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エーテルリウムの黄昏  作者: お茶どうぞ
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46、アシュリー闘技場へ


まだ太陽が昇り切らぬ頃、帝都の外れ、露に濡れた草原にアシュリーの姿があった。

眠い目をこすりながらも、片手剣を両手に握りしめ、素振りを繰り返している。


その前に立つのは“アンブレイカー”エルドリン。

朝日を背に、長身の剣士は静かに腕を組み、弟子の動きを見つめていた。


「……昨日の戦いを思い出せ。力任せではなく、相手の呼吸を読むんだ」


「はい!」

アシュリーは息を切らしながら構えを整え、再び剣を振る。


朝靄が野を洗い流すように、薄い金色の陽が訓練場を撫でていた。草に残る露が靴底を冷たくする。エルドリンは、汗と土の匂いが混じる空気の中で静かに立っていた。手には、朝の冷気を切るように鋭い柄が収まっている。

アシュリーはまだ息を整え、剣に力を入れたまま、少し震えていた。一昨日の敗北が、いい意味で彼の動きを固めている。


「今日は、ただ斬る練習じゃない。刃を“届かせる”ための技を教える」

エルドリンの声は朝の澄んだ空気に溶けて、アシュリーの鼓動をさらに鋭くする。


——断空だんくうの一太刀。


それはエーテルリウムの剣術の一つ、長年研ぎ澄ませてきた名のない一閃だ。速さでも重さでもなく、「」と「一点の意思」を刃に乗せる稀有な一撃だと彼は説明した。


「要点は三つだ。心の静けさ、間合いの支配、そして一点の決意――刃に宿る“意志”だ」

エルドリンはゆっくりと歩を進め、アシュリーと向かい合う。彼の足取りは軽く、だが確かに地をとらえていた。


まずは呼吸。エルドリンはアシュリーに目を向け、低く言った。

「呼吸を数えるな。相手の呼吸を“感じる”んだ。剣は目ではなく、身体の奥で敵を読む。相手の一瞬の緩み――それこそが扉だ」


アシュリーは息を整え、目を閉じて相手の胸の上下を探るように立つ。周囲の声、金属の擦れる音、鳥の羽音。それらが次第に遠のき、世界は二人の間に収斂していく。


練習は段階的だった。

まずはゆっくりの“間の読み”。エルドリンは木剣をゆっくり振り、アシュリーに反応させる。速度は遅いが、そこに「決意」を込めて振る。アシュリーは何度も遅れて剣を出し、剣が空を切る感触を何度も覚える。エルドリンは声をかける。


「遅れて構わない。だが“遅れ”の中に心の速さを作れ。身体は後から付いてくる」


次は“誘い”の稽古。エルドリンがわざと重い一撃を見せ、アシュリーに釣らせる。受け入れさせた直後、エルドリンは急に距離を詰めて、わずかな隙を見せる。アシュリーは最初こそ戸惑うが、少しずつ“誘われて”受けるのと“誘う側”の差を感じ始める。


そして、核心──「断空」の感覚を教えるとき、エルドリンは剣を鞘に収め、素手でアシュリーの肩に触れた。手のひらの温もりが、師の覚悟を伝える。

「刀は、ただの鉄じゃない。お前の“決めた意志”が刃になる瞬間がある。それを忘れるな」


エルドリンは静かに実演した。動きは一瞬。だがその一瞬の前に、世界が止まったかのような静寂が訪れる。空気の流れが剣先に沿って震え、周囲の音が細くなる。刃が払うと同時に、風が裂けるような鋭い音が鳴った――「スッ」。それは速さの音ではない。意思の切迫が鳴らす音だ。木製の標的に当たった刃は、凍てつくように深く入った。


アシュリーの胸にさざ波が立つ。目の前で見せられたのは、「間」と「一点の意思」で世界を断つ瞬間だった。


「やってみなさい」

エルドリンは言って、再び向き直った。アシュリーは構えを取る。今までの稽古とは違い、彼の視線は静かだ。呼吸は深く、身体の重心は確かに下腹に収まっている。彼は踏み込み、相手エルドリンの一瞬の緩みに反応して、刃を出す――が、初めは空を切る。身体が追いつかず、剣は届かない。


「まだ“欲”がある。力んでいる」

エルドリンは淡々と言った。「意図して速くするな。意図して“確かめる”な」


アシュリーは目を閉じ、師の言葉を胸に入れ直す。次に剣を出した瞬間、世界は一閃の前の沈黙に包まれた。彼は相手のわずかな息の乱れ、肩の荷の移りを“読んだ”。そして、ただ一点に――決めて、刃を走らせた。


鋼が空気を裂き、風が頬を打つ。木の標的に刃が触れる衝撃と共に、アシュリーの全身に震えが走った。刃は深く、しかし無駄はない。彼自身も驚きの声を上げるほど、その切っ先は静かに、だが確かに的を穿った。


「いい……いまのは断空に近い」

エルドリンの声に、訓練場の空気が安堵のような色を帯びる。ガルムは大きな拍手をして、泥だらけの笑顔を見せた。ソレンディルは目に涙を滲ませ、しかし微笑んだ。


だが、エルドリンはすぐに表情を引き締める。師の顔は曇り、厳しさが戻る。

「忘れるな。断空は“勝ちのための技”ではない。使う者の心を見せる技だ。驕り、見せ物心、名声欲――どれかが混じれば、刃はただの殺意になる。お前は今日、己の芯を見せた。だが道はまだ長い」


アシュリーは息を整え、涙混じりの笑みを浮かべる。訓練で擦り切れた掌、筋肉の痙攣、全てが彼の胸に刻まれている。師の言葉は重く、慰めでもあり戒めでもある。


「エルドリン、ありがとうございました。必ず、無駄な刃にしません」

短いが力のこもった言葉。エルドリンはそれを聞くと、ぽんと彼の肩を叩いた。


「いい返事だ。だが技は磨けば磨くほど、謙虚になれ。力が増すほど、心は細く堅くなれ」


午後、装備を整えた一行は闘技場へ向かった。アシュリーは鎧を纏い、昨日と違う視線で世界を見ている。人々の喧騒、歓声、賭けのざわめき――それらはまだ耳に届くが、彼を揺らすものではない。刃の内側に一点の冷たい静けさを蓄え、それをいつでも呼び起こせる自負が生まれていた。


馬車の揺れの中、アシュリーはふと鞘に手を触れた。朝の露で濡れた掌の感触を思い出す。断空は特効薬でもなく呪文でもない。己の決意を刃に委ねる、そんな稀有な瞬間。その瞬間を、彼は今日の闘技場で確かめに行くのだ――。


数刻後、訓練を終えたアシュリーは全身汗まみれになりながらも、目に力を宿していた。

その瞳は昨日の少年とは違う。


「……よし、行こう」

エルドリンが短く言い、仲間たちが頷いた。


帝都ローゼンベルクの中心へと向かう一行。

街道には、すでに今日の試合を待ち望む群衆が押し寄せていた。


「おい、昨日のアンブレイカー見たか?」

「黒き終焉を倒したんだぞ! 今日も何か起きるに違いない!」

「クラン《ファイヤクラフティ》のオーガもまだ出るらしい!」


人々の熱気が波のように押し寄せる。

アシュリーは人々の歓声に気圧されそうになったが、背後でエルドリンが静かに声をかけた。


「忘れるな。観客の声に飲まれるな。戦うのはお前と――お前の剣だ」


アシュリーは深呼吸し、胸を張って頷いた。

「はい、師匠!」


そして、石造りの闘技場の巨大な門が再び目の前に迫ってきた。

昨日の熱狂の続きを刻むために――。

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