親が亡くなって、幼い時から姉弟2人で生活してました」


「だから、両親のことは、あまり覚えていなくて……どちらも厳格な人で、この町で学校の先生をやっていたらしいです」


「あと、“姉弟で仲良く暮らしなさい"と最期に言われたと、姉からは聞いています」


「お姉ちゃんはあんまり両親の話をしたがらないので、詳しくは知らないですけど」


「なるほどね。姉との関係はどうなの?」


「悪くは、ないと思います。一緒にいることも多かったですから」


「お姉ちゃんとの仲が悪くならないように、ずっと気にして、従ってました。それで褒めてくれたので」


「他人の顔色を窺って生きる癖が付いた、ということ?」


「そうなんです。小さい頃は特に、お姉ちゃんと協力して生活しないと生きていけないので、お姉ちゃんのお願いを拒否して嫌われたらどうしようって」


「お姉ちゃんに言葉遣いとか、服装とか、振る舞いとか、マナーとかを矯正されてました」


「お姉ちゃん以外にも、学校の友人とか、同僚とかにも言われたりして、いつの間にか身体も他人に従って動くようになってました」


「思えば、僕はその時から何も変わってない。本当に嫌になります」


 子供の時に受動的な経験ばかりだと、大人になっても能動的には中々なれない。


 自動的に意思を押し殺す方向へ流れていく。


「誰でもそう。子供の頃の習慣や癖を消すのは難しい」


「だからこそ、それを認識して、少しずつでも行動を変えないとな」


「そう、ですね」


「最近思い出したんですけど、学校に行くようになってから姉にお願いされることが多くなって、何か学校であったのかなって」


「それじゃ、何故なのか考えてみるか」


「確認だけど、同じ学校に通ってたってことでいいの?」


「ちょっとだけ違います。その学校は成績の良いクラスと悪いクラスで校舎が分かれていたので」


「弟は優秀で、姉は普通かそれ以下、ってこと?」


「……はい」


「学校に通っている時に、姉がどう思っていたのか、姉の立場に立って考えてみるか」


「……姉は、劣等感があるのかもしれないです」


「その気持ちを発散するために、僕に色々とやらせてたのかも」


 自分よりも優秀な弟を顎で使っているという優越感もありそう。


「相手の考えを想像してみるのは大事だ。事実かどうかはさておき」


「姉がハインを褒めた時に、裏にどんな本音があるのか」


「それは本当にハインの事を想って褒めているのか、ハインをコントロールするために褒めているのか」


「コントロールするために褒める部分もあったと思いますけど、家族としての愛もあったと思います」


「何か良い思い出とかあるの?」


「……すぐには思い出せないですけど」


「そうなの?一般的には、誕生日とか何かあるんじゃない?」


「あっ……そう、ですね。誕生日は、毎年祝ってもらいました」


「忘れてました。すみません」


「謝る必要は全くないよ」


「でも、思い出すのに時間が必要そうだな」


「時間がある時にでも、姉がハインに対して何を思っているのか。ハインが姉に対して本当はどう思っているのか、考えてみるといい。できれば、他の人についても」


「そのために、自分の心の動きと相手の行動を思い出そう」


「人付き合いって大変なんですね」


「人間って複雑な生き物だからな」


「この複雑さを単純化せずに理解できるようになると、人間関係が上手くいく」


「それなら、頑張りたい、ですね」


「他に言っておきたい事はある?」


「いえ、特には」


 ここで、最後の休憩。冷たい水で喉の渇きを潤す。


「色々と話し合ったが、これからどうしたい?」


「もう、何も決められないのは、嫌です。一歩でもいいから、進みたい」


「具体的には?」


「もう一度」


「もう一度だけ、お姉ちゃんと、話したいです」


「話して、姉弟関係を、作り直したい」


「そっか」


 人間万事塞翁が馬。


 だからこそ、自分で判断して、前に一歩でも歩き出せることが大事。


「それなら、詳しいことは後で作戦会議するか」


「ありがとうございます」


「それじゃあ……部屋に戻ります」


「おう、またな」


 診療所の扉まで歩いてハインを見送る。


 姉の話は深くまで踏み込めなかったからな。


 ハインが姉と向き合う気なら、姉との関係性を再定義しないと上手くいかないだろう。


 その辺も作戦会議で詰めないと。


(もう終わったから見ていいよ)


(……どうだった?)


(まぁ、これからだな)


(これで終わりじゃないんだ?)


(どれだけ完璧にやっても元通りになることはない)


(そうなの?)


(心は紙のようなもの。一度折り目がついたら元の紙には戻らないから)


(皺のある状態でも前を向いて明るく生きていける。そうなるように努めたが、どう転ぶのか、誰にも分からない)


(う〜ん、もどかしい!私には何もできないのかな)


(翻訳とか色々手伝ってると思うけど)


(それは今回の件とは関係なく、いつもやってることだから)


 直接ハインと話せるわけじゃないからなぁ。


(…それなら、祈ってみたら?)


(祈る?)


(他人の幸せを祈るのはいいぞ。ハインにとっても、桜にとっても)


(お祈りとは、珍しくオカルトなことを言うね)


(祈る方には明確なメリットがある)


(そうなの?)


(健康になったり、安心したり、ポジティブになったり……まぁ、総じて魂の安定のためになると言って良いだろう)


(祈られる方にどんな効果があるのかは未知数だが、幸せを祈って悪くなることはないはず)


(どうだ?やってみる気になったか?)


(まぁ、やるだけやってみるよ)

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