転生に気付きました
ーー助けて……お願い……
目を覚ましたとき、その声だけが残っていた。
光が、やけに遠い。
薄く、柔らかい光が天井をなぞっている。ここがどこなのか、すぐには思い出せなかった。
知らない場所、というわけではない。
けれど、少しだけ“ずれている”。
ここが自分の部屋であるという認識はあるが、何かが違う。何か。『前』と。
ゆっくりと身を起こす。寝台がきしむ。指先を握って、開く。感覚はある。温度もある。
それなのに、胸の奥がざわついている。
何かを見ていた。とても長い夢を。
白い頁。黒い文字。物語。世界が滅びる話。怪物の話。誰かが犠牲になる話。
……どこで読んだ?
思い出せない。
けれど、知っている気がする。
立ち上がり、足を床につける。冷たい。室内は静かだ。外から微かなざわめきが届く。
いつもの朝だ。
いつものはずなのに。
私は自分の手を見つめた。
上着を羽織り、外へ出る。
空気はいつも通りだった。この世界で十数年、生きてきた。歩き慣れた道。見慣れた景色。友達もいたし、笑った日もあったし、怒られた日もあった。昨日だって、普通だった。
それなのに。
今日は、その“普通”の表面が一枚剥がれている。
同じ道を歩いているのに、この道は『前』とは違う。そう考えてしまう。
見知った背中に声をかける。
「おはよ」
少し肩がはね、振り向いた彼女はいつも通りの顔で笑った。
「びっくりした! もー。おはよ」
並んで歩く。会話も変わらない。課題の話、くだらない噂。ちゃんと覚えている。
でも――
「今日なんか変」
「そう?」
私がずれているんじゃない。
多分、ずっと前から、少しだけ違和感があった。
それを、私は見ないふりをしていただけだ。
建物に入り、席につく。時間は流れる。何も起きない。少しの違和感はあるが、何もない。世界は平和だ。
でも、知っている。
物語は、突然始まるものじゃない。静かに、気づいた者から始まるのだと。
帰宅し、自分の部屋に入る。ふと、机の上にある本のようなものが視界に入った。
これはなんだ?
ここにこんな物あったか?
何かがおかしい。
おそるおそる近づき、触れる。本の表紙は、指先にひどく馴染んだ。瞬間、胸の奥が静かに鳴る。
私は、これを知っている?
ゆっくりと開く。
最初の頁。
そこに並んでいたのは、間違いなく自分の筆跡だった。
癖のある払い。少し傾いた文字。
見慣れている文字だ。
なのに、覚えていない。
唐突な一文。息が止まる。頁をめくる。
――私は一度、世界を終わらせた。
喉が鳴った。心臓が強く打つ。
――この世界は、怪物に満ちていた。
文字は震えていない。
落ち着いた、整った筆跡。
――怪物は、人に危害を与える。
視界の奥が、わずかに揺らぐ。
白い頁。黒い影。叫び声。誰かが泣いている。知っている。
指先が震える。頁をさらにめくる。
――私は諦めなかった。何度も。
――けれど、無理だった。
そこで文字は途切れている。
空白。
ゆっくりと息を吸った。
胸の奥のざわめきが、形を持つ。
そうだ。夢じゃない。あれは、『前の世界』の記憶だ。
だから私は、今日、思い出しかけていた。
これは『転生』だ。
一度終わり、そしてここにいる。続きの物語を始めるために。
頁の最後に、小さな一文があった。
――次は、もっと早く気づけ。
本を閉じる。胸の奥のざわめきは、もうおさまっていた。
この本は『前』と結末を変えるために、『前』の私が託したのだ。
その日の夜。
あれから数時間、この世界と前の世界について考えた。
ただ、私は前の世界のことが曖昧にしか思い出せなかった。自分が最後どうなったのかも分からない。なのに、誰かの泣き声や怒号だけが残っている。
多分、前の世界は平和じゃなかった。常に争いごとが身近にあったような感覚もある。
ここは平和だ。だから誰にも話さない。おかしな奴とも思われないように。
結末は、私が変える。




