厩戸皇子
舞台は飛鳥時代の二本。史実にフィクションを交えながら展開していきます。
よろしくお願いいたします。
常人には見えぬものが見える。
自分の見ている世界が他人とは異なっていることに気付いた頃には、厩戸に近づく者は誰もいなくなっていた。
両親はそれぞれ天皇家と蘇我氏の出自という名門の生まれである。生まれ落ちたときから都でも一流の乳母をあてがわれた。
ところが、長続きしない。
皆が皆、気味が悪いと言っては辞めていく。
まだ赤子の厩戸しかいない部屋から笑い声がする。
這うこともできぬはずなのに、いつの間にやら隣の部屋に移っている。
挙句の果てには宙に浮いていたと騒ぎ出す者まででる始末。
乳離れする頃には世話をする者もおらず、朝夕の食事だけが届けられるようになっていた。
普通の子どもであれば、そのような仕打ちに耐えることはできなかったであろう。
しかし、厩戸は違った。
常人には見えぬものが見えていたからだ。
怪異、人外、魑魅魍魎。
常人が畏れ、忌み嫌うこれらのものどもを厩戸は見ることができた。
厩戸が育てられたのは、元は厩戸の祖父にあたる欽明王の別宮として造営された邸宅であった。
厩戸の母、穴穂部間人皇女が旧欽明邸の近辺を散策中に産気づき、その邸宅の厩舎で産み落とされたのが、厩戸皇子である。それゆえ、厩戸は旧欽明邸で育てられることとなった。
旧欽明邸のある明日香は、古来より霊気が溜まりやすく怪異や人外どもの集まる土地であった。元々が不思議や怪事の多い土地柄である。欽明王の崩御後は旧欽明邸を訪れる者もなく、怪異どもの格好の棲み処となっていたのだ。
邪鬼、悪鬼、羅刹。
人がそう呼ぶ怪異どもは、見た目は確かに怖ろしい。だが、巷間伝えられるように理由なく人に害を為すことは、実は、ない。怪異の側から進んで人と関わりを持つことも、ほとんどない。
但し。
ありもせぬ罪や身勝手な不安を理由に調伏、討伐などと称して戦いを挑まれたなら、話は別である。
傷つけもしよう、殺しもしよう。
悪鬼を悪鬼、邪鬼を邪鬼となしているのは、人どもの手前勝手な思いなのだ。
だが、世の知恵に染まらぬ赤子の厩戸には、人と怪異を隔てるような考えは一切なかった。
怪異どももまた、この変わった赤子に興味を持った。怪異どもを見ても恐れず、かえって手を伸ばそうとする厩戸に驚き、喜び、やがては愛おしく思ったからだ。
厩戸の周囲には常に怪異どもがいて、世の人に見捨てられたような赤子の世話を引き受けていたのだった。
だから厩戸は寂しくはなかった。悲しくもなかった。世間の子どもというものが、どのように親に愛され、慈しまれるかを知らぬまま、怪異どもとの時は過ぎていった。
「不憫なことよ」
10歳になった日、父である橘皇子は厩戸が一人で住まう屋敷を訪ね、そうつぶやいた。
「おれは不憫なのであろうか?」
「そんなことがあるものか」地団太を踏みながら、怪異の一体、天燈鬼が言った。
「誰にもそのようなことは言わせまいぞ」肩を怒らせて龍燈鬼も言った。
「お前は俺たちの王になるのだ」二匹の鬼が声をあわせた
。
「お前たちの王に?」
「そうだ、俺たちの王だ」周りの怪異どもも声を揃えた。
「おれはお前たちの家族でありたいのだが」
「では、家族のような王になれ」
「家族のような王か。そうか、そうだな、おれは、そのような王になろう」
厩戸を囲む大勢の家族たちが、一斉に喜びの声をあげたのだった。
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