第22話 最悪のどんでん返し
倭魅美の告白に再び場が騒然となった。
その中でも胸中を掻き乱れたのは他でもない私である。
「わ、私がご禁制のおしろいをあげた?」
無意識に心の言葉が漏れ出る。
知らない。
私には倭魅美に禁制品のおしろいをあげたという記憶はなかった。
というか、大前提として私自身がまず禁制品のおしろいを持っていない。
これは自分でも確かめたから事実だ。
以前に本物の蘇風心が自室に毒を隠し持っていないかと、侍女たちが誰も入ってこない夜に部屋中を探し回ったことがある。
もちろん、本物の風心が隠しそうな場所はすべて探した。
書棚と書棚の間。
化粧箱や香料入れの中。
箪笥の引き出しを全部開けて奥まで探したのである。
それでも毒物らしい怪しい品物は見つからなかった。
(…………ちょっと待って)
このとき、私はふと思い出した。
高級そうな生地の衣服が収められた箪笥の一番下の引き出しの奥に、一つだけ首をかしげるような代物があったことを。
粉盒だった。
私も寧寧ちゃんにそれとなく聞いて初めて知った。
粉盒とは白粉や香粉を入れる、円形または楕円形の蓋付き小箱のことだという。
あのとき私は確かに変に思った。
どうして粉盒が化粧箱の中ではなく、まるで隠されるように箪笥の一番下の引き出しの奥に仕舞われているのか、と。
――まさか……これが毒?
と、そのときの私は緊張しながら粉盒の蓋を開けて中身を確認した。
けれど、粉盒の中身は普通のやや茶色いおしろいだった。
それは間違いない。
匂いや色、手触りや少し肌に塗った感触から、この粉盒に入っているおしろいは普段から使っているおしろいなのは私でもわかった。
とはいえ、どうしてこんなところにあるのかわからず、不気味に思った私は化粧箱に戻さず同じ場所にそっと戻してしまったのである。
私はハッとして記憶を現在に戻す。
そうだ。
私は禁制品のおしろいを持っていない。
だから倭魅美にあげるなんてことは絶対にできなかった。
となると、倭魅美は嘘をついて私を告発したことになる。
でも、それだと先ほどの鳳瞬さんの言葉と矛盾が出てきてしまう。
倭魅美はまだ後宮入りして一週間も経っていない新参の妃だ。
しかも海を隔てた島国からやってきた妃なので、たとえ事前に華秦国の歴史や風俗を調べていても限界があっただろう。
それこそ朝廷側も倭魅美が後宮入りするさいの身体検査や荷物チェックで禁制品が一つも出てこなかったことで、禁制品のおしろいについて説明していなかった可能性が高かった。
たとえ説明するにして、今日の妃位封賜が無事に終わって正式な五夫人になったあとで説明される予定だったのかもしれない。
ともかく、倭魅美が後宮入りしてから自力で毒性のあるおしろいを入手することはほぼ不可能。
だとしたら入手できる方法は第三者から手に入れるしかない。
私は思考をフル回転させる。
しかし、考えれば考えるほど最悪なことが浮かんでしまう。
この一週間で倭魅美と懇意にしていたのは誰か?
決まっている。
この私――蘇風心だ。
実際に倭魅美は私の宮殿に二回は訪れている。
これは動かしがたい事実だ。
目撃者もいるし裏を取ればすぐに発覚するだろう。
それに本物の風心は後宮では悪評が立っていて、禁制品のおしろいを倭魅美に渡したという嫌疑をかけられば信じられるのは確実。
(でも、私は本当にやってない)
そう、これもまた絶対的な事実だ。
少なくとも山田ゆいの私は風心に転生したあと、破滅フラグが立たないように全力を出してきた。
そんな私が禁制品のおしろいを仮に入手したとしても、それを倭魅美にあげるなんてことは絶対にしない。
そもそも私の自室に禁制品のおしろいはなかったのだ。
ないものを他人にあげるなんて無理であり、一番肝心な私自身が倭魅美に何かを面と向かってあげた記憶が一切ない。
どれだけ倭魅美が私を犯人と言おうが、それだけは断固として言える。
「違います。私は魅美妃にご禁制のおしろいなどあげていません」
なので私は毅然とした態度で言い放った。
「確かに私はここ最近、魅美妃と玉照宮で話す機会はありましたが、その会話の中身は単なる雑談でした。その中でご禁制のおしろいに関する話は一切しておりません。それは魅美妃やうちの侍女たちにも確認が取れるはずです」
「なるほど」
うなずいたのは場を仕切っていた鳳瞬さんだ。
そんな鳳瞬さんは私か倭魅美へと視線を移す。
「魅美妃……風心妃さまはあのようにおっしゃっていますが、何か反論することはございますか? それとも風心妃さまの名を出したことは口から出まかせでしたか?」
「ち、違います! 本当にわたしは風心妃さまからの贈り物だと聞いて受け取っただけでございます!」
場のざわつきがさらに増加した。
「お待ちください。今、何とおっしゃいました? あなたは風心妃さまから直接その禁制品のおしろいを受け取ったのではないのですか?」
「いえ、わたしは風心妃さまの侍女からいただきました。後宮入りされたお祝いだということで……それだけではありません」
倭魅美は必死に弁明する。
「その侍女によれば、このおしろいを妃位封賜で使ったほうが帝に喜ばれる……と、主人である風心妃さまからお預かりになったとのことでした。本当でございます。その侍女がこのおしろいが入った粉盒を持ってきたさいに申していましたので、わたしの他にも後ろにいる侍女たちもそのことを聞いております」
倭魅美は顔だけを振り返らせると、倭魅美の侍女たちは「は、はい」や「相違ありません」と何度も首を縦に振った。
(ど、どういうこと……)
私は徐々に遠ざかっていた意識を何とか保ち、身体を振り向かせて後方に控えている私の侍女たちを見る。
裏にあった天幕の近くには、事の成り行きを見守っていた水連さんをはじめとした私の侍女たちが呆然と立ちすくんでいた。
ただ、その中に明らかに態度がおかしな侍女が一人いた。
(ねえ、お願い……嘘だと言って)
私の視界には、幽鬼のように青ざめた表情で震える寧寧ちゃんが映っていた。
♦♦♦
「風心妃さま」
私が放心しながら寧寧ちゃんを見つめていると、後方から声をかけられた。
おそるおそる振り返ると、そこにはいつの間にか鳳瞬さんが立っていた。
「魅美妃がおっしゃったことは事実でございましょうか?」
鳳瞬さんは悲しそうな、それでいて疑念に満ちた表情で問いかけてくる。
私は咄嗟に反論できなかった。
頭では「知りません!」と否定しているのに、あまりの衝撃的なことが続きすぎて金魚のように口をパクパクとさせることしかできなかったのだ。
もちろん、それでこの場を乗り切れるはずがない。
「もう一度おたずねいたします。風心妃さま、魅美妃がおっしゃったことは事実ですか? そして、よくよく考えて発言されたほうがよろしいかと存じます」
「――――ッ!」
私は両膝の力が抜けるほど愕然とした。
前世で多くのクライエントさんたちと会話のキャッチボールをしてきたのだ。
鳳瞬さんは私を疑っている。
倭魅美に禁制品のおしろいを侍女を通じて渡した人間だと。
このままではダメだ。
何とか私の疑いを晴らさないと恐ろしいことになる。
私は萎えていた気力を何とか奮い立たせた。
私が犯人でないことは私が一番よく知っている。
なので私は絶対に犯人じゃない。
ということは、寧寧ちゃんのあの態度は別の意味の震えだったに違いない。
そうに決まっている。
きっと主人である私が公衆の面前で疑われたことと、自分たち侍女も疑われたことを聞いて恐ろしくなってしまったのだろう。
(寧寧ちゃん、そうよね? あなたが倭魅美におしろいを渡した侍女じゃないわよね?)
そう信じて再び寧寧ちゃんに顔を向けた直後だった。
「も、申し訳ありません!」
突如、寧寧ちゃんが大声を発した。
「魅美妃さまのおっしゃったことは事実です! あ、あたしは……風心さまに頼まれて粉盒を魅美妃さまの元へお届けしました!」
告白しながら寧寧ちゃんは膝から崩れ落ちる。
「ですが、その粉盒の中身がご禁制のおしろいとは知りませんでした! 本当でございます! あたしは命じられたとおりに粉盒を魅美妃さまに届け……」
寧寧ちゃんがまともに話せたのはそこまでだった。
わあああああ、と堰を切ったように泣き出したのだ。
時間にして十秒ほど経ったときだろうか。
「状況を整理しましょう」
鳳瞬さんは寧寧ちゃんから倭魅美へと目線を移動させる。
「魅美妃は倭国から禁制品のおしろいに似た代物は持ち込んでおらず、入宮してから懇意にしていたのは風心妃さまのみ。そして風心妃さまの侍女は風心妃さまの贈り物と称して禁制品のおしろいが入った粉盒を魅美妃へと届けた」
再び鳳瞬さんは寧寧ちゃんに顔を向ける。
「ですが、あそこにいる侍女は粉盒の中身が禁制品のおしろいだと知らなかった。これはおそらく事実だと思います。侍女は風心妃さまから「これを私からの贈り物として魅美妃へ届けてちょうだい」などと言われて大人しく従ったのでしょう。もしも粉盒の中身が禁制品のおしろいだと侍女が知っていたのなら、この場で主人を売るような真似をするはずがありません」
(待って……待って待って……)
私の視界は徐々に白くなり、頭を軽く揺らすほどの耳鳴りがしてきた。
そんな中でも鳳瞬さんの声だけが嫌にはっきりと聞こえる。
「ゆえに魅美妃に禁制品のおしろいを贈った張本人は風心妃さまということになりましょう」
「おい、鳳瞬。理由は何だ? 風心妃が魅美妃に禁制品のおしろいを贈った理由はよう」
空気を震わせるような声で訊いたのは虎月さんだ。
「それはわたくしから申し上げましょう」
虎月さんと鳳瞬さんの間に入ってきた燕青さんは、丸眼鏡の体裁を人差し指で整えて表情を引き締める。
「風心妃が後宮に来たばかりの魅美妃に禁制品のおしろいを贈った理由。それはまさに魅美妃が新たな上級妃となることへの嫉妬だったに相違ありません。そして魅美妃は贈られたおしろいが禁制品だったことを知らずに塗ってしまった」
「待てよ、燕青。それじゃあ話が通らねえだろう。こんな大舞台で禁制品のおしろいを塗って登場した日には、贈り手が風心妃だと一発でバレちまう。それは贈った風心妃にとって一番マズいことだろうが」
「それでも風心妃は侍女を使って禁制品のおしろいを贈ったのでしょう。もしかすると侍女が自白することを想定していなかったのかもしれません」
燕青さんは流暢に自身の推理を口にしていく。
「それこそ侍女さえ知らぬ存ぜぬでいれば、魅美妃がどれだけ身の潔白を訴えても風心妃も一緒に粉盒を贈った事実さえ否定すればこの場を乗り切れると思っていた。いえ、自分の罪を隠すためにもっと恐ろしいことを企んでいた可能性も……」
続きの言葉は鳳瞬さんが引き継いだ。
「自分の侍女を暗殺する……ですか」
この言葉に安政園全体の空気が一気に重くなった。
「事の詳細を知っていようがいまいが、魅美妃に粉盒を持って行った侍女を密かに始末してしまえば真相は闇の中……そう考えていたものの、侍女が公の場で自白してしまったことで言い逃れは不可能になった」
鳳瞬さんは華龍瑛にゆっくりと顔を向ける。
「陛下、今回の件は厳しい取り調べが必要にございます。ですので、この件に関する御沙汰を賜りたく存じます」
そう言うと鳳瞬さんは拱手しながら片膝をつく。
虎月さんや燕青さんも同じく拱手して片膝をつくと、他の者たちは固唾を飲んで華龍瑛の沙汰を見守った。
一方の私はずっと上の空だった。
何が何だかわからず、もはや堂々と罪を否定することもできなかった。
自分が立っているのかどうかもわからないほどの虚脱感が足元から這い上がってくる。
そんな中、華龍瑛は私に人差し指を差し向けてくる。
思考があまり動いていなかった私だったが、そのときだけは異様にはっきりと視認することができた。
私に向けている華龍瑛の指が小さく震えていることに。
直後、鳳瞬さんは立ち上がって頭を下げる。
「仰せのままに」
そして、私は大勢の武官たちに捕らえられた。




