episode19
「……ミオ、そこで動きが止まってるわ」
ランの冷徹な声が、地を這うような重低音のトラックに重なった。
『ディストピア・ロマンス』の練習が始まって3日。
私たちの練習室は、まさに生き地獄だった。
王道のキラキラアイドルソングなら、30歳の経験値と『表現力:S』で誤魔化せたかもしれない。けれど、この曲は違う。変則的なリズム、激しいストップ・アンド・ゴー、そして何より、ランとアカリという二人の天才が、お互いを食い殺すつもりで全力を出しているのだ。
その二人に挟まれて、私の『ダンス:C(急成長中)』と『体力:C』は、完全に悲鳴を上げていた。
♪〜 曲のボルテージが最高潮に達するサビ。ランがセンターで、暴力的なまでのキレと正確さでステップを踏む。
その横で、アカリが狂気じみた愛憎の表情を浮かべながら、完璧な誘惑のダンスを見せる。
そして、サビが終わり、曲が不協和音と共に静止する瞬間。
私がセンターに躍り出て、すべてを泥沼に引き摺り下ろす――はずの、落ちサビ。
「……はぁ、はぁ、はぁ……っ」
私の体は、動かなかった。
サビの激しい動きでスタミナは完全に底を突き、膝はガクガクと震え、声帯は張り付いて音にならない。
ただ、床に膝をつき、肩で息をするだけの無様な姿。
アカリが、鏡の前で自分の髪を直しながら、冷ややかな視線を向けてきた。
「あら、ミオちゃん。……口先だけだったんですか? 落ちサビからラストは『私がもらう』って言ってたのに。これじゃ、ただの『放送事故』ですよ?」
「……っ」
「ミオ。技術がないなら、せめて根性くらい見せなさいな」
ランが、腕を組んで私を見下ろす。
「あなたのそのアンニュイな異物感は、あくまで完璧なパフォーマンス(格)の上に成り立って初めて価値があるのよ。……今のあなたは、ただの足枷(お荷物)ね」
> [ システム通知 ]
> [ アカリからの『嘲笑』が急上昇中 ]
> [ ランからの『失望』が急上昇中 ]
>
二人の天才からの、容赦のない死刑宣告。
30歳の精神(メンタル99)が、焦りと屈辱で焼け付くようだった。わかっていた。中身がどれだけ大人でも、この体はまだ、何も成し遂げていない「ただのガキ」なのだ。
このままじゃ、二人の影に隠れて、私は消える。
その日の深夜
ランとアカリが帰った後。
私は一人、真っ暗な練習室で、床に這いつくばっていた。
全身の筋肉が断裂したかのように痛み、指一本動かすのも億劫だ。
「……助けて、システム」
私は、空中にある青いシステム画面に向かって、掠れた声で訴えた。
「今の私じゃ……あの二人に勝てない。どころか、チームの足を引っ張る。……何か、裏技はないの?」
> [ 警告:ユーザーの生命活動に支障をきたすレベルの疲労を検知 ]
> [ 解析:現状のスペック(体力、ダンス)では、対象(ラン、アカリ)と同等のパフォーマンスは不可能です ]
>
「……わかってるわよ、そんなこと!」
私は、床を強く叩いた。
「だから……だから、力が必要なの! 30歳の私が、かつてどれだけ手を伸ばしても届かなかった、あの『本物の天才』たちの世界に、今度こそ食らいつくための力が……!!」
二度目の人生、バラ色のスタートとは程遠い、執念と後悔に満ちた夜。
システム画面が、激しくノイズを走らせながら切り替わった。
【 緊急提案:限界突破トレーニングモード 】
> [ 概要:システムがユーザーの身体機能を強制的に引き上げ、その状態で理想のパフォーマンスを肉体に叩き込みます ]
> [ 内容: ]
> 1. ターゲット(ラン、アカリ)のダンス・ボーカルを完全解析。
> 2. ユーザーの身体機能を一時的に『150%』に設定。
> 3. 解析データを脳へ直接ダウンロードし、強制的に肉体を動かす。
> [ 代償: ]
> 1. トレーニング中の痛覚を『300%』に増幅。劇烈な痛みを伴います。
> 2. 失敗した場合、肉体損壊(筋肉断裂、骨折)のリスクあり。
> 3. 精神汚染のリスクあり。30歳の精神(メンタル99)でも、崩壊の危険性あり。
> [ それでも、実行しますか? ]
>
「……ははっ、地獄のような裏技ね」
痛覚300%。筋肉断裂のリスク。
普通なら、即座に拒否する。
けれど、私は笑っていた。30歳の執念が、恐怖を完全に塗りつぶしていた。
「邪道と言われようが、何と言われようが……。私は、あの隣(頂点)に立つためなら、何だってやってやるわ」
私は震える指で、『実行』のボタンを、執念を込めて押し込んだ。
> [ モード:限界突破。身体機能を150%に設定 ―― ]
> [ 痛覚を300%に増幅 ―― ]
> [ トレーニングを開始します ―― ]
>
「――っつあああああああああああああああ!!!!」
システムの声が止まった瞬間。
私の全身の筋肉が、まるで熱したコテで焼かれたかのような、劇烈な痛みに襲われた。
骨が軋む音が聞こえる。脳の奥底に、ランとアカリの完璧な動きが、情報の濁流となって流れ込んでくる。
> [ 第1フェーズ:ランの『暴力的な技術』を同期 ]
>
システムが私の肉体を強制的に操り、自分では考えられないようなキレと正確さでステップを踏み出させた。
動くたびに、全身の筋肉が引きちぎれるような痛みが、300%に増幅されて脳を直撃する。
> [ 第2フェーズ:アカリの『計算された魅惑』を同期 ]
>
今度は、アカリの指先の震え、表情の管理、重心の移動がダウンロードされる。
腰をひねるたびに、背骨が砕けるような痛みが走る。
「うるさ……止める……止めないで……っ!!」
システムの警告が鳴り響く。
> [ 警告:筋肉に深刻な負荷を検知。精神汚染が臨界点に達しています。トレーニングを中止してください ]
>
「まだ……まだ……あの二人に、届いてない……! もっと……もっと……痛みをよこしなさい……!!」
私は、痛みと情報の濁流の中で、30歳の精神(メンタル99)が崩壊しかけながらも、執念だけで肉体を動かし続けた。
鏡の中の17歳の私は、白目を剥き、髪を振り乱し、全身から汗と、そして微かに毛穴から血を滲ませながら、完璧で歪なダンスを繰り返していた。
それは、アイドルなんていう綺麗な言葉じゃ足りない。
地獄の底から這い上がろうとする、醜くも美しい『執念』そのものだった。
翌日の練習
「……おはよう」
私が練習室の扉を開けた時。
ランとアカリは、すでに準備万端でストレッチをしていた。
二人は、私の顔を見た瞬間、怪訝な表情を浮かべた。
無理もない。
昨日の練習でボロボロだったはずの私は、憑き物が落ちたような、どこか虚ろで、それでいて底知れない迫力を纏っていたからだ。
(限界突破の残響で、痛覚は遮断されているが、肉体的なダメージは確実に残っている)
「……ミオ。今日は、ちゃんと動けるんでしょうね?」
ランが、探るような目で私を見た。
「ええ、もちろん。……地獄を見てきたから、もう怖いものなんて何もないわ」
♪〜 曲が始まった。
1番、アカリのセンター。2番、ランのセンター。
二人の完璧なパフォーマンスは、昨日と変わらない。
そして、サビが終わり、曲が不協和音と共に静止する瞬間。
私の番。落ちサビ。
「――っ!!」
私がセンターへ躍り出た瞬間。
ランとアカリの顔が、驚愕に歪んだ。
私の動きは、昨日までの邪道で体力任せなものとは、別人のように、キレと正確さを増していた。
ランの『暴力的な技術』と、アカリの『計算された魅惑』。
その二人の天才の動きを、システムによって強制的に叩き込んだ、歪で完璧なダンス。
そこに、30歳の人生で削り出された「本物の哀愁」が、昨夜の劇烈な痛みというスパイスを加えて、最高到達点まで研ぎ澄まされていた。
「私のバグ(嘘)を、愛して」
私は、昨日とは全く違う、圧倒的な迫力と絶望を込めた声で、マイクに囁いた。
> [ システム通知 ]
> [ クエスト達成:『地獄の底から這い上がれ』 ]
> [ 獲得スキル:『限界突破の残影』 ―― 一時的に身体機能を強化し、痛覚を遮断する(反動あり) ]
> [ ランからの『驚愕』を獲得しました ]
> [ アカリからの『戦慄』を獲得しました ]
>
「……何、今の」
ランが、ペットボトルを取り落とし、啞然として私を見つめていた。
「(……っ。昨日の夜、何をしたの? 怖いくらいの、迫力……邪道だと思ってたのに、まるで二人の動きを吸い取ったみたいな……)」
アカリも、もう猫を被るのをやめ、顔を真っ赤にして、私に対する本物の警戒と嫉妬を、瞳に隠そうともしなかった。
私は息を切らし、全身をきしませながら、二人の天才に向かって、30歳の余裕と執念をたっぷりと含んだ微笑みを向けた。
(システムの代償は大きいわ。……でも、これでついに、あんたたちと同じ土俵に立てた。さあ、殺し合いの続きを始めましょうか)




