41 志能便(シノビ)
【登場人物】
中臣鎌足(カマ様)
人間に転生した天魔の神『天狐』
自在に飛行する鎌を使い、人間体の能力だけで鬼人や魔物を圧倒できる身体能力を持つ。
額田姫王
中大兄皇子の妻であり、神の歌「言霊」を使う少女。
琵琶湖の龍王女の転生体である。
葛城皇子(中大兄皇子)
女性と見まごう白く美しい外観に凶悪で残酷な内面を持ち合わせる。
額田姫王や倭姫王の夫であり魔族を率いる魔王でもある。
チビコマチ(小野小町)
額田姫王に歌を学ぶため飛鳥時代に連れて来られた平安時代の少女。
巫女舞風の装束を身にまとい「言霊」を使う。
厳 (ゴン)
なぜかチビコマチのお手伝いさんをしている片目の杣人。普段は春日の森で鬼神の塚を守る野守である。
鈴鹿御前(倭姫)
天照大神の依代であり第六天魔王の一人。
なぜか高位天魔を人間に転生させて飛鳥の都に集結させている。
この時すでに五百歳を超えている美女。
蘇我のイルカの動きが止まった。
山背大兄王、上宮王家は蘇我氏の血統の皇族でもある。
※上宮王家:聖徳太子の一族
この上宮王家対して皇極天皇をはじめ軽皇子、中大兄皇子たちは敏達天皇の皇統であった。
蘇我氏は蘇我氏で皇極天皇とは別の蘇我馬子の娘を母に持つ古人大兄皇子を推していた。
どちらも自分の血統を優位にすべく血で血を洗う内乱に明け暮れていた時代である。
葛城皇子が仮面のような白い顔でイルカに語りかける。
「イルカの大臣。お前に兵を与えよう」
蘇我イルカも軽皇子も驚いた顔をした。
この当時最強の兵力を持つのは他でも無い、このイルカの大臣の蘇我氏本家である。
「山背大兄王は厩戸皇子直伝の兵法を使うという。お前たちの兵の動きなど筒抜けだよ」
葛城皇子はユルリと微笑んだ。
厩戸皇子の兵法と聞いて皆が首を傾げる。
(厩戸皇子の兵法…?それはいったい?)
多少の軍書ならカマタリも鹿島で学んでいた。だが聖徳太子の兵法などというものを聞いた事も無い。
それに兵法ならば大臣である蘇我イルカも教養としては当然学んでいるだろうし、先ほどの報告を見てもイルカの明晰なビジョンの方が凡百の武将よりも遥かに勝っているだろう。
葛城皇子は見透かしたかのようにフワリと微笑むと兵書の一節を誦じた。
「聖智にして仁義に非らざれば間を用ちうること能ずという。
さて、この斑鳩において聖智にして仁義を備える人物とは山背大兄王ただ一人ではないかな?」
「?!」
葛城皇子の言葉にイルカとカマタリが同時にビクリと反応した。
“仁義に非らざれば間を用ちうること能ず”とは、孫子『用間篇』の言葉である。
用間とは間者。つまりスパイの活用法を意味する。
主君が仁義に篤ければ、スパイもまた主君に命を賭けるものである。
そうやってスパイが生命を賭ければ、こちらは戦わずして勝ち、敵は戦う前に負けるのである。
そう考えると今の中大兄皇子の言葉には
「山背大兄王は見えない巨大兵力を持っている」という事を暗に示している様に見える。
ふとカマタリの脳裏にある言葉が浮かんだ。
「志能便…」
イルカがハッ!としてカマタリを見た。
「お前は?…」
あ!ヤバい。と思って額田姫王を見るが、彼女は姿勢を崩さず前方を見ている。その視線の先には葛城皇子が居た。
皇子はカマタリを見るとアゴをイルカの方へ指し出す。
(話しても良いという事か)
カマタリは蘇我大臣イルカに向かって会釈する。
「鹿島の中つ臣のカマにございます」
「鹿島の中つ臣…中臣御食子にはキツネの子がいると聞くが、お前がそうか」
驚いた。そんな事まで知っているのか。
やはり大臣蘇我イルカ。ただ者ではないな。
「鹿島ではキツネに育てられていましたゆえ会った事はございませんが、父は御食子だと聞きます」
獣の子と聞いて座が一瞬ザワめいた。
キツネに育てられたというのはもちろんカマタリの冗談だが、父親の御食子は中央の神祇の長であり大貴族である。
鹿島で育ったカマタリは父を見た事が無い。
「そうか。御食子は父の馴染みなのでお前の話はよく聞いている。
それで中つ臣のカマよ、お前は志能便を知っているのか?」
「はっ、志能便については鹿島に居たおり大伴の者に聞いた事があります。大伴の一族には厩戸皇子に志能便として仕えた者たちが居たと」
志能便とは
いわゆる「忍者」の元祖である。
聖徳太子に仕えた大伴細人が忍びの始まりとの説もある。
つまり聖徳太子はこの当時すでに兵法の極意である用間を身につけていた事になる。
「すると志能便とは大伴の一族か」
「いや、おそらくはシキ神と呼ばれる遠つ国の鬼かと」
「なんだと?!」イルカは驚いた。
「四鬼神とは
・鋼鉄より硬い身体を持ち、あらゆる武器を跳ね返す『金鬼』
・城郭すら吹き破る大風を放ち撃つ『風鬼』
・激流をあやつり、軍勢を押し流し、おぼれさせる『水鬼』
・あらゆるものに姿を変え、姿を消し、相手を惑わして殺す『隠形鬼』
厩戸皇子は仏法の秘術を使い、四天王の像を依代にこれら四つ柱の鬼神を呼び集めたと聞きます」
「まさか厩戸皇子が鬼を使うとは…それは確かか?」
カマタリは続ける。
「厩戸皇子(聖徳太子)は若かりしおり、戦場にて四天王という天魔※を使い、物部の軍勢を打ち破ったとか。さらにいっぺんに十人もの話を聞き分け、はるか富士の御山まで馬で駆けたとも聞きます」
(※四天王:仏を守護する天部。カマタリ的には天魔と言っている)
「それが鬼の仕業というか」
「もし山背大兄王が『志能便』を使い、さらに四鬼神をも使うのであれば、皇軍とて勝ち目はございません」
「うむ…」イルカが唸ると場がザワめく。
さすがの軽皇子も腕を組む。
「まずいな。ただでさえ山背大兄王の住まう斑鳩宮の周囲には広大な寺社仏閣群がある。
そこに逃げ込まれては百や二百の手勢では落とすのに時間がかかり過ぎる」
「兵力はそれだけではごさいません」
カマタリが言うと軽皇子は驚いた顔をした。
「他にも軍勢があるとでも言うか!」
カマタリはうなずく。
「そこでは多数の貧民や窮困者を養っていると聞きます。いざとなればそれらの民が民兵となり山背大兄王のために命を捨てて戦うでしょう」
「貧民どもなど戦の役に立つものか!」
軽皇子は笑う。
「富まざれば以って仁を為す無し。施さざれば以って親を合する無しと申します。富を貧しき者に施せば、民はその仁に応えるものです」
「ふん、儒仏の教えで戦に勝てるなら苦労はない」
軽皇子はイスにもたれ掛かり、カマタリの意見を聞き捨てた。
だがそれに蘇我大臣イルカが反論する。
「皇子、それは儒仏ではなく兵法。六韜の教えです」
「何っ?」
軽皇子は自分の学識に自信があったが、間違いを指摘され顔色が変わる。
イルカは動じずに正論をとくとくと述べた。
「仁義の徳により国土を守るのもまた兵法の教えです。おそらく軍団を差し向けても斑鳩の民は山背大兄王を全力で守るため、戦いは長引くでしょう。長引けば上宮王家に呼応する勢力が全国から介入し、反撃の恐れさえあります。そうなれば今度こそ山背大兄王が天子となられるでしょう」
「む…」
軽皇子も黙った。
学識と正論をかざすだけに正論に弱い。
イルカとカマタリに論破された事により恨みがましい目で睨み付けている。
葛城皇子がユラリと言う。
「勝ち目なら有ろう蘇我大臣イルカよ」
「それは?…」
「仁義や愛民が正道であるなら、我らはそれ以上の奇策で戦えば良いだけではないか」
「奇策…ですか?」イルカは動きを止めた。
カマタリもまた葛城皇子の言葉に首を傾げた。
物部の軍勢をたやすく打ち破るほどの鬼神を相手に、まさかそれを上回る魔物を中大兄皇子は持っているのか?
沈んでいた軽皇子が渡りに舟と身を乗り出す。
「葛城皇子、それでその奇策とは?」
「相手が鬼を使うなら、こちらは天魔を使えば良い。相手が愛民を使うなら、こちらは蛮民を使えば良い。それだけの話です」
「天魔?…どうやって?」
葛城皇子は背後を指す
「この中つ臣のカマこそ神の声を聞き天魔をも使いこなす東国夷俘の軍勢を率いる東国の大魔術師だ。コイツを使うが良い蘇我大臣イルカ」
座がどよめいた。
※ 夷俘:俘囚という。
え?…まさか俺かよ!というか東国の大軍勢を率いる魔術師って何よ?
カマタリはチラリと隣を見る。
額田姫王は目を爛々(らんらん)と輝かせ自慢げに微笑んでいる。
やる気満々だし…
〜41「志能便」〜
(=φωφ=)あとがき。
なんかもう書いてる時間より資料読んでる時間の方が長いっす。
> 兵法六韜
中臣鎌足は若い頃には暗唱できたとか。
ただ六韜には「間(忍者)」に関する記述はあまり明確に書かれて無いので孫子を引用してます。
ちなみに孫子には六韜の作者太公望自身が間者だったと書かれてます。
> 志能便
聖徳太子が忍者を使ってたという話ですねえ。




