47 入鹿暗殺
【登場人物】
中臣鎌足(カマ様)
人間に転生した天魔の神『天狐』東国の獣神であり人間体でも魔物を圧倒できる身体能力を持つ。
額田姫王
中大兄皇子の妻であり、神の歌「言霊」を使う少女。
琵琶湖の龍王女の転生体である。
葛城皇子(中大兄皇子)
女性と見まごう白く美しい外観に凶悪で残酷な内面を持ち合わせる。
額田姫王や倭姫王の夫であり魔族を率いる魔王でもある。
チビコマチ(小野小町)
額田姫王に歌を学ぶため飛鳥時代に連れて来られた平安時代の少女。
巫女舞風の装束を身にまとい「言霊」を使う。
厳 (ゴン)
春日の森で「鬼神の塚」を守る片目の野守。
なぜかチビコマチのお供をしている
鈴鹿御前(倭姫)
天照大神の依代であり第六天魔王の一人。
なぜか高位天魔を人間に転生させて飛鳥の都に集結させている。
この時すでに五百歳を超えている美女。
王妃の名は「チカ」だという。
身分の低い地方貴族の娘だった。
山背大兄王は母の名から名付けよと仰せになり、王妃はこの子に「チカタケル」と名づけた。
カマタリは乳母に抱かれた赤ん坊の王子をのぞき込む。
まだ生まれて数日だというのに王子は鋭い眼でカマタリを見返した。
(この子は…)
カマタリは少し表情を堅くした。
「おう!まるで『あのお方』に生き写しのようじゃ」中臣御食子は赤ん坊を見ながら目を細める。
「父上、あのお方とは?」
「大父である厩戸の皇子さまじゃ」
聖徳太子!
なるほど、四鬼神を操り志能便を使う皇子か…
ましてやチカタには、獣神天魔であるカマタリの霊魂が補充されている。いずれこの子も祖父である厩戸の皇子のようになるのだろうか。
※ 大父:祖父の事
「ワシも昔、厩戸皇子さまに一度だけお会いした事があるが、あの鋭い眼で見つめられただけで、いや身が震えたわい」
「へえ……」
聖徳太子は志能便を組織し、あの四鬼神を使役し、飛鳥に居ながらにして全国を見て回ったと聞く。
天魔王。
その言葉がカマタリの脳裏をかすめる。
ふとチカタと目が合った。
まるで何かを語り出しそうな強い眼差しだった。
まさかな、相手は赤ん坊だ。
カマタリは庭に出て薬草園を見て回りながら花を積んだ。
出産以来だいぶ経つが、王妃はずっと寝たきりだった。
当時の医学では産後に母子共に命を失う事も多い。
「病は『邪気』によって起きる」
わずか百年前まではそう信じられて来た。
屋敷の離れにある王妃の部屋の壁には、邪気を祓うために、神祇伯である中臣御食子直筆のありがたい呪符が壁一面に貼りまくられていたが、どうやら効果は薄いようだ。
カマタリは庭の花を王妃の枕元の瓶に挿す。仏道では神仏に花を供えると聞く、上宮王家でもこのようにしていたかもしれないと思った。
「あら、素敵じゃない」
水を汲んできた額田姫王が花を見て言う。
「少しは病気の慰めにでもなればね」
お妃は力無く微笑んだ。
目は落ち窪み力無く、あの美しい姿からは想像できないほどのやつれた具合だ。
(かなり衰弱してしまったな)
カマタリは静かに言葉をかける。
「お加減はいかがですか?」
「私は大丈夫です」
あれから半月ほど経つが容態は悪い。日に日に衰弱していく。食事も摂っていない。
「チカタは…」王妃がつぶやく。
「元気ですよ。元気過ぎるくらいで乳母が困っております」
チカタは中臣家の乳母が育てている。
病は邪気である。
チカタは誕生以来、王妃と隔離され母子は会うことは無かった。
チカタは非常に癇が強く、まだ歯が無いうちに乳母の乳を噛み切ってしまった。
さすがに乳母のなり手がおらず困っている。
だがいくら元気とはいえチカタも日に日に衰弱していた。
カマタリはウソをついていた。
額田姫王が王妃に顔をよせる。
「私がチカタを連れて来てあげるわ。こっそりとね」
壁面が紫に光り、黒い穴が現れた。
地獄の井戸である。
額田姫王は闇の穴の中に消え、しばらくすると赤ん坊のチカタを抱いて出てきた。
「よく連れ出せたな!」
「婆やたちには眠ってもらったわ」
額田姫王は青い瞳をギラリと輝かせた。
怖わっ!
カマタリは引いた。
額田姫王は王妃にチカタを見せる。
「ほら、あなたの子よ」
王妃は力無く我が子に手を伸ばした。
チカタは目を覚ますと泣き出した。
「あらお腹が空いているのね」
「え?分かるの?」
「当然でしょ」
額田姫王がいきなり肩から腕を引き出し上着を脱いだ。
服がはだけて小ぶりな胸が現れる。
「な?!」
額田姫王はチカタを抱き寄せて乳を与える。
チカタは夢中で乳を飲んでいた。
「だいじょぶ?」
乳母の乳を噛みちぎったと聞き、カマタリも額田姫王の乳首が心配になってのぞき込むと、睨み返される。
「だいじょぶに決まってるじゃない!私を誰だと思ってんの!」
そりゃ…そうだな。とカマタリは納得した。
王妃のチカは静かに微笑んだ。
「お二人がうらやましいですわ」
「そうですかね?」
「そうかしら」
カマタリと額田姫王がいっしょに同じ反応を示してお妃は少し笑った。
その時、部屋の外から
「息子よ!お〜い息子よ!」と中臣御食子がカマタリを呼ぶ声が聞こえて来た。
カマタリがあわてて出て行くと、広い庭の真ん中に立派な身なりの老人と若者が二頭の馬で連れ立っていた。
カマタリはそれを見てギクリと立ち止まった。
若い方は蘇我のイルカである。
(…すると隣の老人は前の大臣の「蘇我のエミシ」か?)
「お前がカマか」
馬を降りながら老人が声をかけてくる。
カマタリは跪づいて畏まった。
「中臣のカマにございます」
蘇我のエミシはカマタリに近づくと両手を組み、深く頭を下げ唐風の礼を示した。
「礼を申す。上宮王のためによく働いてくれた。感謝する」
大臣に頭を下げられ、カマタリもあわてて頭を下げる。
イルカが横からカマタリに言う。
「親父が王妃さまにお会いしたいそうだ」
「王妃さまに?」
「お会いして直接謝罪したいとの事だ」
「謝罪…ですか…」
もしエミシたちが王妃とチカタを殺すようなことがあれば上宮王の王統は完全に絶える。
カマタリは父の御食子の顔を見ると、御食子は無言でうなずいた。
カマタリは蘇我エミシとイルカを離れの病室に案内する。
本来なら重病人は穢れと考えるものだがエミシもイルカも気にする様子も無い。
カマタリは中で額田姫王が授乳中である事を思い出し、大きな声で合図した。
「あ〜王妃さま。蘇我の大臣エミシさまとイルカさまがお見えでございます」
カマタリはゆっくり中に入る。
中は王妃のチカ一人だった。
「王妃さま、どうかそのまま」蘇我エミシが両手で制しながら枕元に近づいて、おもむろに王妃に跪づいた。
「我が息子、我が一族が上宮王の御一族を滅ぼしてしまいました。お許しいただける事ではありませぬが」
王妃は静かに天井を見つめて言った。
「これは運命だと王は語っておられました」
「運命…」
国を二つに分裂させない。
そのために山背大兄王は自ら戦火の中へ戻って行ったと聞く。
蘇我エミシは言葉を失い深く頭を下げる。
イルカが話を継いだ。
「王妃さま、今から蘇我の良医をここに呼びます。それと医僧たちを集め厩戸皇子さまがお造りになられた施薬院を国の施設として再建させます。それまでは、なにとぞお気を強くお持ちください」
上宮王の遺志を国家プロジェクトとして引き継ぐ。
イルカはそう宣言したのだ。
それから二人は王妃に二言三言語って、蘇我エミシたちは退出した。
帰り際にイルカがカマタリに語りかけて来た。
「あの後、親父に怒鳴られたよ。殺されるかと思った」
イルカがため息まじりにカマタリに言う。
「山背大兄王の事ですか」
「ああ、あんなに仲が悪かったくせに。それにまさか俺が王殺しの主犯にされてしまうとはな…」
意図せずとはいえ山背大兄王へ剣を振るったのは蘇我イルカである。
この事実は消えないだろう。
「どうなさるおつもりで?」
「俺はもう軽皇子を推していくしか無いだろう。もう後戻りできないからな」
カマタリは打算的なイルカの態度に不満を感じたが、もう蘇我本家の権威をもってしても抜き差しならない所まで来てしまっていたのを感じる。
「もう後戻りできない…か」
二人が話ながら歩いていると、離れの外ではチカタを抱いた額田姫王が待っていた。
「終わった?」
「ああ、入って大丈夫だ」
イルカはすれ違いながら、赤ん坊を抱いた女性が額田姫王と気づいて飛び上がった。
「お!おい!あれは葛城皇子の…なぜ額田王がここに居るんだ?!」
カマタリは真顔で首をひねった。
「さあ……」
馬に乗った蘇我エミシとイルカを、カマタリと中臣御食子が見送る。
蘇我蝦夷は馬上からカマタリに話かけてきた。
「カマよ。山背大兄王とは何か語り合ったか?」
「未来についてでございます」
「お前は何と答えた」
「兵法を御所望とのことで、六韜をもってお答え申し上げました」
エミシは少し空を見上げる。
「なるほど六韜か………それは『仁・徳・義』の事だな」
「は!はい」
いきなり蘇我蝦夷は山背大兄王とのやり取りを言い当てるので、カマタリは驚いて問い返した。
「なぜそれをご存知なので?」
「政に一番重要な事だからだ」
そう言うと蘇我蝦夷は馬を返して立ち去った。
「政……」
蘇我蝦夷はカマタリよりさらに深いところで六韜を、兵法を実践していたのか。
「蘇我蝦夷。あれが国家を担って来た男の姿じゃぞ、息子よ…え〜と」
「カマです」
「そうじゃ、カマよ」
カマタリはまた離れの病室に戻る。
王妃の病床の横にはチカタを抱いた額田姫王が居た。
チカタは眠ったようだ。
急にチカタが目を見開いた。
その鋭い目はジッと一方を見ている。
何だ?その目線の先には壁しかない。
「ぎゃああああ!!」
いきなり王妃が飛び起きて髪をかき乱し目を見開き壁を指差して叫ぶ。
土気色の顔に落ち窪んだ目がむき出され、恐怖で飛び出しそうだ。
「な?何だ?!」
何が起きているが分からずカマタリも額田姫王も立ち上がって狼狽した。
その時、壁が紫に光り、黒い穴が現れる。
地獄の井戸!
コマチか?
だがその闇の奥から現れたのは中大兄皇子だった。
「迎えに来てあげたよ額田」
「ヒイ…ヒィイイイ!」
王妃は葛城皇子の姿を見て目を剥いた
王妃は土気色になった顔を掻きむしり血と泡を噴いて倒れた。
「チカさん!」
額田姫王が王妃に触れた瞬間飛び退いた。
「し…死んでる…」
「何っ!」
王妃はいったい何を見たんだ?!
葛城皇子はゆっくりと手を伸ばして額田姫王の肩に手を回し、チカタを掴み取る。
「やめろ!」
カマタリは思わず葛城皇子の腕を掴むがビクともしない。
皇子がフワリと動くとカマタリは弾き飛ばされて壁に叩き付けられる。
カマタリは獣神体に変わり飛び起きた。
「まだ分からぬかカマ。額田もチカタも我の手の上なのだぞ」
葛城皇子は額田姫王とチカタを抱きかかえている。
「どうするおつもりなんです?葛城皇子」
カマタリが変身を解くのを見て中大兄皇子はフワリと微笑みを向けた。
「カマよ、額田が欲しくはないか?」
「?!」
額田姫王も驚いた顔でカマタリと中大兄皇子を見比べる。
「カマよ。我々は蘇我イルカを殺すことに決めたよ」
「何っ!」
いきなりの言葉にカマタリは驚いた。
「蘇我イルカの暗殺だよ。それを成し遂げたなら貴様に額田をくれてやるよ」
葛城皇子はユラリと顔を傾けて微笑んだ。
「もし断ったら…?」
「ことわれないさ」
葛城皇子は額田姫王を抱き寄せた。
〜47「入鹿暗殺」〜 完
(=φωφ=)あとがき。
>蘇我蝦夷と山背大兄王
叔父と甥ですね。
推古天皇の崩御のさい山背大兄王が聞いた遺言と蘇我蝦夷が聞いた遺言では違っていたらしく、このへんから仲が悪かった様にも見えますね。




