後半
領地の中とはいえ、蛍光灯などがないこの時代には、日が落ちればあたりはすでに冥々としている。
庭園に設置されているガス灯に薄ら暗い明かりがともされ、その周りに虫達が集まっていく。
窓辺には夏の夜風が青葉を運んできた。冷たい風がビュービューと窓ガラスを叩いた。
その様子をぼうっと、コーメントは一階客室の窓辺にて眺めている。
クライスがこの屋敷を訪れるのを先ほどから待っているのだ。
服も学生服ではなく、侍女に手伝ってもらって、この夏に舞踏会で着るはずだった召し物を着ていた。胸元にワンポイントの薔薇の刺繍がしてある橙色のドレスだ。コーメントにとっての自慢の勝負服だった。
しかし張り切りすぎだと、笑われないだろうか?冷静になってみれば心配ばかりある。
それに彼がここに来るのか本当に不安だった。先ほどの中身のない会話でクライスはこの屋敷に来てくれるのだろうか?
時間ばかりが刻一刻と過ぎる。時計の針の音ばかり耳に残った。
「でも、私は大丈夫だから」
不安になる度に、コーメントは自分に言い聞かせた。『大丈夫のおまじない』を何度かして、自分を勇気付けた。
さきほどまでは心が不の感情でいっぱいだった。でも、今は違う。
その時、真鍮製のドアノッカーが打ち付けられる音が響いた。
執事が入口に向かっていく、扉越しに伝わる外気の冷たさが別室のここまで伝わってくる気さえした。
「どうぞお入りください」
到来した客の返事は聞こえなかった。替わりにガツガツと足音がしたと思ったら、その音はすぐにとまった。
きっとこの部屋の前で立ち止まったのだろう。
「…綺麗だなコーメント」
「あ、ありがとう」
頭を掻きながら、クライスはぼそりと呟いた。
顔を上げてみれば、扉の前に立っているクライスも学生服ではなかった。
「クライス君も、その素敵だよ。本当に素敵」
「お、おう」
彼もきっと自分に会うために、礼服をきてくれたのだろう。何割り増しか凛々しく見えた。体格にぴったりとあった服装は今の自分の肩幅よりもずっと広い。身長も昔は同じくらいだったのに、今は頭一個分彼の方が高くなっていた。
いつも一緒にいた男の子は立派な青年へと成長していた。
それが嬉しくもあり、寂しくもあった。
「ちょっと外行かない?昔みたいにかくれんぼしようよ」
コーメントの提案に、クライスはぽかんと口を開けると、途端に渋りだした。
しかし彼女の無言の圧力に、最終的には屈する形となった。鬼はクライスである。コーメントが有無を言わさずそういう事にした。これは将来結婚相手に尻に敷かれるだろうな。コーメントはそんな感想が頭に浮かんだ。
アッシュバッハ公爵が設計した西洋式庭園。
この庭園で、子どもの頃2人はよくかくれんぼをして遊んでいた。
かくれんぼといっても、庭園の庭木は高さが二メートル以上あり、迷路構造となっているため簡単には捕まらない。屋敷の上から見なければ、誰がどこにいるのかさえ把握できない。それもこの闇夜だ。
その上少々ルール違反だが、コーメントはは庭園ではなく少し離れた東屋で彼が来るのを待つことにした。息を殺して、体育座りで身を屈めて。
「もういいかい?」という言葉が何度もつむがれ、コーメントも何度も「もういいよ」と返事をした。
次も、その次も答えて、それからコーメントは口をつぐんだ。
彼の歩く音が聞こえ始める。
コーメントは返事の替わりに透明な息を吐いた。
自分の指を暖めるためだ。
いくら夏の夜といっても、極力動かずにしていれば嫌でも体が冷えてくる。
少し指の先が冷たくなって、それをごまかすように何度かさすった。
指先を見つめながら、彼は自分を見つけてくれるだろうか。不安と期待がごちゃ混ぜになった気持ちが膨れ上がっていた。だが、やすやすとは見つかるはずもない。そう思っていた。
かくれんぼが始まって、数分がたち、彼が自分を見つける気配は無い。
暇を持て余したコーメントは空を見上げた。
星達が代わる代わる点灯を繰り返しては、消えていく。あの星達は人の営みが繰り返す中で、ずっと昔から輝いていたのだろう。物思いに耽ると、自分の悩みがあまりに矮小で、バカらしく感じられた。将来のこと。学園生活のこと。自分のこと。クライスのこと。二人のこれからについてのことさえ、あの何万後年離れた星達にとってはどうでもいい事なのかもしれない。
同時にこうも思った。
でも、そんなバカらしいことが私にとっては大切なことなのだと。
「――見つけた」
「…見つかっちゃったね」
少し息の上がっている彼は肩を動かしながら何度も呼吸を繰り返していた。2人は黙って、お互いの事を見つめていた。
子どもの頃の隠れ場所のクセを知っていたからか、クライスは一目散に何の躊躇もなくこの東屋に向かった。
最初コーメントは彼がズルでもしたのかもしれないといぶかしんだが、少し考えてそれでもかまわないと思った。
彼が自分を見つけてくれたこと自体が嬉しかった。
「ほら、立てよ。手、貸してやるからさ」
「ん、ありがと」
体育座りのコーメントを立たせようとクライスは手を差し伸べたのだが、何を思ったのかコーメント思い切り彼の手をひっぱった。
「うわ!」
ドンと鈍い音が聞こえた。釣られて体勢を崩したクライスは、コーメントの上に体重を預けることになる始末だ。
石畳の上でコーメントとクライスは抱き合う姿勢だった。彼の吐息まで聞こえてくる距離だ。
「何すんだよ。いや、まぁ良いけどさ」
彼の暖かな体温が芯まで冷えた自分の体まで伝わってきて、コーメントは緊張した。2人の行動はとても褒められたものではない。しかし、この距離感が数年前の二人にとっての当たり前だった。
「何年ぶりだろうね。こうやってこの庭園で一緒に遊ぶの」
「7、8年ぶり位じゃないか?」
「ふふ、そんなに前だったかな」
クライスが咄嗟にコーメントから離れようとしたものの、彼の腕をつかんで逃げられないようにした。すぐに抵抗しようと思えば振りほどける程度の力を込めた。
「なぁ今日シュアタインと何を話してたんだ?」
「ただの世間話。なに嫉妬したの?」
「バカ。そうだよ」
「バカって何よ」
「…俺の気持ち分かってるだろ」
「分かるわけないじゃない。だってクライス君は何も言ってくれないしさ。ずっと不安だったんだから。ここ数年全然話してくれないだもの」
それからクライスは意外だとでも言いたいのか目を丸くして、何度か瞬きした。
「まぁ、そうか…ああ、そうかもな。ごめん」
「急に謝らないでよ」
「俺は、お前を守りたいから騎士団に入るんだ。今日だって話しかける機会はないかずっと考えてたんだ」
「そうだったんだね。私もだよ。ずっと不安だった」
「本当は子どもの頃の関係に戻りたいと思ってた。俺ばっかりが想ってるんだって」
それはとんだ間違いだ。自分ばかりが好きだと思い込んでいたのは自分だったからだ。
呆気に取られたコーメントが返事をしないでいると、少し悩んだ風に眉間に皺を寄せて、クライスは言葉を続けた。
「それに今日はほかの女子と一緒にいたら嫉妬してくれるかなって」
「なにそれ」
そのあげく、自分がロウの側にいたら嫉妬して詰め寄ってきたのか。とんだわがままぶりである。だがそういうところさえ愛おしく思えた。
外灯に集まる虫の羽の音がやけに五月蝿く聞こえた。
「好きだ。この世界の誰よりも」
「そ、それでコーメントさんはなんて答えたのですか!?」
口をパクパクさせて、ミザリーは問いただす。顔を上気させて、手に持っていたカップから紅茶が溢れてしまう勢いであった。
「その秘密です。ごめんなさい」
秘密も何も無かったが、これ以上はあまりに恥ずかしくて、顔から火が出てしまう気さえした。
その様子をミザリーは静かに見つめた。目をつぶり、口をヘの字にして、何か言葉を発しようとしたが、熟考を重ねた挙句沈黙を作った。かと思うと、急に吹っ切れた顔をした。
「ありがとう、コーメントさん。その、お話、参考になりましたよ!」
「いや、でも」
「参考に!なりましたよ!!」
絶対に嘘だ。どこが参考になったのか。
コーメントは問いただそうとしたが、こちらの言葉を遮ってミザリーはそそくさと帰り支度を始めた。
その様子をコーメントは何度か瞬きしながら見ていた。
彼女の帰る姿を眺めながら、今日、一つコーメントは知ったことがあると感慨に耽っていた。
それは氷の女みたいな人だと思っていたミザリーが結構初心であったということだ。この先彼女は大丈夫だろうか。少し不安が募っていた。
彼女の力になるために、あとで一筆したためようか。それはある意味アドバイスというよりも独り身のミザリーに対する追い討ちになるのだがコーメントには自覚がなかった。
コーメントがそうしようと結論付けて、さっそく立ち上がろうとした時、視界の端に、あの日彼と見た空が映った。
目を凝らして薄っすらと分かる程度だが、あの日見た夜空の星星が見える。
その灯りは弱弱しくも、けして消えない光を灯していた。




