46 チカタ
【登場人物】
中臣鎌足(カマ様)
人間に転生した天魔の神『天狐』東国の獣神であり人間体でも魔物を圧倒できる身体能力を持つ。
額田姫王
中大兄皇子の妻であり、神の歌「言霊」を使う少女。
琵琶湖の龍王女の転生体である。
葛城皇子(中大兄皇子)
女性と見まごう白く美しい外観に凶悪で残酷な内面を持ち合わせる。
額田姫王や倭姫王の夫であり魔族を率いる魔王でもある。
チビコマチ(小野小町)
額田姫王に歌を学ぶため飛鳥時代に連れて来られた平安時代の少女。
巫女舞風の装束を身にまとい「言霊」を使う。
厳 (ゴン)
春日の森で「鬼神の塚」を守る片目の野守。
なぜかチビコマチのお供をしている
鈴鹿御前(倭姫)
天照大神の依代であり第六天魔王の一人。
なぜか高位天魔を人間に転生させて飛鳥の都に集結させている。
この時すでに五百歳を超えている美女。
中臣御食子の屋敷では、息子のカマタリを迎えて連日の宴会が繰り広げられていた。
「まさかまさか!我が家に上宮王家の王妃を嫁にお迎えする日が来ようとは!でかした!さすが我が息子じゃ!くうううう!」
宴会の席上では中臣御食子は長く白い髭を酒に浸してしまっているのに気づかず泣いて喜んでいる。
(いや、あなたにお会いするのは初めてなんですけど父上)
カマタリはウンザリした顔で連日の酒宴やらに付き合っていた。
「あの…父上。王妃がこの屋敷におられる事はどうかご内密に…」
「分かっておる!分かっておるぞ!さあお前も飲め飲め飲め!祝いじゃ!我が息子よ!」
父の御食子は酔って真っ赤な顔でカマタリをバ!バ!バババ!バン!と叩きながら盃を一気に飲み干す。
(いやいや全然わかって無いでしょ)
中臣御食子は神祇伯つまり国家祭礼の長官である。
彼は推古天皇崩御後の政治的混乱の時代、イルカの父、蘇我蝦夷らと図り田村皇子を天皇に推し上げた人物でもある。
その田村皇子こと舒明天皇は女帝皇極天皇の夫であり、葛城皇子たちの父親であった。
そして田村皇子と皇位を争った相手が山背大兄王だったのである。
中臣御食子からすれば、その山背大兄王の王妃と王子をお迎えできたという事は、その皇統を我が家に残し、山背大兄王の霊をお慰めし、中臣の血で怨霊を封じる事ができる。
そのような霊的意味もあった。
今回、カマタリの働きによって、それら全てが上手く事が運んだわけである。
「さあ!ハレの酒じゃ!皆の者!幸魂、幸魂、舞い踊れ!」
「応!」と中臣の家人や美しく着飾ってた巫女たちが笛太鼓の神楽囃子を鳴り響かせて、床を踏み鳴らしドンチャン騒ぎを始める。
「やれやれ」
カマタリは果てしなく続く酒宴から抜け出すと、豪壮な中臣家の敷地をウロつく。
「しかし鹿島の中臣とはえらい違いだねえ」
神官の長とはいえ、王族と見まごう広大な屋敷に舎人や神官、巫女、が歩き回り、大量の馬や武具が揃えてある。
どれも驚くほどの規模だ。
カマタリが生まれ育ったのは、はるか東の果ての鹿島の神域にある砦だ。最東端の朝廷の軍事基地である。
鹿島では大和の武人や蝦夷たちと共に学び武芸を鍛錬し、狩りや漁に出かけていた。
聞いた話ではカマタリの母親は鹿島の神を祀る現地の巫女だったらしい。
その女性は鹿島の土民や漁師たちから篤く信仰されていた、この地の霊的女王である。
高位の霊力を持っていたため「あれはキツネの化身にに違いない」と大和から来た武人や神官たちは噂した。
彼女は父親の御食子と出会い、カマタリを産むと鹿島から忽然と姿を消した。
小さな舟に乗り、太平洋に漕ぎ出したと聞く。
赤子のカマタリの元には母親が残したという蝦夷の紋様が掘り込まれた鎌が置かれていた。
鎌は魔を切ると聞く
母親なりの守護だったのだろう。
カマタリは空を見上げる。
(天魔の子を宿してしまったせいかも知れねえな…)
それが人間の母体にどれほどの影響を与えてしまったのか。
その母の残した鎌は先日の四鬼神との戦いで鎌は割れてしまっていた。
「せめて幸せに…」
カマタリは折れた鎌をながめながら、屋敷の裏にある離れに向かった。
離れは木製の柵と標縄が巡らされており、扉で堅く閉め切られ、柵の周りには金色に光る青銅の鉾を持った門番の若い采女が数人立っていた。
神域である。
ここが出産間近な王妃のために用意された『産屋』である事を意味する。
もちろん男子禁制の場所である。
カマタリは入り口で「あ〜エヘン!」と咳払いして衣服を叩いてホコリを払い、また衣服を整えた。
カマタリがやたら入念に叩いているので、門番の女たちが吹き出した。
カマタリはムッ!と女たちを睨むと、門を開けさせる。
そしてまた入念に衣服のホコリをパタパタ叩いて勇んで中に入る。
「ご機嫌はいかがでしょうか」
そこには艶やかで美しい王妃……と
額田姫王とチビコマチとゴンが居た。
「あら遅いじゃないの」
額田姫王が王妃と同席しながら白酒を飲んでいた。
「カマ様ぁ〜その御召し物も素敵ですう〜ヒック!」
盃を手に酔ったチビコマチが溶けそうな顔で酒を飲み干すと、ゴンがチビコマチにお酌する。
カマタリはため息をついた。
「なんで君らがここに居るんですかね?」
どんなに厳重にセキュリティを強化しても、彼女たちはあっさり突破してしまう。
カマタリからしてみれば一番やっかいな危険人物と言える。
「もちろんお妃様の警護のためよ」
「ホントかねえ?」
「だってえ〜、あなたは男だから出産に男は立ち会えないでしょ」
なるほど彼女の言葉にも一理ある。
この時代、出産は女性の神事であり、男が出産に立ち会う事は許さなかった。
「それに、あなたなんかじゃ頼りないし、私が居ないと。ねえ王妃さん」
額田姫王はもっともらしい事を言いつつ王妃の皿の胡桃や小豆菓子に手を付けている。
「そうデス、そうデスぅ」とチビコマチも酒に手を伸ばす。
ゴンもうなずきながら木の実に手を伸ばす。
王妃はそれを見ながらニコニコと笑っている。
「やれやれどうもご迷惑を…」
カマタリは王妃に頭を下げる。
「あら、とても楽しいですわ。心細かったから皆さんに元気づけていただいたのです」
王妃は優しく笑った。
(なんと素晴らしい女性であろうか)
カマタリはデレ〜っとする。
「ちょっと!だいたい穢れた男が産屋に立ち入る事がナンセンスなんだから、さっさと出て行きなさい!」
額田姫王がヤキモチをやきながら飛鳥時代に無い言葉でカマタリを罵っていた。
「ゴンちゃんはいいのかよ」
「もちろんダメよ!」
ゴンの顔ががひきつる。
「ゴンも出ていくのら!」
酔ったチビコマチがゴンも追い出そうとして、そのままパタリと倒れて、床の上で「クカ〜」と、寝息を立て始めた。
ゴンは慣れた手つきでチビコマチをおぶった。
「やれやれ、ひでえご主人様だよな」
それを見て笑っていた王妃が突然腹を押さえてうずくまった。
額田姫王がすかさず駆け寄る。
「破水だわ…」
「え?」一堂が驚いた。
王妃は痛みに耐えながら床に片手を付いた。
「早産の兆候かも!」
この時代の医学では破水は母子共に危険な状態とも言える。
「ど、ど、どうすりゃいいんだ?」
カマタリは訳もわからず狼狽る。
「私に任せて!子供なら以前産んでるから、私がなんとかする!」
「そりゃ助かる……え?君、子供って?」
「誰か!早くこの穢れた男どもをここから摘み出しなさい!!」
額田姫王の命令でカマタリとゴンは女官たちに表に引きずり出された。
産屋の柵では
「う〜む」カマタリとチビコマチを背負ったゴンが二人で柵の周囲をぐるぐると行き来している。
そこに「息子よ〜!」との声が聞こえて来た。
「ん?」
カマタリが振り向くと、そこには中臣御食子を先頭に祈祷の神官やら神楽の楽団やら舞装束の巫女たちの一団を大量に引き連れて来るのが見えた。
「おお我が息子よ!…え〜と…」
「カマです」
「おお、そうじゃカマよ!全国の神官どもにお妃様の安産祈願をするよう申し付けて来たぞ!安心いたせ」
「へ?」
「それ皆の者!舞い踊れ」
中臣御食子の合図で神楽の笛太鼓に合わせて仮面舞踊や巫女舞が踊り狂うドンチャン騒ぎを始める。
(あちゃ〜大騒ぎしてからに…)
カマタリは頭を抱えた。
「ちょっと!何の騒ぎなの?」
産屋の小窓から額田姫王が顔を出す。
「この出産の儀は我らに任せよ!我ら中臣の威信にかけてな!」
御食子が拳を振り上げる
「皆の者!魂振の時じゃ!」と叫ぶと神官や家人たちから「応」と鬨の声が上がった。
御食子が「鋭!鋭!」と拳を振り上げると家人たちが「応」と応える。
カマタリは頭を抱えた。
扉がバン!と開いて額田姫王が雷鳴のような声で怒鳴りつけた。
「静かにしなさい!」
中臣の家人たちはひっくり返り、チビコマチが飛び起きた。
(そりゃ龍王女の怒鳴り声に耐えられる人間なんて居ないわ)
御食子たち数十人は、しょんぼりして地面に跪づいて正座している。
カマタリたち三人は、静かに産屋を見守ることにした。
産屋からは王妃の声が漏れ聞こえていたが、それからしばらくすると産屋が急に静かになった。
(やけに静かだ。こういうものなのか?)
カマタリたち三人も不安げに産屋を見ている。
やがて扉が開いて中から青ざめた顔の額田姫王が出てきた。
「死産だわ」
額田姫王が声を落としていう。
カマタリは産屋に飛び込んだ。
部屋の中に入って見ると王妃は顔を上げず、横を向いたままである。
カマタリがのぞき込む。
薄暗い紫色の明らかに小さな赤ん坊が息もせずに横たわっている。
額田姫王が袖で涙を拭うとチビコマチが「うわ〜ん」と泣き出した。
カマタリはジッと紫色になった赤子を見つめていたが、両手を赤子に向けて歌を詠み始めた。
「逢ふことを〜」
額田姫王がハッ!と顔を上げて叫んだ。
「その歌は!ダメっ!」
自分の生命力を分け与える危険な言霊である。加減を誤ると自分の命すら危うくなる。
だがカマタリはかまわず歌を詠み続ける。
逢ふことを 息の緒にする 身にしあれば
絶ゆるもいかが 悲しと思はぬ…
『息の緒!』
カマタリが言霊を切ったその瞬間、赤子の身体が光り、カマタリがパタりと床に倒れた。
赤子は「あああ!」と泣き出す。
王妃は驚いて顔を上げた。
「なんてムチャをするの!あなたって人は!」額田姫王とゴンがカマタリを助け起こす。
「まぁいいじゃねぇか、見なよ」
王妃は赤子を抱き寄せていた。
「んもう…」額田姫王は呆れながら微笑んだ。
チビコマチが赤子を覗き込む。
「かわいいなあ、王妃さま、王子さまの名前はどうなさいますう?」
この時代、子供を名付けるのは母親の役目であった。
カマタリも立ち上がると王妃に尋ねる。
「どうしますかねぇ?」
「じつはこの子の名前は王より授かっていますの」
「どんな名前なんですう〜?」
チビコマチは大きな瞳を輝かせ赤ん坊を見ている。
「この子の名前はチカタ。チカタよ」
「え?!」
チビコマチが固まった。
「藤原の…チカタ……」
〜46「チカタ」〜 完
(=φωφ=)あとがき。
というワケでカマ様の新婚生活編です。
さっそくお子さんも産まれました。
> 中臣御食子
神祇伯。舒明天皇の擁立に関わっているという事は国家の運営にも強い力を発揮できる存在とも考えられますね。
たぶんこんなアホな爺さんじゃなかったと思いますけど。
>鹿島の神
カマタリの息子の不比等は、鹿島から鹿に鏡を乗せて春日の杜にお迎えしたと言われます。
その時の御神鹿の子孫が奈良公園の鹿ですね。
柳生石舟斎は鹿島と春日は同一であると書いています。ゴンさんの子孫ですね。




