めでたしめでたし?
――――まあ、そうだろうなとは、思った。
『ヒール』が精神的な病に効くのなら、とうの昔にマディールのマゾは治っているはずだからだ。
痛いのが好きだなんて、生物の生存本能を揺るがす重大な病に決まっている。
それを治せない時点で、『ヒール』の有効範囲が肉体的なものに限られるのは、わかっていた。
それでも、こんな茶番を演じた目的は、ただひとつ。
魔王に“隙”を生じさせるためだ。
「ハハハ! 聖女、敗れたり! やはり、勝つのは我だ!」
上機嫌で高笑いする魔王の背後には、いつの間にかマディールが立っている。
「今よ!」
私の合図でマディールは、手にしていた“聖剣”を、魔王の尻尾にブスリ! と突き立てた。
「グッ! ――――なっ?」
「ヒール!」
すかさず私は高らかに叫ぶ。
「グ、グェェェェッ! ギャァォォォォッ!」
魔王は、その場で悲鳴を上げて飛びはねた。
うん、さすが聖剣、魔王を傷つけられる唯一の武器である。
勇者が聖剣を置いていってくれて、よかった。
本来、聖剣は勇者の手にあってこそ、その実力を遺憾なく発揮する武器だ。
勇者以外の者では、聖剣の威力の十分の一も出せないのだという。
しかし、現在私が聖剣に求めているのは、魔王への致命傷ではなく、ほんのちょっぴりのかすり傷。
それくらいなら、勇者ならぬマディールでも十分事足りる。
当然、ツバルツでもできるのだが、魔王の側で聖剣を使えば私のヒールのとばっちりを受ける可能性は、限りなく高い。
このため、ツバルツは真っ青な顔で辞退し、マディールは喜々として立候補した。
結果、この攻撃体勢になったのだが。
なにはともあれ、ここまできたら、後は単純なルーチンワークの繰り返し。
「マディール!」
ブスッ!
「ヒール」
「グギャォォガゴェィェェッ!!」
……回数は数えなかった。
時間は、たぶん一時間はかからなかったと思う。
聖女の神力が、無尽蔵でよかった。
よせばいいのに、最後まで抵抗したために、魔王は精神的にボロボロになった。
その魔王に無理やりペンを持たせて、私は魔法誓約書を書かせている。
内容は、今後二度と人間の国に侵攻しないという約束と、今までの戦いの損害賠償。
最後に魔王自身の血判を押させれば、無事任務は終了だ。
「さあ、さっさと聖剣で親指を傷つけて血判を押してちょうだい。グズグズしていたら、その傷をヒールで治すわよ?」
私の脅しは、効果覿面だ。
魔王は「わ、わかった! ヒールだけは止めてくれ!」と叫んで、素直に血判を押した。
こんな紙切れ一枚でと思うのだが、この世界での魔法誓約書の有効性は絶対なのだそうで、たとえ魔王といえども逆らえないのだとか。
それでも心配なので、釘を刺しておこう。
「万が一、誓約を破ったら、私が戻ってきて『ヒール』を連発しますからね」
魔王は、絶対誓いを守ると心の底から誓ってくれた。
なにはともあれ、これにて一件落着である!
◇◇◇
その後、私は無事に人間の王国に帰還して、そして地球に帰った。
諸々合わせて二年近く異世界に行っていたのだが、地球ではノータイム。
家族や友人に、ちょっと雰囲気変わったねと言われたが、その程度ですんでいる。
今まで通りの平々凡々な生活を、私は送っていた。
――――そう言いたいのは、山々なのだが!
「静香さま! お待ちしていました!」
少し離れた席から私の名を大声で呼ぶ、とんでもないイケメンの存在が、私の平穏な生活を見事にぶち壊していた。
ここは私の通う大学のカフェテラスで、全力で尻尾を振る忠犬さながらに手を振っているのはマディールだ。
別に待ち合わせしていたとか、そういうわけでは全くない。
「マディール、私は今日ここにこられるかどうか、わからないって言っていたでしょう?」
「はい。でもお会いできる可能性があるのなら、私は何時間でも待てますから!」
それは、ひょっとして放置プレイとかいうやつだろうか?
相変わらずマゾなマディールである。
しかし、周囲はそんなことは知らないのだ。
こんな平凡女が、なにイケメンに待ちぼうけくらわせているんだと、嫉妬とやっかみ混じりの視線が、ビシバシと突き刺さる。
早々にランチを諦めた私は、マディールを連れてその場を後にした。
まあ、歩いているだけでも、なんでお前がこんなイケメンと肩を並べて歩いているんだという疑問の視線は避けられないのだが。
「今度は、なんの用なの?」
「北の峡谷にドラゴンが出まして、ぜひ静香さまのお力をお借りしたいと――――」
「ドラゴンの一頭や二頭、魔王に倒させればいいでしょう?」
「それが、古代神竜と呼ばれる特殊個体で、魔王ひとりでは難しいそうです」
「ほんっと、使えないわね。あの魔王!」
私は思わず舌打ちした。
魔王なんて呼ばれているくせに、古代神竜だろうと未来少年だろうと、ドラゴンくらい倒せなくてどうするのか?
「私はもうお役御免になったはずでしょう? いったいいつまで働かせるつもりなの?」
私は、ギロリとマディールを睨みつけた。
この世のものとも思えない(異世界人だから当然か)超絶イケメンは、睨まれたのが嬉しいのか、うっとりとして頬を染める。
――――至極簡単に異世界からの帰還を果たし、万々歳だった私だが、ひとつ誤算があった。
簡単に帰れるということは、それだけ行き来が容易いということを失念していたのである。
もう会えないと思っていたマディールと私が再会したのは帰還の翌日。
以来、なにかと理由をつけられて、度々異世界に喚ばれている。
それがどれくらい頻繁かと問われたら、いつも私を喚びにくるマディールが、私の家族と顔見知りになり、三回に一回は夕飯を食べていくくらい。
なんと、私の家には、イケメンに弱い母の買ったマディール用のお茶碗とマグカップがある。
……寝具一式とパジャマの購入は、全力で阻止していた。
「たしか、前回はフェニックスだったわよね? どうしてそんなに面倒な魔物にばかり襲われるの?」
「さあ? 異世界だからでしょうか?」
そんな理由で、度々喚びつけられてはたまらない。
本当は全力でお断りしたいのだが、そうするとマディールが、私の前で人目も憚らずホロホロと泣きだすのだ。
しかも、私が「うん」と言うまで、延々と。
超絶イケメンを泣かす平凡女に世間の目は冷たい。
しかも、脅して諦めさせようとしても、マディールは唯一私の『ヒール』を喜んでしまうマゾのため、脅しがご褒美になってしまう。
結果、私は嫌々ながら、異世界で勇者の代役を続けていた。
「ヒール!」
今日も異世界に、私の呪文が響く。
「グギャギャギャギャギャァァァッ!」
もっと大きな悲鳴も、元気よく響き渡った。
健康になったんだから、元気のいいのは当然だ。
私の異世界生活は、まだまだ当分続きそうだった。
これにて完結です。
お読みいただきありがとうございました。
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