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「恥ずかしいのも、気持ちいいの一部なの」

「まずね、確認するよ。悠介は、私に従うのが好き。——うん、って言って」

「……うん」

「私の声を聞くと気持ちいい。——うん、って言って」

「うん」

「私に褒められると嬉しい。うん?」

「うん」

「よくできました。——ね、悠介、『よくできました』って言われたとき、どんな気持ち?」

「……嬉しい。あったかい」

「でしょ。これからね、私が『よくできました』って言うたびに、今感じてるこの気持ちよさが、もっと強くなるよ。ご褒美みたいなもの。悠介が素直にしてたら、私がご褒美をあげるの。気持ちよくしてあげる。だから、もっと素直でいたくなる。もっと従いたくなる。ね、簡単でしょ?」

「……かんたん」

「うん。悠介にとっては本当に簡単なこと。だって、もう従ってるもんね」

 杏は一拍置いて、続けた。その声には明確な意図があった。夏のような手探りではない。杏は、自分が何をしているのかを理解し始めていた。

「もう一つ。これからね、私と二人きりのとき——こうやってリラクゼーションしてないときでも——悠介はちょっとだけ、私に逆らいにくくなるの。私が何か頼んだら、断りにくい。断れないんじゃないよ。断りにくいの。ちょっとだけ。自然に。悠介が優しいから、いとこの頼みは聞いてあげようって思うだけ。ね、不自然じゃないでしょ?」

「……不自然じゃない」

「そう。全部、自然なこと。悠介が優しくて、わたしのことが好きで、いとことして仲がいいから。それだけのこと」

 杏は言葉を重ねていった。ひとつひとつの暗示を、「自然なこと」として包装し、悠介の意識の深い場所に沈めていく。その声は落ち着いていたが、時折かすかに揺れた。言葉を選ぶたびに呼吸が浅くなり、次の言葉を発するまでの間が少しずつ短くなっていく。杏自身が、自分の言葉に酔い始めているようだった。

「最後にね。大事なこと」

 杏の声が、一段と低くなった。

「悠介が私の前で膝をつくこと。私の言葉に従うこと。それが気持ちいいこと。——これは、ぜんぶ悠介の秘密。誰にも言わない。言いたいって思わない。だって恥ずかしいもんね。でもね、恥ずかしいのは嫌なことじゃないの。恥ずかしいのも、気持ちいいの一部なの」

 泉の水が、悠介の全身を浸していた。杏の声だけが響く世界で、言葉のひとつひとつが水に溶け、身体に染み込んでいく。

「じゃあ、ゆっくり戻ってきて。でもね、今日はちょっと変えるよ。五まで数えるけど、五で完全には起きないの。ちょっとだけぼんやりした状態で目が覚める。私が『すっきり』って言ったら、完全に覚めるから」

 杏は、五まで数えた。

 悠介は目を開けた。しかし意識にもやがかかっていた。畳の目が見え、自分が正座していることはわかるが、思考が水飴のように緩い。

「悠介、顔上げて」

 顔を上げた。杏が、真正面に立っていた。

「右手、出して」

 右手を差し出した。杏がその手を取り、自分の頬に当てた。悠介の掌に、杏の頬の温かさが伝わった。

 ——杏の心臓の音が、掌越しに伝わってくる気がした。速い。杏の鼓動が、速い。

「わたしの顔、あったかいでしょ」

「……あったかい」

「わたしね、今ちょっとどきどきしてるの。悠介がこうやってぼーっとしてる顔見ると、どきどきするの。変だよね」

 杏は自嘲するように笑ったが、悠介の手は離さなかった。杏の睫毛(まつげ)が震えていた。頬を伝わる熱が、じわじわと上がっていく。

「でも、嫌じゃないの。悠介が——こうやって、わたしの前で力が抜けてて、わたしの言うこと聞いてて——それが、すごく——」

 杏は言葉を切った。頬に当てた悠介の手を、両手で包み込んだ。

「——すごく、いいの」

 しばらくそのままでいた。冬の午後の光が、障子を通して二人を包んでいた。遠くで除雪車の音がした。杏の呼吸がゆっくりと落ち着いていくのを、悠介は掌の温度の変化で感じていた。

「……はい。すっきり」

 悠介の意識が晴れた。目の前に杏がいて、自分の右手が杏の手に包まれている。

「あ——」

「あ、ごめん」

 杏は慌てて手を離し、一歩下がった。顔が赤い。

「今の——えっと、リラクゼーションのまとめっていうか——」

「……ありがとう。気持ちよかった」

 悠介の口から、自然に礼が出た。正座した膝が痺れている。どのくらい座っていたのだろう。三十分か、一時間か。時間の感覚が曖昧だった。

「べ、べつに。お礼とか言わなくていいし」

 杏はそっぽを向き、こたつに戻った。耳まで赤い。

 悠介は立ち上がり、痺れた足を引きずりながらこたつに入った。杏はテレビのリモコンを握り、何もつけずにチャンネルボタンを連打していた。

 二人とも黙っていた。こたつの中で、偶然のように足が触れた。杏は避けなかった。

 台所の時計の音だけがやけに大きく聞こえた。障子の向こうで、日が傾いていくのがわかった。

「……あのさ」

 杏が、リモコンを置いた。画面は何かの通販番組で止まっていた。

「わたしさ、さっき悠介の手を自分の顔に当てたじゃん」

「……うん」

「あれね——本には書いてなかった。わたしが勝手にやったの」

 杏は自分の頬に手を当てた。さっき悠介の掌があった場所。

「なんでやったのか自分でもわかんない。ただ——悠介がぼーっとしてる顔見てたら、触りたくなった。悠介の手で、触られたくなった。……変だよね」

「変じゃないよ」

「すぐそうやって言う。悠介って甘いんだから」

 杏は小さく笑った。それから、ちらりとこちらを見た。

「ね。……明日も、やっていい?」

 悠介は、こたつの中で杏の足の温もりを感じながら、答えた。

「……いいよ」

 杏が、安堵と、それから——期待が滲んだ目をした。

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