魔王城へようこそ!
「なあ、スゴロクさん」魔王城の大浴場前でよく冷えた水をがぶ飲みしつつ、少年は言った。「ホントによかったのか、俺に付き合わせちまって」
別段構わぬと、こちらは風呂から上がったばかりのスゴロクが応える。「どの道、どこかで逗留しようと思っていた」実家に戻ろうと変わりはない、そういう理屈のようである。
「つったってさぁ……」
「何だ、文句の多いヤツだな……そりゃ確かに、大事なことを言ってなかった余も余だが」
スゴロクの家は魔界であり、魔王城である。彼は一軍と国民を束ねる王である。その近衛軍の助力を得ることに何の不自然さがあろう。
「師は多いほうがいいではないか。ジェシーは『王』に挑まねばならんのだぞ?」
「うん。本当に感謝してるんだ――ごめん」
「余に言えたことでもないがな、男はあまりウジウジするものではない。決めた事は守れ、貫き通せ。明日からは少々手荒にやる」
「よろしくお願いします、『魔王』スゴロク」
「あい分かった。では今夜は休め」
「早速手合せ、とかじゃないんだ」
「そうして欲しければそうするが……余は強いぞ」にっこりと女性のように笑うが、真紅の瞳には獰猛で挑戦的な光が宿っている。
ヒキコモリでド真面目でどちらかと言えば後ろ向きだが、彼も『魔王=覇龍』であった。
「勝てる気しないなぁ……」
「だろうな。寝る気にならずば我が異母妹を尋ねよ。仮にも女性の部屋だ、失礼のないようにな」
純朴で純情な少年は言葉を荒げざるを得なかった。「俺はニーナ一筋だっつの」
「今の音声記録したぞ、その淑女に贈っておいてやる」
「なっ……!?」
「冗談だ、そう怖い顔をするな」
喉を鳴らして、魔王は姿を消した。
少年はため息をつきながら歩き、渡された見取り図の通り件の部屋を探し当てた。
「おや、ジェシー君。遊びに来たのならどうぞ」
声を掛ける前に返事をするという器用な事をした女史の言葉に従い、入室する。
「こんばんは。夕食会以来ですね?」
シェリー=シュヴェアートは、机に突っ伏して寝息を立てる妹分の背に毛布を掛けつつ言った。
余裕たっぷりの態度に逆に慌てたのはジェシーである。「ししし失礼しました!」踵を返そうとするが、
「気にしないで、夜更かし大好きだけど一回寝たら朝まで起きない子だから」
「は、はぁ……だったらいいんですけど……」息をついて向き直った。椅子を勧められて従う。
「わが国は如何です? 人間界の本で読むようなそれとは随分違うと自負しますが」
違うと言っても魔界は魔界、人間を寄せ付けない苛烈な環境であることに間違いはない。シェリーが言うのは、魔王スゴロクの国に住む魔族やひいては魔王軍のことだ。
「俺が知ってる『魔王軍』とは確かに違います」
現在の人間界に普及している伝承などによれば、魔王とその軍は侵略者と定義される。凶悪であり邪悪であり、無辜の民に刃を向けることも少なくない。――嫌悪や憎悪の対象になりはしても、称えられることなど数えるほどしかない存在だ。
おしなべて強大無比である彼等にとっては、人間が恃む『人の王の力』などは蟻の如し。そのことは、人間界に『勇者』が出現する大きな理由の一つともなっている。
それが全てではないにせよ、『勇者』と『魔王』の戦いはこの世界においても書物や映画、タペストリの中だけの話ではないのだ。
だが――魔王スゴロクの家系は、その一般論に異を唱える数少ない魔界の王家である。いわんやその近衛軍をや、未だかつて人間の軍と争ったことなどない。
「私たちの父祖は、ニンゲンというものに対する興味や情愛が深かったようでしてね……中でも異母兄の母は純粋な人間なのです」
「マジすか!?」
「うそを言う得はないわね。ま、魔族の婚姻ですから? そのあとも正妻待遇の側室を何人も娶ったんですけど」
「うへぇ……すげぇっすね」
「人間界の倫理ではありえぬことでしょう。貴殿が相手取ろうとしている王侯貴族でもなくば」
そうですね、と穏やかに応えて、少年は拳にわずかな力を込める。
「私はその王という方を知りませんが」机を挟んで向かい合った少年に魔界の果物を勧めながら、龍人は言った。
「少々期間は短く思いますけれども、真摯に誠実に努力を重ねることができるなら。兄と魔王軍、もちろん私も手を貸すのです。貴殿の成すべきことはきっとうまく行くわ」
湖面の如き碧眼が細められる。美しい笑顔だ。
どこがという話ではないのだけど、全体的な雰囲気が少しだけニーナに似ている、とジェシーは思う。
彼女の血族で彼が私淑するコルトシュタインの名門ファーウィンド将軍家にも、何かこの魔王家と似たような由来があるのかもしれない。もちろん、詳しく聞けるような立場でもないけれども。
「フフ、少し間違えてしまったようですね」
「?」
「もう少し眠くなるような話をするべきでしたよ。たとえば魔界の奥地に篭りきりの哲学者の講義とか」
目が冴え冴えとしていることを見抜かれて、ジェシーは苦笑する。こちらは年齢に比して大人びた笑みであった。
「まあ、それを食べれば眠れぬということもないでしょう。休んでおきなさい、明日からは厳しく稽古をつけて差し上げますから」
「ハハ……こりゃ明日が心配っすわ」
でしょうねと意味深に笑んだ龍人に、少年はようやく修身の挨拶をした。
2015年 08月07日 16時30分 投稿




