少年の無謀と勇気
彼が華麗なる素通りをしてしまった地域にその街はあった。
薬草学を懇切教わった山岳民族の集落から程近く、商業都市国家コルトシュタインへ通じる街道が大きく設けられた小さな街だ。
彼の地を治める王の分家が治めているとのことである。一泊しただけで済ませてしまった自分が恥ずかしい思いであった。
「さて……」あの感情のゆれを起こしたのは、何処の誰であったろうか。一軒一軒回って確かめるわけにも行かないが、乗りかかった船である。
方角を探り探り歩いていると、「むぅ!?」
「うわ! っとと、ごめんよ!」街道を駈けて来た少年と正面衝突した。「大事ないか」
「俺は平気……そっちは」
「大事無い」
「なら良かった。ちょっと急いでるから……」
「まぁ待て。何か訳ありか?」
「……そんなんじゃないけど」大いに訳ありな顔をして、少年は俯いた。健康的に日焼けしたように見える肌はおそらく、例の山岳地帯に住んでいた戦闘民族の血を引いているのだろう。いい加減に束ねた黒髪が、所在無さげに撥ねている。
「これから何処へ向かう、少年」
「コルトシュタイン。ちょっと、王様に用があるんだ」
「……勧められんな」
「どうしてさ?」
「風の便りに、王自身は若く柔軟で人気も高いと聞いたことがある。だが、かの国の宮廷については良い話を聞かん」
「じゃあ、俺、どうしたらいい」
「そなたは若い――どころか未だ子どもであろ? 年長者に頼ってみるのは如何だ。さ、静かなところへ案内してくれ」
「それならこっちだ」
少年と魔王は街道沿いを歩き、こぢんまりとした構えのバーに入った。
「おうジェシー、来たのか」
「ん。おっさん、悪いけど個室貸して」
「構わんよ、ヒマだし」初老の口ひげが、少年にキィを滑らせてよこす。
あんがと、と言ってにっと笑うのを見れば、普段は快活なのだろうとわかる。
少年はカウンター横のドアを開けると、個室の中の椅子を相手に勧めた。
互いに名乗って、杯を酌み交わす。少年は炭酸水、男は葡萄酒だ。
「スゴロクさんは冒険者なんだよね? どんな依頼とか受けてるんだい」
「なんでも受けるぞ」
そっか、と考えるそぶりをして、「じゃあ、俺に剣を教えてくれない?」
「冒険者になりたいのか」
「うん。俺……どうしても強くなりたいんだ。早く強くならなくちゃ」
「落ち着け。ゆっくり話せ。この冒険者に何を望む?」
「す、好きな女の子がいるんだ。その子を取り返したい!」
顔を赤らめ、声を上ずらせて言う。
「それはいい――だが、戦うべき相手はわかっているのか」
「俺なんかじゃ、普通は太刀打ちできない相手なんだ……コルトシュタインの賢王陛下」
「なるほど。用とはそのことか。その好いた女子に、アルフレッド王との縁談でも降ったか」
「安直だけど、その通りなんだよね――ハハッ」
外国の王に見初められるということは、一般的に見れば玉の輿の極め付きである。他国より嫁がせた后を蔑ろにすればそれだけで国際問題になるし、夫君が王権の所有者ならば豊かな暮らしも約束されたと同じである。
それを妨げたい理由が、この少年にはあるのだろう。
「おかしいだろ。父さんも母さんも笑うんだ。なんで喜んでやらないんだって」
「貴殿は先程来、取り戻すと言っている」魔王はグラスを傾けて喉を潤し、少年を真っ直ぐに見つめる。「思うところを伝えたのか? 心を委ねてもらったのか」
「伝えた。俺のことを好きだって……言ってくれた」
「それなら、守ってやらねばな」
その一言できが楽になったらしく、ジェシーは事の顛末を語った。
齢わずか十二、まだ結婚できる年齢ではないが、早熟で聡明な少女であること。王はどうやらその国の方式で教育し、気に入りの后としたいようであること。
今のところこの少年だけがその婚約に異を唱えていること。
「たった一人で王権に挑む、か。少々無謀だが……彼女の出立には時間があるのだね?」
「三カ月チョイ」
「そうか……さてさて、難題であるな」
支配の権利に付随しそれを証明する『王の力』を振りかざしてこられれば、確かにジェシーに勝ち目はあるまい。いかに軟弱であろうと独裁的であろうと、王が王である限りその掌中とされ、強固な楯であり鋭利な剣となる力である。
『種族として魔界の国の王と成りうる』魔王スゴロクと比べるならば、アリとゾウの勝負となろうものを。
かの幼き勇者であれば、もっとこの子の気持ちに寄り添って考え、答えを出すのだろうか……。
だが、この場にはあの娘も側近も居ない。ロデルは呼べば来てくれようが、決断は己に委ねようとするだろう。そういう娘だ。
「よかろう」ならば魔界の――余の流儀で事に当たるのみである。
「ジェシー、父母に外泊の許可を取って来るがいい。期間は三ヶ月。この余が鍛え上げてやる」
「引き受けてくれる!? 俺、頑張るよ! 絶対強くなる! でも……スゴロクさんって一体、何者?」
二人分の飲み物には少し多い代金をテーブルに置き、ゆらりと立ち上がる。
「なに。困難に立ち向かう者を放っておけぬ、酔狂な冒険者さ」中性的な紅い瞳が輝いた。
2015年 08月05日 10時38分 投稿
2016年 04月28日 14時47分 誤字修正