38話 立つ鳥と座す蛇
『まだ権利がどうだの口にするなら今からでも遊んであげるわよ??』
それは闇の勢力の乱入者を始末し街に戻って一息入れたヒカリが、ふと話を切り出そうとしたジークヒランに対して先の先を突くように放った威嚇の言葉だった。
多少乱暴な方法ではあるもののこれによって騎士側の強権的な振る舞いもいくらか制することができる。
そこから始まった交渉じみた話し合いは、まるでその場で裁判が行われているような様相だった。
––––人的損失自体は皆無––––
––––未遂とて簡単に特例を認めるのは危険––––
––––そもそも暗示を掛けられていた可能性––––
––––実行犯である以上“罪を償う”という必遂義務を果たしていないことに––––
現地人からすれば最高裁までもつれ込んでもおかしくないだろうその交渉は、なんと条件付きで騎士側が引き下がるという結果に落ち着いた。
ギールコンらにとってこれは非常に驚くべき快挙だった。これまでに聖淵の騎士が国際法による裁きを諦めるなど夢にも聞いたことがない話だったからだ。
決め手となったのはヒカリたちが捕縛してまでノトホッスへと連れてきた海賊たちの存在だった。
彼らは比較的若い年代を中心として構成され悪色に染められた手は、まだ濯ぎ落とせる可能性を十分に持っているものが大半だと考えられた。
故にそんな彼らの社会復帰のための環境にギールコンは必要な人材だった。
ノトホッスの漁業関係において彼以上に経験と手腕に長けた責任者として適した人物はおらず、この時期に彼がいなければヒカリの魔術があったとしても、百余名もの無法者たちを安全に監督するに足るまとめ役を立てるのは難しいだろう。
そのカードが同時に犯した罪の禊にもうってつけだということもまた後押しとなり、理屈的な面でもなんとか役が揃い切ったと言えるだろう。
ヒカリの威圧抑止がなくとも最終的な盤面は、相手のストレートに対してこちらはギリギリでフラッシュにまでこぎつけたといったところか。
ともかく説き伏せられた騎士たちはそれでも特に禍根を残した様子もなく立ち去っていった。
この結果にギールコンは小躍りでも始めんばかりに大喜び。周囲の人間はなんにせよ血が流れずに済んだことへほっと一息。
一先ずは収まるべきところに収まったと言っていいだろうか。ギールコンへ禊の完遂を厳命しつつ、ヒカリたちはそんな中一息入れる暇もなくすぐにドゥナダスへの帰路に着いた。
彼女らとしても休みたいのはやまやまだったが、自分たちが不在にしている間の火の上の街の安全はヴァハヴァーゾという他街から要請した傭兵一人の手に預けられており、一刻も早くその人物をこちらの都合で押しつけた責任から解放してやらねばなるまいとなったのだ。
そうして数日前にノトホッスへとやってきた軌跡を辿るように同じ道を進む馬車の上には––––。
「なんで俺たちまで……」
「連れていくわけ……?」
海賊船になっていた二人の少年少女、タストルとアボネも乗せられていた。
「なぜって、弟子を置き去りにするわけないでしょ」
「は? 弟子って」
「誰が誰の……?」
「ははー、私の実力を知ってなお小ボケで楯突いてくるあたり度胸だけは一丁前ね。その意気に応えて次から修行をもっとキツくしてあげるわ」
「うぐっ!?」
「けだもの……!」
※
《草》
《そういやいたなこいつら》
《もっとすごいの見せてくれるんですか!?》
三人の間ではもう馴染み始めたやり取りを交わしながらヒカリは流れていく自然の景色を眺めている。
「この前の戦い少しは見ていたでしょう。そこで何を感じたかしら」
「なにか、って……」
「……よく、分からない」
「まあそうでしょう。恐怖? 興奮? 忌避感? 闘争心? 全て戦士として向き合い制さなければならない感情よ。この私があなた達に“正しい強さ”を教えてあげる。奪うことで生きながらえるのではなく、奪われないための強さという生き方をね」
一通り言いたいことを言ったヒカリは静かになった二人を横目に見ながら少し説教くさかったかと頭を捻る。
初めて教え導く役割に立つ者としての悩みを抱く彼女を、対面に座るアトリエルはまるで妹か歳の近い生徒でも見るような目を向けていた。
「普段は自信たっぷりって感じだけど、今は自分の言葉が相手の身になるのか少し不安なんじゃないかな?」
「そうかもしれないわね……ありのままの私を見せればとも思うのだけど、私の真似ができる人間なんて存在しないし。一番身近な教師を参考にすると根性論と下手なギャグしか思いつかないわ」
※
《えぇw》
《おい》
《新しい子ほど難しいよねー》
普段の振る舞いなどからは考えられない普通の事柄に苦慮する様子に彼女らしからぬと感じる者もいるようだが、年相応の素朴な一面が見られたことで多少精神的な距離が縮まったと感じる者も少なくないようだった。
「ボクも偉そうなことは言えないけど、やっぱりいつも通りの自分を見せてあげればいいんじゃないかな? 子供たちはよく見ているつもりでもいつの間にか大きくなってるものだからね。なにかを与えようと焦る必要はないと思うよ……そう簡単に大人になれる子ばかりではないけれどね」
「ふぅん……経験談のようにも聞こえるけど」
「まあ、実際に見ているから。誰よりも過去に縋って離せないでいる子の姿をね」
そう言いながらアトリエルは横目を流す。その視線を辿ってみれば、そこには片角が目を引く小柄な男が御者席に座って手綱を握っていた。
「何度も彼の心に寄り添えればと願っているけど、人並みの感情を見せているようで決定的な一線だけは決して越えさせてくれない……距離がありすぎる。あの時に取り残された自分と周囲との……」
「……」
「彼にとって復讐とは“供養”なんだ。罪人は死後セムイズに裁かれるからとかそんなことはどうでもよくて、自分の手でそれをやり遂げることこそが、あの日起こったことを終わらせる唯一の方法であり、悔いを残さないということ、なのかもしれない」
※
《うーん》
《心の傷は気軽に触れないしね》
《なまじ強い分弱いところを他人に見せられない人っているよなー……》
アトリエルの彼に対する心情の吐露にヒカリは少し意外だという印象を抱いた。
アダムの心傷がそれほど深いことも驚いたが、他者の領域に強く踏み込むような質ではないと思っていた彼女が、ここまで深く彼の人生へ交わろうとしていることにだった。
「そういう意味でもヒカリちゃんが現れたことはいい契機だと思うんだ」
「私が?」
「なにせ君がやってきた途端に探している組織の手がかりが向こうからやってきたんだからね。きっとそう遠くない未来にこの悲劇に幕を下ろせるって、ボクはそんな予感がしてるんだよ」
「随分期待をかけてくれるじゃない。まあ大船に乗ったつもりで私に任せておきなさい!」
*
御山一行が馬車に乗って内陸方面へ進む中。ノトホッスから遠く離れた沖合では、船首に翼の生えた土竜の彫像が飾られた大型船が停泊していた。
その乗員は大半が同じ黒い作業着に身を包んでおり、なにやら小さな物体を引き上げているようだった。
「いやあ此度の実験もこれまた盛大に失敗ですなー!」
「シかシ得るモのモ多かッたカと……マさカ本物の魔獣ノ肉を埋メ込んダ状態で融合反応ヲ起こスと、コこマで活動時間ト魔力強度が向上スるトは」
甲板で言葉を交わす二人の男は視線の先で引き上げられたものを興味深そうに見つめている。
それは下顎から蛸がそのままぶら下がるように生え、蛇のようにうねった手足を投げ出した人間の死骸だった。
「ダが戻ッてカらノ生存率が皆無デは実用性モまタ皆無……こノ実験も終ワりトいウこトで?」
「いんや? あれは結局魔力の相互作用での自壊なんだから同調率の高い個体を厳選すれば使えないこともないと思うぜ。名付けるならそうだなー……“ヴェノミクス”。なんてどうよ?」
「デはソのヨうニ正式な計画トしテ記録しテおキまシょウ」
「まっじめだー。まあワタシが推す方向性とはズレてるけど、バオちゃんが気に入ったなら好きに手掛けていいよー」
「デはオ言葉に甘エて……イずレそノ成果に貴方カら驚愕ヲ引き出シて見セまシょウ」
「期待してるぜー! ……んーで、君のお眼鏡にはかなったかな?」
船室に引っ込んでいった一人を見送り、もう一人はその近くで静かに佇んでいた人物に声を掛けた。
その男は質素な腰布を一枚巻いただけの見窄らしい身なりであり、血が通っていないような蒼白な肌が骨に張り付いているように見えるほど痩せこけた身体を外気に晒していた。
「ああ……気に入ったよ。特に理性が腐り落ちているところが良い……一度解き放たれれば死ぬまで暴れ続ける。そういう武器は意外と役に立つことも多いんだ」
「んー含蓄を感じないこともない! にしても君はせっかちだねぇ。掘り起こされてから一年も経ってないのにもう始めるんだ?」
「計画とは予定が長いほど不確定要素の介入を許す隙を生むからな。前回は悠長にやりすぎたせいで、ミヤマだとかいう下らん異物によって全てがめちゃくちゃにされてしまった……今度という今度は最早絶望する猶予も与えん」
痩せこけた男は屈辱的な失敗の記憶を思い起こし顔を緑色に染め上げて、泥土のような肌にまとわりつく粘ついた怒りをひり出している。
「さすがですわー。後輩として勉強させてもらっちゃおうかなー。まあこっちも色々手は貸してるわけだけど」
「その対価は既に支払ったろう? お互い健闘しましょうの挨拶代わりとしては少しやりすぎなくらいだったかもしれんがな」
「それについては割と本気で有難い気持ちはあるんだぜー?」
双方の間には互いを隔てる壁のようなものもなく気安い会話を交わしているように見受けられるが、どこか決定的な境界線らしきもので生きる世界が分たれているような意識の差が感じられるようでもだった。
「とにかく当日はしっかり見物させてもらうからねー。場所はやっぱりあそこ?」
「うむ。“あの地”は忌まわしき国の残骸の上に築かれたようなもの。それにアドラドメネクもまだ生きているのだろう? ウーサローヴァはさすがに手に余りかねないが……だからこそ今の私が乗り越えるべき試練として相応しい––––
––––決戦の舞台は、火の上の街ドゥナダスだ」




