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第15話   夢と現実の境界にて

 その日、私はお盆から約四か月ぶりに実家の神奈川へ帰省した。


 今年は肌に突き刺すような寒波が激しく、駅から実家までタクシーを使ったのが裏目に出た。


 道が雪で渋滞していて帰りが遅くなってしまったのだ。


 それでも無事に帰って来れたのは嬉しい限りである。


 私は久しぶりの我が家を眺めた。


 築三十年の一戸建ての実家は、冬の冷気を吸い込んで静まり返っている。


 ふと剥き出しの車庫を見ると、車が二台止まっていた。


 私以外の家族たちは家にいるということだ。


 沙羅はまたリビングでゲームをしているのかな。


 今年で二十三歳になる義妹の沙羅は工場勤務なので、お盆や正月にはしっかりと連休がもらえる。


 お盆もそうだったが、沙羅は自室にいるよりも広いリビングで漫画を読んだりゲームをしたりするのが好きだった。


 おそらく、今もリビングで漫画を読むかゲームに夢中だろう。


 私は沙羅がアニメキャラが印刷された抱き枕を抱え、漫画を読んでいるかコントローラーを握って大画面のテレビに釘付けになっている姿を思い浮かべた。


 私はくすりと笑いながら、玄関のインターホンを押す。


 しかし、しばらく待っていても何の応答もない。


 それから何回もボタンを押したが誰の声もインターホン越しに聞こえてこなかった。


(誰もいない? ううん、そんなはずない)


 車庫には義父と義妹が使っている車もちゃんとあるし、何よりカーテン越しでもリビングに明かりが灯っていることは視認できた。


 ガチャリ。


 ドアノブを回すと、カギは掛かっておらず扉は簡単に開いた。


(何よ、やっぱりいるじゃない)


 私は玄関に上がってブーツを脱ぐと、リビングに向かってドカドカと足音を立てて歩いていく。


 怒っているわけではない。


 久しぶりの帰省なのだ。


 実家とはいえ黙って入ると驚かせてしまうことがあるので、いつも帰省したときはインターホンを鳴らすことは欠かさなかった。


 それなのに今日は誰もインターホンに出てこないのはおかしい。


 直後、私の脳裏につまらない妄想がよぎった。


 複数の強盗が押し入り、リビングにいた家族たちをロープで縛っている姿だ。


 もちろん、本気で考えたわけではなかった。


 おそらく家族たちはそれぞれ何かやることがあってインターホンに出られなかっただけだ。


 それかインターホンが壊れているのかもしれない。


 どちらにせよ、家族たちがリビングにいるのは間違いないだろう。


 私はリビングの前に来ると、引き戸を開けて誰に言うでもなく叫んだ。


 「ねえ、どうして誰もインターホンに出ないの!」


 リビングを見回すこと数秒。


「…………」


 私の思考はゆっくりと停止した。


 リビングには二人の人間が倒れていた。


 リビングと地続きになっているキッチンに実母が仰向けで倒れていて、ベランダのカーテン前には義父が同じく仰向けに倒れている。


 寝ているのではない。


 二人とも顔が白のペンキを塗ったように真っ白で、両目と口は大きく開いてピクリともしていない。


 そして、L字形のソファには義妹の沙羅がアニメキャラの抱き枕を抱えながら寝そべっていた。


 いや、よく見ると寝そべっているのではない。


 沙羅も顔が真っ白になっていて死んだように動いていなかった。


(そ、そんな……嘘……どうして……何で……)


 私は停止していた思考の中で、ふと大型のテレビ画面に目を移した。


 テレビにはゲーム画面が映っていた。


 沙羅がよくプレイしていた乙女ゲームというものだろうか。


 2Dの美男美女のキャラクターたちの立ち絵が映っており、そのキャラクターたちは中華風の衣装を着ていた。


「ああ……ようやく帰って来たのね」


 背筋が凍るような冷たい声が耳朶を打つ。


 そのとき、私はリビングに家族以外の異質な存在がいることに気がついた。


 L字形のソファには沙羅とは別にもう一人誰かが座っていたのだ。


 顔は見えない。


 こちらに後頭部を向けるような形で座っていて、大型テレビに映っていた画面を見ている。


「待ちくたびれたわ。あなたの家族に毒性の強いおしろいを塗って待つほどにね」


 声を発した人物は女性だった。


 しかも声質からして沙羅よりも若い。


「あ、あなたは……誰?」


「わたくしが誰って? それはあなたもよく知っているでしょう」


 声の主はすっと立ち上がり、ゆっくりと顔だけを振り向かせた。


「――――ッ!」


 私はあまりの衝撃に息を呑んだ。


 視線が合った少女は黒髪に何本もの金細工の簪を差し、やや茶色のおしろいが塗られた顔は端正な顔立ちだが、目つきが鋭くて愛嬌というものがない。


 着ている服は、水色と白を基調とした襦裙と上衣である。


 日本人ではなかった。


 上から下まで古代中国から現代に現れたような格好だったからだ。


 でも、私はテレビ画面を見てもっと衝撃を受けた。


 テレビの画面には十代の少女のキャラクターが映っている。


『わたくしが誰って? それはあなたもよく知っているでしょう』 


 突如、画面に映っていたキャラクターがしゃべった。


 同時に画面下の半透明な枠内にも同じセリフ内容が表示される。


 蘇風心。


 セリフをしゃべったキャラクターの名前はそう表示されていた。


 私は大きく目を剥いて、画面内のキャラクターとソファの場所にいる少女を見比べる。


 似ているというレベルではない。


 まさに画面内の蘇風心と現実の少女は同一人物だった。


「でも、そんなことはどうでもいい。それよりも――」


 現実の蘇風心は人間離れした脚力で一気に私のもとまで跳んできた。


「返せ」


 私が石のように硬直していると、現実の蘇風心は両手で私の首をガシッと掴んできた。


「わたくしの身体を返せええええええええええ」


 万力のような力で首を絞められ、私の意識は深く暗い場所へ一気に落ちた。


 そして――。


     ♦♦♦


「うわあああああああああ」


 私は喉が裂けんばかりの声を上げて飛び起きた。


 直後、自分の首にかかっている力を解こうと両手を動かす。


 しかし、すぐに自分の首に何の力もかかっていないことに気づいた。


 私は自分の首を触りつつ、周囲を見回す。


 視界に飛び込んできたのは神奈川の実家――ではなかった。


 現代日本の家屋とは全然違う、古代中国の宮殿内の部屋だ。


 見覚えのある部屋だった。


 ここは蘇風心が住んでいた玉照宮の寝所に間違いない。


「あれは夢……だったの?」


 ぼそりとつぶやき、そしてあらためて再認識した。


 今の私は現代日本で絵印象心理士をしていた山田ゆいではなく、『後宮遊戯』の蘇風心という悪役毒妃だということに。


 それは事実である。


 寝所内にあった巨大な姿見で自分の姿を確認すると、姿見の中には寝衣を着たまま上半身だけを起こしている蘇風心がいたからだ。


 けれども、姿かたちは風心でも魂は違う。


「私は山田ゆいであって蘇風心。でも、蘇風心じゃなくて山田ゆいでもある」


 こうして口に出してても現状は軽く混乱していた。


 考えること数秒。


 ようやく私は記憶の糸を手繰り寄せることができた。


 そうだ。


 私は龍翔門で正ヒロインの倭魅美を見学していて、彼女と仲良くなって必ず攻略対象者の誰かとの恋を成就させると誓った。


 そうすれば後宮内で私の処刑に繋がる破滅フラグは消え去り、やがて何らかの手段を使って後宮を出れば私が必ず処刑される未来も消え去るはず。


 などと思って意気込んで立ち上がった直後、私はたちくらみのような症状に襲われて意識を完全に失ったのだ。


 それからの記憶は一切ない。


 こうして自分の寝所で寝ているということは、私が気を失ったあとに寧寧ちゃんたちがここまで運んでくれたのだろう。


「…………痛つ」


 頭の奥がズキズキと痛い。


 呼吸も荒く、全身に鉛を流し込まれたような疲労感があった。


 もしかして、気を失ったときに頭を打ったのだろうか?


 そう思ったとき、勢いよく近づいてくる足音が聞こえた。


 やがて足音は寝所と繋がっている居室に入ってきて、そのまま私がいる寝所に向かってくる。


「風心さま!」


 バンッと勢いよく扉が開き、真っ先に寧寧ちゃんが飛び込んで来た。


「大丈夫ですか、風心さま!」


 寧寧ちゃんは息を荒げながら問いかけてきた。


 私の悲鳴を聞きつけ、相当に焦りながら走ってきたのだろう。


「うん……大丈夫よ」


 本当はあまり大丈夫ではなかったが、それを口にしてしまうと寧寧ちゃんは自分以上に精神を病んでしまう。


 それはわかっていたので、私は彼女のために平静を装って柔和な笑みを見せた。


「心配かけてごめんなさいね。あれから大変だったでしょう?」


 そう告げると、寧寧ちゃんは眉根を寄せて困惑した表情を浮かべた。


「風心さま。あれから……とは?」


 再び寧寧ちゃんが訊いてきたので、私は正直に「龍翔門で気を失ったことよ」と伝えた。


「せっかく倭国から正ヒロ……魅美妃が後宮入りしたのに、そのときに私が気を失ったのだから現場は相当に大騒ぎになったでしょう?」


 実際に見なくても余裕で想像できた。


 今の私は四夫人の蘇風心なのだ。


 そんな四夫人クラスの妃が、倭国から来た倭魅美の一団が後宮入りしたときに倒れたのである。


 現場は大騒ぎになり、倭魅美たちも何が起こったのかわからないほど驚いたに違いない。


 特に専属侍女にした寧寧ちゃんに心配をかけてしまっただろう。


 そういう意味を込めて謝ったのだ。


「はい……それはもちろん……そうなのですが……」


 寧寧ちゃんはさらに困惑した顔で答えた。


 私は頭上に疑問符を浮かべる。


 いつもと違って返事の歯切れが悪い。


 悪すぎると言ってもいいくらいだ。


 それに言葉の歯切れ以上に顔色も悪くなっていく。


「寧寧、どうしたの? 私が気を失っている間に何かあった?」


 私はできるだけ寧寧ちゃんを刺激しないように優しくたずねた。


 今の寧寧ちゃんは前世で臨床心理士をしていたとき、カウンセリングに訪れたクライエント(相談者)さんと雰囲気が似ていた。


 心の中に肉親にも言えない悩みを抱えていて、それを上手く自分では解消できないため専門家のカウンセリングを必要としていたクライエントさんにである。


「…………」


 一方、寧寧ちゃんは顔をうつむかせて黙ってしまった。


 心理士でなくてもピンとくる。


 やはり私が気を失っている間に何かあったのだ。


 まさか、破滅フラグに繋がる重大な何かだろうか。


 それを考えると寧寧ちゃんを問い詰めたい気持ちに駆られるが、それは最大限の悪手ということは心理士だったからこそわかる。


 こういうときは相手からの発言を待たなくてはならない。


 私と寧寧ちゃんの関係上、無理やり訊き出すことも十分に可能だ。


 だが、そうやって強制的な回答を出させては絶対に禍根を残す。


 それが巡り巡って破滅フラグに繋がらないとも限らない。


 だから私は寧寧ちゃんからの返事をじっと待った。


 すると寧寧ちゃんはゆっくりと顔を上げた。


「風心さま、実は――」


 と、寧寧ちゃんが言葉を発しようとした直後だ。


「風心さま!」


 侍女頭の水連さんが数人の侍女を連れて寝所にやってきた。


 そして水連さんは驚くべきことを伝えてきた。


「倭国の妃――魅美妃が風心さまに会いたいと参られました」

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