11 餓鬼阿弥
【登場人物】
小野タスク
平凡な高校生。
悪霊を斬る霊剣『韴霊剣』を目覚めさせる能力がある。
自宅の裏山が、なぜか地獄に繋がっている。
コマチ(小野小町)
平安時代の鬼退治師であり和歌の言霊を操り自由に空間を変化させ、炎を操る能力を持つ少女。
・パンツを履くという概念が無い
猟師コマチ(チビ助)
鬼と戦う少女。蝦夷風の装束を身にまとい半弓と毒薬を使う。
・パンツを履くという概念が無い
川崎カヲル
年齢不詳の女性民族学者。
裏山の古墳を発掘するため移住して来てそのまま学校の司書になった変人。
・南軍流剣術の宗家である。
犬山
剣道部の主将。
剣道ではカヲルを先生と呼ぶ。
初対面のコマチに殴られ、苦手意識がある。
柳生十兵衛
山奥で修行中に、なぜか現代に召喚されてしまった剣豪。
立烏帽子の霊刀『小通連』に片目を食われる。
タスクのお婆ちゃんの友達。
立烏帽子(鈴鹿御前)
将軍塚にある地獄の門を開放する妖女。
魔王軍随一の女性剣士である。
真夜中の教室。
一人で残業をしていた教師の沢田は立ち上がると職員室から出て暗い廊下を歩きだす。
教室に入るとロッカーの中を物色しはじめた。
「ミズキちゃんの体操着…」沢田はそれに顔をうずめた。
暗い廊下を赤いドレスの美女が音も無く歩いて来る
手には煌びやかな装飾の付いた細長い太刀を持ち、赤いドレスの上には長い髪は月の光で銀色に光る。
立烏帽子である。
背後には将軍塚で見た学生服の男女二人の鬼が付き従う。
男はクセのある長髪をかき上げ、黒の詰め襟の学ランのボタンを外して羽織り、太い筋肉質の左手には金拵えの豪勢な太刀を手にしている。
女は前髪を切り揃えたストレートの長い黒髪に紺のブレザー、襟元は赤いリボンタイを付けて、左手には赤い拵えの太刀を手にしている。
立烏帽子が近づくと教室のドアがひとりでにカラリと開いた。
教師の沢田は驚いて振り向いたが、たちまち女の鬼に蹴倒され床に転がる。
沢田は恐怖に引きつらせた顔を起こすが横顔を女の革靴で踏み付けられた。
黒い学生服の男は左手に持つ太刀をスラっと抜く。
「殺すでないぞ、餓鬼阿弥よ」
立烏帽子が制すると餓鬼阿弥と呼ばれた男は黙礼して太刀を納めた。
立烏帽子は赤いドレスをシャナリとなびかせながら教師の沢田に顔を近づけニヤリと笑う。
「ほほう、コヤツはお前に踏み付けられて喜んでおるようじゃな、テルテ」
テルテと呼ばれた女鬼は鋭い目つきで眉を顰ながら、さらに強く踏み締めた。
「ますます喜んでおるぞ、醜きモノよ」
立烏帽子は大きな赤い唇に笑みを浮かべると白く細い腕を突然、教師沢田の頭にズブズブと差し込む。
沢田は白目を剥いて泡を吹く。その醜い姿を見てテルテはまた眉を顰た。
立烏帽子が腕を引き抜くと白いモヤのような塊を掴んで取り出す。
命根子。つまり沢田の魂魄である。
教師沢田は魂が抜けたかのように脱力して床の上でイビキをかいて眠りはじめる。
立烏帽子が赤い口を開き、沢田の魂魄を飲み込んだ。
「フン、不味いのう。つまらぬ欲望じゃな」と吐き捨てる様に言った。
欲天。それは人の『欲』を喰らう神。
ゆえに天魔とも呼ばれる。
立烏帽子はその天魔の中でも高位の欲天の一人である。とても人間界などに居て良い存在の神では無い。
高位の天魔なんて人間から見れば大いなる災いそのものだからだ。
立烏帽子は月夜に踊るようにカラカラと笑った。
夜が明けた。
お婆ちゃんの湿布が効いたか、指の痛みはだいぶ良い。
そのお婆ちゃんは「今日も柳生十兵衛が来るんだよ」と嬉しそうにおにぎりとお茶の用意をしている。
すっかり十兵衛さんと仲良しになったようだ。
しかし、この近所で時代劇のロケなんてやってるのかなあ?
家の玄関を出ると、塀沿いに立つ電柱に向かって相撲の突き押しのように両手のひらを押し付け、腰を落とし足を大きく踏み出す。
いくら押しても電柱はビクともしない。
今日も突き技の稽古だろう。
いや、あれが技と呼べるのだろうか?
ただひたすら手ぬぐいをドンと突くだけだ。
鬼と戦うならもっといろいろな技を覚えなくてはならないんじゃないかな?
そんな疑問は感じる。
カヲルさんならどう戦うつもりなんだろう?
ふと昨日、カヲルさんが木刀で手ぬぐいを突いて貫通させたのを思い出した。
そうだ。カヲルさんの見せたツキは本物だ。
木刀でありながら真剣のようだ。
少し不安はあるが、今はカヲルさんを信じてトレーニングするしかない。
「身体は真っ直ぐ、アゴを引いて鼻とヘソを真ん中にそろえ、手の握りは小指、薬指を締め、人差し指を浮かし…出足を鋭くスリ足で…」
昨日の動きを思い出しながら坂道を登る。
「ほう」
裏山の林の奥では十兵衛が木の枝を透かしてタスクの動きをジッと見ていた。
しばらく黙考していたがグウと腹が鳴る。
「うむ」十兵衛は口をへの字に結び、神社の手洗いの水を手ですくって飲むと、竹杖を着きながらタスクの家に向かって歩き出した。
「おいタスク」
「うわっ!びっくりした!」
いきなりコマチが横から現れた。
そうだ坂道の上にはコマチが居るのをすっかり忘れていた。
「今のは昨日の太刀討の修練か?」
「そう、俺も鬼と戦わないとな。コマチばかりに戦わせてたし」
「そうか…そうだな」
コマチの言葉が途切れた。
ん?あんまりうれしそうじゃないな?
チビ助のヤツは、俺に「戦え戦え」と五月蝿かったのに。
コマチとチビ助は同一人物のはずだが、少し違うな。
校門の手前でまたバッタリと例の三人組に出会う。というか犬山さんは剣道部のキャプテンだ。
「犬山さん、おはようございます。昨日はありがとうございました」
「あっ!お、おう!」
三人はコマチを見てちょっとビビっていたが、犬山さんは気を取り直して挨拶を返してくれた。
「今日も来んのか?稽古」
「はい、邪魔してすいませんけど」
部活中に勝手に稽古するのはずうずうしいとは思ったが、もう退けない。俺は戦うしかないんだ。
犬山さんはなぜか驚いた顔をしてジッとこちらを見ていたが、ふと口を開いた。
「お前、なんかスゲぇよな。がんばれよ」
「え?」
犬山さんたちは去って行った。
何がスゴいのかはよく分からないけど、犬山さんが正直な人なのだと言うのはわかる。俺はあの人たちを少しカン違いしていたのかもしれない。
昼休み。
今日もカヲルさんの司書室に行く。
やはり弁当はコマチに取られた。まぁそれを見越してパンを買っておいたが
「タスクそれは何ぞ!うまいのか?」
やはりコマチに半分取られた…鬼め。
残りの時間は壁に掛けてあった刀を使い、昨日のツキの形に構え、カヲルさんから手直しを受ける。
昨日の剣道部員たちがやっていた正眼の構えよりも刀を前に突き出している形だ。
これが南軍流の正眼の構えなのだろうか?
というか、この刀って模擬刀なのかな…いや、今は考えるのはよそう。
刀をまっすぐ頭上に大きく振りかぶって、前に一歩踏み込みながらストンと切り落とす。
足を退いてまた始めのツキの構えに戻る。
ただこれを繰り返すだけだ。
刀は持ってみると意外と軽く感じたが、いざ振ってみるとやはり少し重い。
「その動作が技になるまで繰り返しなさあい」
カヲルさんは簡単に言う。
「技って?これが技なんですか?」
「そーよ、立派な実戦技よ。真っ直ぐの突き技と、真っ向上段切りと、下段からのツキとで、もう三手も覚えたじゃなあい」
「え?これが技なの?こんな基本素振りでは鬼相手に戦える気がしないんすけど…」
「ふふ〜ん、じゃあ実戦技を教えて・あ・げ・るっ!」
カヲルさんは木刀を構える。
え?実戦?
「さあ、構えてぇ〜」
よく分からないけど、とりあえず最初のツキの構えで構えた。
カヲルさんはスルリと上段に真っ直ぐ振り上げると、コツン!と俺の刀を叩くなり、グイと切っ先を目の前に突き出して来た。
「う…」
全く動けなかった。
カヲルさんの打撃は早くもなく強くもないのだが、軽くコン!と当たったその時には、もう剣先が目の前に来ていた。
ゆっくり動いているのに、全く反応できないのだ。
まるで金縛りだ。
「ほらね、簡単でしょ」カヲルさんはまた年甲斐もなくキラリん!と笑った。
簡単なワケないでしょ!
しかしカヲルさんはすごく簡単にやってたけど、まっすぐ打っただけなのに、どうして相手の刀を叩き落とせたんだろう?
なぜそのまま突けたんだ?
シンプルすぎて分からない。
いや、本物の技というのはそういうものなのかもしれない。目に見えないけれど、いろいろなテクニックをたくさん使ってあの一撃を打ってるに違いない。
本物か…俺にできるのだろうか…
まだ先が見えない。
午後の授業が始まる。
沢田先生の数学か…苦手だなぁ。
淡々と授業をこなすと言えば聞こえはいいが、学生の事などお構いなしに読み上げて。さっさと終わらせる。そんな感じの人だ。
教えるということ。
今、考えてみたらカヲルさんは本気だった。
命がけで剣道を教えてくれているように感じる。
廊下のガラス窓の向こうに見える北側校舎の奥には図書室がある。あそこにカヲルさんとコマチがいるはずだ。
どこまで練習すればカヲルさんみたいに刀を自由に使えるようになれるんだろう。
どれだけ強くなれればコマチの手助けができるんだろう。
ボ〜っと外の北校舎を眺めていると屋上に赤い人影が見えた。
え?人影?ありえないだろ。
赤いドレスに銀色の長い髪。青空に光る白い肌。そして金銀のきらびやかな装飾の太刀。
「あれは!まさか御前!」
服装は全く違うが先日の月夜に将軍塚の上に座っていた鬼たちのボスキャラだ、間違いない!
御前はこちらを見ている。目が合った。
瞳が金色に光り、赤い唇を吊り上げて微笑んだ。
まさか俺を見ているのか!
背筋に悪寒が走った。
腰に差したフツのミタマが静かに唸るのを感じる。
やはりあれは御前だ!
なぜここに?
その時、ガラリとドアが開いて教師の沢田先生が教室に入って来る。
まるで生気を失ったかの様なうつろな表情に教室のみんなが驚いた顔を向ける。
沢田先生は何も言わずノソっと席に着いた。
うつろな目をしている。
何だ?異様な感じだ。
続いて見た事も無い制服を着た男女が入って来た。大柄な詰め襟の黒服の男と、長い黒髪のブレザーの女性…
餓鬼阿弥とテルテである。
そして二人とも刀を持っている!
(まさか!)
教室がざわついたその時
「走り火!」
コマチの声と共に教室の中に炎が走った。
だが二人は炎に巻かれて平然としている。窓辺のカーテンが燃え上がり、ガラスが飛び散る。
教室に悲鳴が上がって大騒ぎになった。
振り返ると廊下にコマチが手をかざしている。やはりあの二人は鬼か!
二人の鬼は炎の中をゆっくりこちらに向かって来る。
「先生!火事だっ!!」とっさに立ち上がり沢田先生に向かって叫ぶが、教師沢田はまるで魂が抜けたかの様に惚けている。
「だめだ!」
俺は『フツのミタマの太刀』を掴むと、教室を飛び出し、廊下の火災報知器を叩いた。
学校中にサイレンが鳴りまくる。
そのままコマチの方に向かって走る。
「コマチ!走りながら教室のカーテンに火を点けろ!」
「あの窓の幔幕だな!わかった」
人に逢はむ 月の無きには 思ひおきて
胸「はしり火」に 心焼けをり
『走り火!』
歌とともにコマチの手から無数の炎が飛び出し、四方に走り回る。
学校中の教室から炎が上がり、あちこちで叫び声が響く。
俺はサイレンが鳴る中を力いっぱい叫びながら走る「火事だ!早く校庭に逃げて!火事だ!」
生徒たちが騒がしく教室から出て来て廊下にあふれる。
それを避けて階段を駆け上り、屋上に向かう。
屋上だ!屋上なら誰も来ないはずだ。
三年生の教室では犬山が階段を駆け上がるタスクとコマチに気づいた。
「あれっ?小野か?」
後からただならぬ気配の見知らぬ制服を着た男女が後から階段を登っていくのが見えた。
「?!…何だあいつら」
屋上に出る。
屋上の真ん中まで走って振り返ると、あの男女もまた歩きながら屋上に上がって来ていた。
やはり俺を追って来たのか?なぜだ?
手にした『フツのミタマの太刀』が唸る。
(まさかこれを狙っているのか?)
コマチは歌を詠唱する。
人の身も 「恋」にはかへつ 夏虫の
あらはに「燃ゆ」と 見えぬばかりぞ…
『恋火!』
コマチの全身が金色の炎のオーラに包まれ、強力な炎を飛ばすが、やはり二人は平然と近づいて来る。
やはり熾燃餓鬼か!
まさか人間体の燃餓鬼が存在するとは。
ならばコマチの炎はアイツらには通用しない。
俺は『フツのミタマの太刀』を両手で握る。
「剣になれ!フツのミタマ!」
手にした柄から刃が開き、鎌の形になった。
……あれ?
なんで鎌なんだよっ!
いや、もともと鎌だったからな。
ひょっとしてコマチが歌を詠唱しないと剣の形にならないのか?
餓鬼阿弥がスラリと太刀を抜刀する。
(コイツは強い!)
見た瞬間にわかった。
刀の使い方、身構え、目線、昨日見た剣道部員たちとは次元が違う迫力だ。
こんな強敵を相手に鎌で戦えるのか?
〜10 「南軍流兵法」〜 完
(=φωφ=)あとがき。
> 欲天
いわゆる天上界の神ですね。
天界は三種類あり、欲天、色天、無色天と言われます。
天上界の神でありながら我々人間や地獄の亡者と同じく煩悩を持つ神。それが欲天です。
その煩悩を滅却した高位の神が色天です。




