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「悠介は、わたしのもの」

 正月三が日を過ぎても、悠介は伯父の家にいた。仕事始めは一月六日だったが、五日まで滞在することに決めたのだ。杏が「いればいいじゃん」と言ったから——いや、自分で決めたことだ。杏に言われたからではない。ただ、杏がそう言ったとき、断る理由が見つからなかっただけだ。

 一月四日の夜。

 伯父と伯母は早くに寝室に引っ込み、居間には悠介と杏だけが残った。こたつに並んで入り、テレビの正月特番をぼんやり見ている。

 杏がテレビを消した。

「ねえ、悠介」

「ん」

「今から、やるよ」

 宣言だった。提案でも、誘いでもなく。

「今日は——ちゃんとやりたいの。前みたいにからかったりしない。真面目にやる」

 杏の目が、暗い居間の中で光っていた。正月の静けさの中で、杏の呼吸だけがかすかに聞こえた。

「いいよ」

 悠介は、ほとんど反射のように答えた。

「こたつ出て。畳の上に正座して。——違うよ、自分でして。わたしは言ってない。——悠介が、座りたいと思ったんでしょ」

 悠介は正座した。自分で座りたいと思ったのだ。言われたからではない。——そういうことに、なっている。

 杏はこたつから出て、座布団を一枚引き寄せ、悠介の正面に座った。あぐらだった。悠介が正座で、杏があぐら。視線の高さがほぼ同じになる。

「手を出して。両方」

 悠介が両手を差し出すと、杏がその手を取った。小さな手だった。しかし握る力には迷いがなかった。

「目を見て」

 悠介は杏の目を見た。暗い茶色の虹彩(こうさい)睫毛(まつげ)の影。

「悠介。——深く」

 意識が沈んだ。しかし今回は目を開けたままだった。杏の顔が見えている。見えているのに、意識は庭にいる。杏の目の中に庭が広がっている。泉が光っている。

「目、開いたままでいいよ。わたしの目を見てて。——すごいね、目が据わってる。でもちゃんといるんでしょ」

「……いる」

「今どこにいる?」

「……泉のそば。杏の目のなかに」

 杏の瞳孔(どうこう)が、わずかに開いたのが見えた。呼吸が一瞬止まり、再開したとき、少し速くなっていた。

「そっか。わたしの目の中に、いるんだ」

 杏は悠介の手をぎゅっと握った。

「ね、悠介。今日はね、わたし、嘘つかないよ。からかわないよ。本当のこと言うね」

「……」

「わたしね、悠介にこうしてるの、好き」

 杏の声が、微かに震えていた。

「最初は遊びだった。面白がってた。でもね、もう遊びじゃないの。わたし、悠介がこうなってるの見ると、頭の中がしんってなるの。世界にわたしと悠介しかいないみたいな気持ちになるの。それが——すごく——好き」

 杏は手を握ったまま、言葉を継いだ。声は震えていたが、目は逸れなかった。

「だから、もっとやりたいの。もっと深くしたいの。悠介が——もっとわたしの言うこと聞くようになって、もっとわたしがいないとだめになって——それって、ひどいことかな」

「……ひどくない」

「ほんとに?」

「杏がそれで気持ちいいなら——俺も気持ちいいなら——」

「……悠介。今のは自分の言葉? それとも、わたしに言わされてる?」

 悠介は、泉の水の中で考えた。考える力が残っている自分に少し驚いた。

「……わからない。でも、本当のことだと思う」

 杏は長い時間、悠介の目を見つめていた。そしてゆっくりと、悠介の手を自分の膝の上に導いた。悠介の手の甲が杏の太腿に触れた。

「じゃあね、悠介。今からわたしが言うこと、ぜんぶ受け入れて」

「……うん」

「悠介は、わたしのもの」

 その一言が、泉に落ちた。

「わたしが呼んだら、来る。わたしが座れって言ったら、座る。わたしがいい子って言ったら、嬉しくなる。わたしが声を出すだけで、気持ちよくなる。——悠介は、わたしのもの。そして、それが悠介の一番幸せな状態」

 泉の水が体温と同じになった。境界がなくなった。どこまでが水で、どこまでが自分かわからない。

「繰り返して」

「……俺は、杏のもの」

「うん」

「杏が呼んだら、行く。杏が座れって言ったら、座る。杏がいい子って言ったら、嬉しくなる。杏の声で、気持ちよくなる」

「——よくできました」

 その言葉が落ちた瞬間、悠介の身体に快感の波が走った。背筋から頭頂まで駆け上がる甘い痺れ。膝が震えた。息が漏れた。

「あ——」

「すごい反応。……ふふ」

 杏が小さく笑った。その笑いの奥に、初めて聞く種類の吐息が混じっていた。支配する者の、隠しきれない悦び。

「もう一回。悠介は?」

「杏の、もの」

「よくできました」

 また、波が来た。今度はもっと強く、長く、深く。悠介は正座のまま前のめりになり、杏の膝に額をつけた。

「……すごいね、悠介。本当に、すごい」

 杏の手が、悠介の頭に触れた。髪を撫でる手つきは優しかったが、その優しさの中に所有の感触があった。自分のものを慈しむような。

「このままでいて。もうちょっとだけ」

 悠介は杏の膝に額をつけたまま動かなかった。動けなかった。動きたくなかった。ここが世界の一番心地いい場所だった。泉と、庭と、杏の手と膝と声。

 時間がどれだけ過ぎたかわからない。やがて杏が、静かに言った。

「起こすよ。でもね、起きてから、今の全部は覚えてないよ。覚えてるのはね——わたしと二人で、静かな時間を過ごした、ってことだけ。気持ちよかったこと。安心だったこと。それだけ覚えてればいいよ。あとはね、夢と同じ。ぼんやり消えていくの」

 杏が数を数え、悠介は目を覚ました。

 ——正座していた膝が痺れていて、立てなかった。

「大丈夫? 足痺れた?」

「うん……いつからこうしてたんだっけ」

「んー、二人でぼーっとしてたんだよ。テレビ消してから。静かで気持ちよかったね」

「……ああ、そうだったな。なんか、すごく穏やかな時間だった」

 杏は微笑んだ。穏やかな、優しい微笑みだった。しかし悠介が目を逸らした一瞬、その唇の端が——ほんのわずかに、猫のように持ち上がったことを、悠介は知らない。

 悠介の記憶はぼんやりとしていたが、胸の奥に温かいものが確かに残っていた。

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