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ヴァロベルスという世界樹が生えていた。それは、途方もなく巨大で、根本に立つと、果てがないほどに空が緑色になる。どこまでも広がるそんな景色が、そこにはあった。
その、ヴァロベルスと同じ名前の国がその下にあった。
そんな国でも現実の暮らしを紹介されていただきたい。
彼らは、その世界樹に庇護されながらも、どこかそれを迷惑に思いながら生きていたのだ。それは本当に、自然に対する向き合い方と同じなのだと思う。
「はぁ、本当に、春は最悪だね」
ヴァロベルスに暮らしていた高齢の女性がそう呟いた。
なぜそんなことを言うのかと言えば、その理由は非常にシンプルだ。
世界樹に咲いていた花が、この時期になると花びらとなって地面に落下してくるのだ。それは一軒家ほどの大きさをしており、下敷きになるとひとたまりもないような重さだった。
この世界には魔法が存在している。
なので、その落下してきた花の下敷きになっても生きてはいける。
が、その花びらは、やがて朽ちていくのだ。落ちてきてからすぐは綺麗なその花びらも、やがては腐っていく。それだけの大きさの花びらが腐るとどうなるのか。
その答えもシンプルだ。
その花びらは周囲に悪臭を撒き散らす。
酸っぱいような、腐敗臭が国全体を覆う。
高齢の女性はそれを嗅いで、そんなことを呟いたのだった。
それに、そもそも世界樹自体が特殊な臭いを放っている。
青臭いような臭いが冬以外の季節はずっとこの国に充満していた。
しかも、それはただ青臭いだけではなくて、甘い臭いでもあるのだ。
それを嗅いでいると頭が痛くなる人すらいた。
慣れない人がここへやってくると必ず気分が悪くなった。
二つの臭いが混ざっている春は最悪だった。
この国の住人であっても鼻をつまむほどだった。
それでも、世界樹の下の恩恵を得るためにここで暮らす。
恵みを得るためにここで生活しようとする。
問題は、臭いだけではない。
上空の花から地上へと降りてくる花粉だ。
無数の、バスケットボールのような大きさをした花粉が落ちてくる。
それは、子孫が遠くにいくための花粉なので、重さはそこまでないが、それでも、春になるとそれが国全体を覆うことになる。
黄色い花粉と、枯れた花、そして、落下した葉っぱによって汚い色になるヴァロベルス。しかしながら、住人はそれにある程度慣れていたので、そこまでも問題意識はなかった。
それに、それらは悪いことばかりではない。
落ちてきたそれらは肥料として使えるのだ。
それも、かなり栄養価の高い肥料として使える。
なので、畑などにそれを撒いておくと、野菜などが立派に育つ。
土地も痩せることがなく、連続で別の作物も植えられる。
世界樹による恩恵は作物の他にもある。
世界樹の下にいると、魔力が強まるのだ。
しかもそれは一時的なものではない。
世界樹の下で暮らしているだけで特訓になるということだ。
それもあって、冒険者でこの国を本拠地にしている人も多い。
栄養価が高い野菜もあるので、体も丈夫になる。
また、モンスターが街にやってこないというメリットもある。
モンスターは世界樹の香りが嫌いなのでここにやってこれない。
基本的に、この国は安全だった。
が、それでも、この国には、この国特有の危険があるのだった。それは、枝の落下だ。世界樹の枝は大木ほどの大きさがある。
その、大木ほどの枝の下敷きになると、さすがに魔法があっても死んでしまう人がそれなりにいた。建物に衝突しても酷い被害が出る。魔力がコーティングされている建物も、それの落下には耐えられないことの方が多い。
そうならないために、一部の場所では上空にネットが張ってある。
とはいえ、大木はそれを貫通することすらあった。
この国で暮らしている人はみんな、不意に命を落とすかもしれないという恐怖の中にあった。それでも、みんな世界樹の下に集まるのだ。
それは、世界樹が信仰の対象だからでもある。
世界樹の下にいる人間は、然るべき時に救われる。
神様がこの場所にやってきて、救いの手を差し伸べる。
そんなことが、当然のように語られていた。
そんな宗教の影響もあり、今でもこの国の端では戦争が絶えない。とはいえ、世界樹によって魔力が強化されている住人は、その戦争に負けることなどない。
不敗神話は選民意識を作っていった。
ヴァロベルスで暮らしていることは名誉であり、権利であり、アイデンティティでもあったのだ。だから、どれだけの問題がここで起こっても、結局はみんなここで暮らすのだ。
そんな場所で暮らしている27歳ほどの男性。
名前はラクヨウと呼ぶ。
そんな彼は、今のヴァロベルスの現状をよく思っていなかった。
生まれも育ちもここである彼は、この場所で暮らしている普通の人々とは少し違う感覚を持っていた。それは、みんなが信仰している、世界樹の神話を信じていなかったということだ。
彼はそれでも、生まれ育ったその場所が好きだった。
好きであるがゆえに、どうしてもそれが好きになれないのだった。




