青春リストその13『意中の彼を射抜きたい』
放課後。玲奈ちゃんの「部活見学いこー!」という鶴の一声で、私たちは学校の裏手にある弓道場へとやってきていた。
湊くんは「俺は帰る」と渋っていたけれど、玲奈ちゃんに「まあまあ、青春しよーよ!」と腕を引っ張られ、半ば無理やり連行されてきた形だ。
(ふふっ、玲奈ちゃんナイス! 少女漫画のヒロインたるもの、部活のマネージャーは憧れのポジションだもの!)
私のピンク色のノートには、しっかりこう書かれている。
『青春リスト・その13:一生懸命な彼に、「お疲れ様」と冷たいタオルを差し出す』
道場に入ると、袴姿の凛々しい先輩たちが的を狙っていた。
「おお、見学か? 歓迎するよ」
涼やかな笑顔で迎えてくれたのは、弓道部主将の九条先輩。
いかにも文武両道のエリートといった佇まいで、女子生徒からの人気も高そうだ。
「せっかくだ、君たちも引いてみるかい? ほら、そこの君から」
九条先輩は、なぜか湊くんの胸にスッと初心者用の弓を押し付けた。
「……俺は、遠慮しておきます」
「そう言わずに。男なら、的のど真ん中を射抜いて良いところを見せたいだろう?」
先輩に挑発され、玲奈ちゃんにも「湊くんガンバレー!」と急かされた湊くんは、深いため息をついて弓を構えた。
スパンッ!
放たれた矢は、見事に的の端を捉えた。
「おお、初めてにしては筋が良い。……次は、そこのお嬢さん。引けるかな?」
九条先輩が、少し意地悪な(からかうような)笑顔で私に弓を差し出した。か弱い女子には弦を引くのも難しい、と思っているようだ。
「……はい。嗜み程度ですが、少しだけ」
私は弓を恭しく受け取った。
実家のお父様は、私の情操教育にとても熱心だった。『不動の女たるもの、凛とした美しさを持て』と、幼い頃から茶道、華道、そして弓道を徹底的に教え込まれてきたのだ。
私は道場の空気を吸い込み、スッと背筋を伸ばした。
(足踏み、胴造り、弓構え……)
教わった通りに、一つひとつの所作を丁寧にこなしていく。雑念を払い、ただ目の前の的と自分を一体化させる。
そして、静かに弦を手放した。
――パァァァンッ!!
乾いた破裂音が道場に響き渡った。
私の放った矢は、的のど真ん中(黒星)を貫き、そのまま的を固定していた分厚い木の板ごと粉砕して、背後の土壁に深々と突き刺さっていた。
「あ、あら……? 少し力が入りすぎちゃったかしら」
私が頬に手を当てて小首を傾げると、九条先輩はその場に膝から崩れ落ち、震える声で呟いた。
「……完、璧だ。力、軌道、そして何よりあの息を呑むほど美しい残心……。お嬢様、どうか我が部の師範になっていただけないだろうか!」
――またしても、平穏な部活が一つ、蹂躙された。
俺は、粉砕された的の残骸を見つめながら、胃の痛みに顔を歪めていた。
玲奈に無理やり連れてこられた弓道場。
九条という主将に弓を押し付けられ、俺は若頭としての能力を隠すため、あえて「初心者らしいが筋が良い」程度の絶妙なコントロールで的の端を射抜いた。
だが、千鶴は違った。
彼女が弓を受け取った瞬間、道場の空気が凍りついたのだ。
(……一切の隙がない。呼吸音すら消えた。あれはスポーツの構えじゃない。数百メートル先の標的を、感情一つ動かさずに仕留めるための『狙撃手の絶対領域』だ)
極道の跡取り娘への情操教育。それがただの「お遊戯」であるはずがない。
彼女が『嗜み』と呼んだその所作は、長年の血の滲むような修練によって研ぎ澄まされた、純度100%の殺意のフォーマットだった。
放たれた矢は、的を射抜くどころか、道場の設備ごと粉砕した。
もしあれが対人用の矢であれば、間違いなく防弾チョッキごと人間の胴体を貫通している。
「あ、あら……? 少し力が入りすぎちゃったかしら」
千鶴が「てへっ」という顔を作っている。
だが俺にはわかる。あれは俺が先に矢を放ったことに対する、明確な威嚇だ。
『お前の腕前はその程度か? 私ならいつでも、お前の心臓をこの的と同じように粉砕できるんだぞ』という、無言の圧力。
「お嬢様、どうか我が部の師範になっていただけないだろうか!」
九条が、完全に心酔した顔で床に額を擦り付けている。
エリート気取りだった男が、圧倒的な「暴力の美」を前に魂まで屈服させられた瞬間だった。
「湊くん、お疲れ様! はい、タオル!」
千鶴が、可憐な笑顔で俺に冷たいおしぼりを差し出してきた。
マネージャーになりたいと言っていた彼女なりの、献身的なアピールなのだろうか。
だが俺は、差し出されたそのタオルを受け取ることができなかった。
(……あの完璧な一射の直後に、この至近距離での差し入れ。タオルの繊維に遅効性の毒でも染み込ませてあるんじゃないか……!?)
「ちづるんヤバ! 超カッケー! 私も入部しよっかなー!」
隣で玲奈が呑気に笑っている。
俺は震える手で弓を握りしめたまま、不動千鶴という底知れないお嬢様の闇の深さに、ただ一人戦慄し続けていた。




