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青春リストその1『隣の席の落とし物』

桜の花びらがひらひらと窓の外を舞う、入学式当日の朝。


 一年A組の教室は、初日特有のそわそわした空気と、何故かお通夜のような重苦しい沈黙が混ざり合っていた。


 私は自分の席で、一人静かに背筋をピンと伸ばす。

 私、不動千鶴ふどう・ちづるには、高校生活を懸けた『密かな野望』がある。


 私の実家は、地元ではちょっと名の知れた古い家柄らしい。そのせいか、昔からご近所さんには妙にへりくだられたり、気を使われすぎたりしてきた。


お父様は「それが不動の血の宿命だ」なんて渋い顔で言うけれど……正直、そういう特別扱いはもうお腹いっぱいなのだ。


 普通になりたい。


 少女漫画みたいな、キラキラした『ド定番の青春』をどうしても送ってみたい!


 私は鞄の中に忍ばせた、一冊のノートを思い浮かべる。


 春休みを丸々潰し、教典(少女マンガ)を読み漁って完成させた『絶対に叶える青春リスト』だ。


『リストその1:隣の席の男子が落としたものを拾ってあげて、そこから会話を始める』


 実を言うと、さっきから隣の席の男子が気になって仕方がない。


 切れ長の鋭い目つきに、周囲を寄せ付けないピリッとした空気。


まるで漫画から抜け出してきたような『ちょっと不良っぽいけど本当は優しいヒーロー』枠じゃないか!


 ――その時だった。


 彼の手元から、ポロリと黒いボールペンが滑り落ちた。


(……キタッ!!)

 脳が歓喜するより早く、私の身体は弾けていた。


 幼い頃から、お父様の謎のこだわりでやらされてきた『お遊戯(※飛来する刃物の掴み取り訓練)』の成果が、ここで完全に火を噴く。


 ペンが床に激突する、わずか数ミリ手前。


 私は一切の衣擦れの音すら立てず、床すれすれを這うような低い姿勢で、その落下軌道をスパッと遮った。


 ふう。危ない危ない。

 私は何事もなかったかのように静かに身を起こし、空中で捕らえたペンを彼へと差し出す。


「どうぞ。……落ちる前に、拾っておきました」

 教典の教え通り、真っ直ぐに彼の目を見つめ、慈愛を込めて微笑む。


(……あら? 彼、顔が真っ青だけど。まさか私のあまりに素早い親切に、感動して言葉を失っている……? やっぱり見た目はクールでも、根はすっごくシャイなんだわ!)


 私は心の中で、力強く一項目めのチェックマークを刻み込んだ。




 ――息が、詰まる。

 俺はれん。横浜の裏社会を牛耳る『湊会(みなとかい)』の若頭だ。


 今回の俺の任務は、対立組織である『不動組(ふどうぐみ)』の組長が溺愛する一人娘、不動千鶴に接触し、弱点を探り出すこと。


 不動組。


 その名を知らぬモグリはいない。泣く子も黙る国内最大級の武闘派組織だ。


 その跡取り娘である不動千鶴は、組織内でも「一切の感情を見せない氷の毒婦」として恐れられている。


(……マジで葬式かよ、ここは)

 教室を見渡せば、地元の事情を知っている生徒たちは、まるで死刑宣告を待つ囚人のようにガタガタと震えている。


教卓に立つ担任なんて、千鶴と目が合うたびにビクッと肩を跳ねさせ、名前を呼ぶ声が完全に裏返っていた。


 そんなバケモンと、隣の席だと?


 ふざけんな。極度の緊張で指先が強張り、手元のボールペンを弾くように落としてしまった。


 あっ、と床に手を伸ばそうとした。


 ――その瞬間、俺の視界からペンが『消えた』。


 いや、違う。

 隣に座っていた不動千鶴が、物理法則をガン無視した速度で動き、ペンが床に落ちる前に空中で『捕獲』しやがったんだ。


 ……それも、完全に無音で。風すら起きなかった。

(な、なんだ今の動きは……!?)


 俺の動体視力でも、残像すら追えなかった。


 もしあれがペンじゃなく暗殺用のドスなら、俺は今ごろ、自分が死んだことすら気づかずに首を落とされている。


「どうぞ。……落ちる前に、拾っておきました」

 彼女はペンを差し出しながら、ゾッとするほど美しい、凪いだ海のような笑みを浮かべた。


 その瞳の奥には、獲物をじっくりと観察する捕食者の冷たさがある。


 まるで、『お前の命など、いつでもこの手で拾える』と宣告されているような錯覚。


「……あ、ありが、とう……ございます」

 なんとか絞り出した声は、自分でも引くくらい情けなく震えていた。


 彼女は満足げにコクリと頷くと、再び前を向き、『青春』と書かれた狂気じみたノートに何かを書き込み始めた。


 ……ダメだ。


 あんな化け物の隣で、任務どころか、高校生活の初日すら生き延びられる気がしない。


 誰か助けてくれ。俺、もう家に帰りたい。

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