トラフィスの目算
子供たちが寝静まった夜中。喧騒は何処へ行ったのか今は大柄の男と晄が部屋にいるだけだ。
男は備え付けのタンクからヤカンに水を淹れると、コンロに火を入れて煮だした。
「そう言えば名前知らないだろ、俺の。トラフィスだ。お前を連れてきた奴はレイスルだ」
晄は子供たちのおもちゃになった疲れを項垂れて表現した。
返事もせずに溜息をついた。
「悪かったな、子供らの世話させて。苦手か?」
『ちっと代わってくれ』デザイアが告げた。そして入れ代わる。「いや、寧ろ好きなくらいだ」
「それは良かった」
トラフィスはコンロのヤカンにあるパックを入れた。麦茶だ。
男はデザイアと向き合って座ると足を組んでくつろいだ。
「悠々自適だな。そんなに自信があるのか」
「うん? まぁな、ここは穴場だ。野党も寄らんな」
確かに現在地は分かりにくいだろう。森の中で、獣道を頻繁に通っていたのだから。
「そんな簡単には。レギオンが今から動いたとしても、早くて発見は昼回るな」
自信満々に言ったトラフィスにデザイアは右腕のインベントリを叩いて見せた。
「それは無いな、お前らはツメが甘い。人質は拘束しておくもんだ」
先程使おうとして邪魔が入り失敗したが、このような通信機器は没収しておくのが定石のはず。
「おいお前、昼間と性格変わってるぞ? けどどうやっても、ここでそれは使えないがな……。それにな……ここは全部子供の遊び場だ。お前らをぶち込むところもない。子供に見せるわけにもいかないからな」
デザイアは目を光らせた。「そう、それだ。何で子供の世話なんかしてる? 元レギオンがよ」
デザイアの煽りにトラフィスが眉を吊り上げた。
「俺が元レギオンだなんて一言も言ってないんだがな。流石はアルバロを負かした奴ってところか」
鼻で笑ってデザイアは踏ん反り返った。
「昼の街に出張った奴らの術式を見ればな。あんなに切り詰めた術が野党に出来るわけがない。少しカモフラはしてたみたいだが同じ式をどいつも使ってたら、知識のある奴が指導している事に察しがいく」
魔法式には同じ効果を発生させるだけでも式、陣のバリエーションがある。次の魔法に繋ぎ易くする機能性や発動を早くするために魔法式を簡略した速攻性、その後の魔力量の加減や干渉力の大小もある。術者はこのような性質を環境下で使い分けをするが、ここに独自性があると言ってもいい。謂わば癖だ。
魔法式の組み立てはほぼ独学で習得していく。十人いれば十色あるやり方が個性になるものを、デザイアは魔法式を一つに統一しているところが怪しいと言っていた真意だった。
「そろそろ本題に入るか。アンタ、ここで何やってるんだ?」
デザイアは踏み行った話を始めた。
これは街の現状の核心に迫ることだ。
トラフィスは少しの間で悩んだが、溜息を吐いて言った。
「お前、レギオンがどうやって出来たか知ってるか?」
「ああ、そりゃな。メイゼルっていう国が政府の異動を名目にして、山岳の開拓を行った時に集めた依頼屋共だろ」
「そうだ。あの開拓が布告のようなものだったんだろうな、大陸統一の」
『大陸統一?』
晄の知らない史実だ。
(征服ってやつだ。百年も前は国があったんだよ。今はそんなもんないだろ?)
確かに。街の名前はよく耳にするが国の名前というのを聞いた事が無かった。それはこの大陸に国が無いからだと言う。
ということはレギオンの総本山の街メイゼルは国の名前の名残ということが分かる。
「メイゼルの動きを察した近隣諸国は次々にメイゼルに攻め入って陥落させようとした、けれど」
トラフィスが喋った後にデザイアが一拍置いて繋げる。
「当時大陸最大の国力と技術力をもった国には勝てなかった。某国と同盟を結んで攻めても……」
「詳しいな」「まぁね」
デザイアは歳だけならば八十にも及ぶのだから知っていても晄は変に思わない。もしかすれば当事者なのかもしれないが。
「でだ。メイゼルが諸国を取り込みだしたんだな。強国が飲まれると一気に大陸の支配が広がった。つい十年前まで持ち堪えていた国があったみたいだが、今は関係ないな」
トラフィスは一旦置いた。
「そんでメイゼルは大陸の九割を支配したが、その実五割も統治してなかったんだこれが」
「メイゼルの新生レギオン自体が民衆の数に対して少なすぎることもあって、放置したんだっけな」
「数が足りねーから各国の主要都市だったところだけに派遣して統治するようになった。それが今の大陸の現状につながるわけ」
晄が住んでいるユース大陸は国が無いのは先ほど聞いた通り。区分が街という小規模で扱われるようになった経緯は今の話から分かる。この話を統合して考えると、この大陸で実質法が機能している、レギオンが支配している領地は五割もないという事。ユースは穴だらけと言ってもいいのだ。
「そして法が敷かれた街に人が集まる訳だが、国の中でも数えるほどしかない主要都市に国民全員が入るはずがないわけだ。だったらどうなる?」
「こぼれ落ちて、無法地帯に住む難民になるしかない」
「そうだ」
トラフィスが頷くと同時にデザイアはある考えに辿り着いた。
「まさかまさか……ここで保育所やってんのはその難民の子供を思ってか?」
挑発するように言う。
「……ああ、その通りだ。俺が始める前には街も増えて解決へ向かっていたところだが、十年前の国が最後に陥落したと同時に、また増えたからな」
再び難民が増えた時期があったことはデザイアも覚えていた。
「それなりに歳を取ってる奴はうまくやっていくもんだが子供はそう言う訳にはいかないからな」
トラフィスは嘆息した。
子供と言っても様々な境遇の子がいる。
親を失った子供、親の自分の身可愛さで捨てられた子供。そしてドロップタウン最たる数を占める子供の境遇は親が育てられないからだ。食糧も雨風を防ぐところがない無法地帯では当然生きてはいけない。自然の摂理が猛威を奮う。
国の吸収から溢れた人民の中には当然子供を持った親もいる。その親たちがどうしようもなく八方塞がりでドロップタウンに子を置いて絶命したり、決別したりして子供をだけを生かしたりしたのだろう。
一応孤児院という施設はあるが、当時はごった返していたことが目に見える。
そんな子供たちを何があってトラフィスは引き取ったのか。
「よく地位を捨てて、ここで住もうなんて思ったな」
「丁度その頃実動隊にいたんでな。街の外をよく練り回ってたんだ。そしたら次々と見つかるんだよな、子供を抱いたまま冷たくなった母親とか父親をな。後は原生生物から逃げてきた兄弟とかな」
実動隊とは依頼をこなす部署だ。レギオンの一番の勢力である。
「勿論保護してやりたいところだが、何処にもそんな余裕はないからな」
孤児院や養子として迎えてくれるところも少ないだろう。
孤児院はそもそも法の中の孤児を引き取るような方針のところがほとんどだ。保護者や手伝いに子供たちに対する別け隔てがある訳ではないが、子供同士そういう訳にはいかないらしく、輪が乱れるという理由でお断りだと言う。
養子も殆んどが後継ぎとなるのだから教養のない子供とは縁を結ばない。
法の外の子供だからといって教養や素行が成ってないという事は無いが、そんな偏見を持たれているのも事実だ。
「だから自分で作ってやろうってな、場所を」
トラフィスは苦笑いした。
「なんというかレギオンの体制が俺には合わなかった。組織がまだ出来上がってないわけでもないのに、古参が自分の保身に回ってたからな」
「十年前……。だとしたらアンタの性格には合わないだろうな。あの時代の上層部は殆んどレギオン新興の当事者だからな」
大陸の統治をしようとするほどだったのだ。自分の地位に対する執着も人一倍強い。
自身の失権を何よりも恐れていたのだろう。
「合わなかったんだよ。それでレギオンきっぱりやめて、此処へ陣取ったわけだ。最初は俺一人しかいなかった。そんな俺が一番に迎い入れたのはお前が昨日惑わされた奴だ」
「あの女か」
闇の魔法を使い、晄とデザイアを惑わしたレザーアーマーの女性だ。
「なかなかの素質があったからな。ここも今でこそ雨風が凌げて、野菜くらいは育てられる土地にはなってるが、元は半壊の街だった」
半壊とは言うが、デザイアが思うところ何も無かったと言うのが正しいのかもしれない。
「アイツと二人で地道に再興させていったさ。次第に子供も集まってきて、お前と同い年くらいの野党も寄ってきた。そうなると労力には困らなくなった」
町屋が並ぶこの街は全体的に作りが粗い。掘立小屋のような建物が連なっているだけなのは、トラフィスの言った労力だけが集まったからだろう。ノウハウを持たない彼らが一から街を造ったことは素直に感心できるとデザイアは思った。やはり只のドロップタウンではない。
「立派に造るもんだ」デザイアは手作りの机を指で叩き、無機質の音を生む。「大工にでもなったらどうだ?」
「なれるなら、ならしているさ。どんなことでも安定していることが重要だ」
「……どういう意味だ?」
トラフィスの言い回しに疑いを掛ける。
決して意味が分からないのではない。安定しているというのは収入などの生活のことだ。デザイアは生きていた時分、依頼屋をしていたのだ。当たり前だが依頼屋が安定した収入を得ることは難しい。一時は食うに困ることもあるほど不安定だ。
一人でやれる依頼には限度があるため、必要以上に増やすことも適わない。だから一定需要のある職業は羨ましい。ドロップタウンならばそれ以上に……。
「ドロップタウンはな……白眼視されるだろ。それもあって弟子や跡取りにしようなんてしてくれるところは無いんだよ」
「白眼視か……」
どうしても、冷たく差別的な扱いを受けることがある。
ドロップタウンに住む者の殆んどは犯罪者にならず者だ。法の中の人間にはどうしてもあくどい面だけがチラついてしまう。
子供は関係ないとしたいところだが先入観というものはそう拭い切れるものではない。
中には養子入りしてからも外の関係を持ち込み、その家庭を脅かしたりするなどの悪行を働く者もいるほどだ。良い様に映る事がない。
「だから……考えたのさ。コイツらをどうやって、どうすれば不自由なく暮らせるかを。だから村を作った。それでもだったらどうするか……。経済活動だ」
「経済ね。何があるのさ?」
そう言うからには金源があるのだろうか。四方を森で囲まれた地帯に経済活動が出来るほどの資源が埋まっているのか。
「いやいや、経済活動とは言ったがしっぽりとする訳じゃない。金の巡りが欲しいだけだ。流れるだけでも違うもんだ。それに本当に成し遂げたいのは……レギオンに支配されない街だ」
「……はぁ?」
レギオンに支配されない街?
デザイアは内心大いに否定した。
馬鹿げているとしか思えないからだ。ユース大陸の街々は全てレギオンが敷かれている。この状態を支配されていると言うのだ。レギオンなどまだ完全な組織ではない。盤石な構築のために、レギオンは公的機関の皮を被った支配者でいるのだ。トラフィスの言う完全独立の街などあり得ない。
確かに金の流通や物流があるだけでも街自体の景気は変わってくる。ドロップタウンに絶望的なまでに足りない流通を通そうというのがトラフィスの目論みなのだろう。
「奴らの関係が無くなって完全な独立が出来れば、此処にいる子供たちも、わざわざ冷たく見られる所で暮らさなくて済む」
「だったらば何故局長を攫った? 身を滅ぼすことをして何になる?」
「自治権だ」
「正気かよ。レギオンから離れようっていうのに、レギオンから貰うのか?」
自治権、自治は必要だろう。
このドロップタウンに人の流れを作るならば、治安が一定水準以上の良が無ければならない。
この近辺にも、デュッセ以外に街はある。わざわざ危険の多いドロップタウンへ寄る必要は微塵もない。だからこそ法治のある街以上に治安の良さが求められる。
そしてその治安をレギオン無しで組み立てようというのだ。
自治権が認められれば、それはレギオンが街として認めたという事になる。法は無くとも、自ら作りだしたルールで街を作ることができ、流通の地盤が望める。
「そりゃ、できるなら何もかも一からやりたいさ。でも勝手に作っちまったら、レギオンに目を着けられるから昔の顔なじみに芝居打って貰ってんだぜ?」
「芝居?」
「今日攫った奴は同期でな。少し無理言わせて、そういう風に話を持って行ってもらっている」
「そういうカラクリねぇ」
「カラクリもクソもねぇよ」
内部の人間を自分のコネで担ぎだした手段。やはり、やっていることの行動が矛盾している。
本人はレギオンから離れたいと言っているが、敢えてレギオンの目に着く行動になっているのはどうしても詰めが甘いと言いたい。
デュッセのみが局長によって此処が街として認められても、他所のレギオンが黙ってはいない。
査察でも入ればそれこそ全員投獄ということもありえる。
ドロップタウン出自をコンプレックスにしている子供のために行うことにしては危うい。
「アンタ……子供の面倒見過ぎだろ」
「お前が気にすることか? 何だったらやってみるか? 言い出しっぺの法則ってな。俺はそういう立場なんだよ」
自分が拾ってきた子供の将来の責任やケジメのように見えるが、傍から見れば無責任だ。
集団の長が集団を自由に振り回して、今の生活を脅かしているように見えるのだ。ここの子供たちが先の様に笑い合っていられるのだから、子供に不満は無いのだ。なのに勝手に不満だと疑い、平穏を無きものにしようとしている。
トラフィスにデザイアは憮然とした。
(勘違いもほどほどにな……)
などとトラフィスへ向けて思う。
「心配をしてくれるのはありがたいが、お前みたいな子供にされても気休めにもならないしな。……そろそろお開きだ。明日は明日で忙しい。というより」
「荒れるぞ」
「そうだな。あいつらが此処を勘付くまでが勝負だ。ま……そう易々とは通さんがな」
詰まるところ防衛させるのだろう。デザイアも襲われた黒髪の女もいるのならば一筋縄ではいかないはず。デザイアですら魔法の出処を掴めなかったのだから。
「お前も逃げるんなら明日だ。けどレイスルがそれはさせないだろうな。あいつは手強いぞ」
「はぁ? 俺があんなのに負けるって言うのか?」
それは勿論デザイアが戦えばと言う意味だ。
「ブハハ! 説得力のない言葉だな」
トラフィスにその事が伝わるはずもない。
「言ってろよ、そんな訳にはいかなくしてやるからな」
強気でも虚言でもなく、出来るからだ。
晄の身体をデザイアが駆れば、小娘一人どうにでもなる。伊達に生前依頼屋などしていない。
「期待はしておこう、逆に見てみたい」
トラフィスはそう言うがデザイアはすぐにでも見せてやろうかと言う意気だった。
だがそれを今行っても効果が無い。デザイアは気長に時を待ってから、存分にこの身を駆ることを心待ちにして、この夜を更かしたのだった。
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