反町の意識下
灰色の世界。どこを見ても灰色しかない世界。空も土地も海もない。ただ見渡す限り灰色だけが広がっている。
「おい、これって……」
「良い夢も悪い夢もない、まさに何も思わないってことだな」
そこを浮遊している山田と戸内がいた。浮遊すると言っても地面がないのだから、浮かぶという行為になったわけではない。だから、漂っていたと言った方がいいだろう。
「どうする、幸喜。反町太助の意識はまるで夢を見ていない。だから活力どころか能動的にすらなれていないわけだ」
「このままじゃヤバいな。黒獏も近づかないだろうな、これじゃあ」
「じゃ、一つよろしく」
「なんでお前によろしくとか言われるだよ」
「私に何かできると思うか?」
「いや……よし、じゃ始めるか」
山田はズボンのポケットから小さな白い袋を取り出すと、その口を広げ、そこに掌をかざした。例の如く円陣が浮かぶ。数秒して円陣が消えると、袋はまるで掃除機のように、がなり始めた。袋が物を吸い込んでいるようにどんどん膨らんでいく。
吸い込みが自然と停止し、
「よっしゃ、レッツゴー」
の山田の掛け声で、今度は袋から吐き出されていき、袋が徐々に小さくなっていく。
すると、灰色だった景色がぼやけ始めた。様々な色が現れては消え、明瞭になっては淡くなっていく。それらは絵を構成していった。辺りに画像が鮮明化されていく。額縁に囲われた、いくつもの絵画が、無作為に展示されているように、灰色だった世界に飾られていった。そこには部活の練習に励む、大会で負け涙ぐむ、人知れず個人練習で雨の中を走る、あこがれる選手の試合を見ながら声援を送る、スポーツショップで道具を選ぶ、先生に怒られる、そんな反町が経験したことが映し出されていたのだった。その所狭し感ときたら、さしずめ巨大な美術館ようだった。
袋はもう吐き切ったのか、元の小さいものに戻っている。
「幸喜」
戸内の差している指先を辿ると、その空間に反町太助もいた。その反町は辺りに視線を送っている。
「反町君」
二人は音もなく反町の方へ漂って進んだ。傍まで来た二人に反町は、
「これ、なんですか?」
率直に訊いた。
「君の夢だろうね」
占い師が連れて来た男が答えた。
「俺の?」
「そう。たぶんね。逆に質問するけど、これ見てどう思う?」
そう言われ、反町はちらと戸内を見てうつむいた。
「懐かしい、懐かしいです。でも、もう……」
「もう?」
「……」
山田は待つ。反町が言葉を紡ぐのを。
「俺は……怪我……あれ?」
一方の反町も探していた。今に至った言葉を。そして、今からも言い続けようとしていた言葉を。けれども、彼はその言葉が言えなかった。それを覆うような、包むような胸の暖かさ、いや熱を感じていたからである。
「なあ」
反町はその声にまた見上げた。数々の画面の反町達が、彼の過去が同時に口を開いていた。彼らから今の反町に送るメッセージ。
「まあ、いいんじゃね? それでも」
そこにいた反町達の屈託のない表情。それらを見上げている現在の反町の頬に一筋の涙が流れた。
「俺・・・・・」
彼の手はぎゅっと握りしめられている。
「俺、もう一度やり直したいんです。怪我で大会に出られなくなって、そこで全部がなくなっちゃってしまったと思って、でも、消えてないんですね。いや、俺が消してないんですね。だったら、だから、俺はもう一度始めます!」
言った瞬間、灰色の世界が、ガラスが割れるように崩れて行った。まばゆい光が辺りを包む。反町はそんな状況にオロオロして見回している。
「解決だな」
「ああ」
戸内からの声に山田が安堵の表情になる。
が、
「幸喜」
戸内が上空を見やる。
「来るぞ」
「何が?」
「あんにゃろめです!」
言った瞬間、猛烈な風が二人の間を割いた。身を立て直し、風の行方を見る。そこには黒獏がいた。急停止をかけると、黒獏は振り返り、再度のダッシュの姿勢を作る。
「あいつ、ここまで来られるのか?」
「どうやらそのようだな。私は先に彼を連れて戻る。幸喜、後は任せた」
言うが早いか、戸内は反町へ一足飛びすると、足元に浮かんだ円陣に吸い込まれるように消えて行った。
「ったく、身勝手極まりないな」
標的を失った黒獏は、獲物を隠されたことに憤怒の様子で、山田をにらんでいる。山田も袋の口を開ける。そこには円陣がやはり浮かんでいる。
黒獏が仕掛けてきた。
「何?」
山田は袋を手元に引き寄せ、身体を旋回させた。黒獏ははるか遠くまでダッシュを利かせていた。
「何て速さだ」
などと言っている矢先に、黒獏がすでにそこまで来ていた。青い桜の元での一戦などは、比較にならないくらいに黒獏の俊敏性が向上している。
「ヤバ」
二度目の旋回。やはり獏は遠くまで行っている。
「暴走が止まらないって感じか」
パワフルさとスピード。その前に山田は迎撃の暇さえも持てずにいた。
「なら」
円陣を一つ掌に浮かべ、向かってくるバクにめがけて放った。
が、獏はそれを鼻先で弾き飛ばし、一心不乱に山田に目がけて駆けて来る。
「マジかい……」
山田は回避のタイミングを逃していた。けれども、彼は袋を開け、真っ向勝負を決めた。
獏が駆け近づいて来る。息を呑む。もう後五メートルほどまで接近した時だった。足元から何かが当たる衝撃を感じた。
「痛ってー」
痛みの中、辺りを見渡す。黒獏も弾き飛ばされている。何が起こったのか、と下方を見た。獏がいた。けれども、黒いのとは違う。全身が白いのだ。それが山田目がけて走っていたのだ。逃げようとしても、先程の衝突の威力の名残か、身体の自由が効かない。
再び、白獏が背中に衝突してきた。
「痛ってーって」
その痛みで山田は眼を閉じてしまった。