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【裏話】皇太子の葛藤

カリカリカリカリガリッ!

「チッ!」

カリカリガリッ!

「・・・・・・」

また折れた。

「セルデュ! ペン先の替えを!」

「……はい、只今」

今日のペン先は脆すぎる。なぜこんなに何回も折れるのだ?

「殿下が力を入れすぎなのですよ」

「不良品ではないのか!?」

「製造業者も納入業者は変わっておりません」

「製造過程での欠陥―――」

「間違いなく力の入れすぎです。ごちゃごちゃ言ってないで終わらせて下さい」

愚痴を言おうとしたらセルデュに台詞を遮られた。

なんて無礼な秘書官だろうか。

「夫人とのお時間を奪って申し訳ないのですがね、政務が滞ってますので」

「……絶対父上の嫌がらせだ」

あの糞親父!

「不敬罪になりますよ」

「セルデュ、お前! いつから心の中が読めるようになったのだ!」

なんて薄気味悪い幼馴染だ!

「あのですね、殿下。先程から心の声がダダ漏れですよ。無礼で薄気味悪い幼馴染の秘書官は心の声など聞く能力はございません。」

「フン、本当に嫌味な奴だな、お前は」

ペンを放り投げ、背もたれに身を預ける。

脳が疲弊している実感がある。あの糞親父が仕事を全部回してきやがるせいだ。

皇都郊外の治水工事の嘆願書、リヴェラージ王国との国境警備の増員依頼はどう考えても皇帝の政務の範疇だろう。おまけにシュサレクト伯爵家とマグラッセ男爵家の婚約誓約書とか、どうでもいいやつまである。

「陛下は殿下に政務の全てをお任せになろうと考えておいでです。"あやつもようやく身を固めそうだ。孫が産まれたら即退位して孫と遊んで暮らすのだ。あの様子ではすぐ出来るだろうからな、今から着々と譲位を進めねば"とおっしゃっておられました。」

あの糞親父!何が孫だ!

「では、父上に伝えろ。"孫が見たいのならば、アンジュとの時間を奪うのをお控えください"とな。」

「何をおっしゃいますか。これ以上アンジュ様と同じ時間を過ごされては、アンジュ様がお倒れになってしまいますよ。"アンジュ様に休息をお与え下さいますよう、殿下に進言をお願い致します"と夫人付の女官から女官長あてに嘆願まで来ている始末です。仲睦まじいのは大変結構なのですが、何事にも限度というものがございますよ?」

確かに、女官長からサラリと釘を指されたのは事実だ。

アンジュだけでなく他の夫人の部屋にも行け、と嫌味も言われたが。

特に、キャロラインが荒れているとか言っていた。

キャロライン付の侍女の怪我がいつも以上に多くなったり、備品の修理や損壊なども最近は多く報告されているほどだ。

正直に言うと、キャロラインの相手は非常に疲れるので近寄りたくないのだ。

そもそも、彼女の出身国であるアス・ウィリム連合公国は内戦勃発間近。父である太公王は退位を迫られているという情報は受けていないのだろうか?いつまでも見向きもしない夫に媚を売るより、祖国を守るために動くのが得策ではないのだろうか。

「失礼いたします。ケン・オーサ様がいらしてます」

扉を守る騎士がおずおずと申し出る。

口論していると思われたのだろう。気まずそうだ。

「ケンか。通してくれ」

セルデュがすぐに扉をあけ、柔和な顔立ちをした青年医師が入室してきた。

「お元気そうでなによりです」

父の病気を治した奇跡の医師は、アンジュと同郷の"異世界の貴人"だ。

故郷では見習いだったというが、こちらでは未知の知識と医術で多くの人々を救っている。

ひょろっとした青年は、いつ見ても顔色が悪い。

アンジュもそうだが、顔色が悪い種族なのだろうか?

「ご機嫌が悪いと伺っていましたが、体調不良が原因ではないようですね」

「アンジュ様不足のようですよ」

ケンとセルデュが小さく笑う。こいつら、絶対に楽しんでやがるな。

「杏樹様のことなのですがね。少し苦言を申しますよ」

ケンはアンジュを別の発音で言う。何かが少し違う。

「申し上げにくいのですが……、いくら子作りに励まれましても今は無理ですよ。私たち"異世界人"は自分が望み、そのうえで女神に願いを伝えない限り、行為に及んでも実を結びははしないのです」

ケンは言いにくそうに、目を伏せる。

「杏樹様は日本での環境を考えても、子供を望むことはないでしょう。お世継ぎを求められるのならば、杏樹様を除外されたほうがよいと思われます」

ニホン。アンジュが住んでいた国の名か。

「ケン。そなたはアンジュがどういう環境で育ったかを知っておるのか」

今、一番知りたい事をこの男が知っているかもしれない。

「殿下、私は医者ですよ。患者のプライバシーについては守秘義務があります」

こいつも訳の分からない単語を使う。

「環境を考えたら望むなと、知りたくなるような事を言っておいて、それか?」

「それは失言でした。申し訳ありません。しかし、杏樹様は隠し事をなさる方ではありませんよ。直接お尋ねになったらいかがですか?」

それが聞けないから悶々としているのではないか!

「……セルデュ、すまぬが席を外してくれ」

「……、畏まりました」

無礼で薄気味悪い秘書官は幼馴染だけあって空気は読める。

なんとなく察したのだろう。

「言いにくい上に聞きにくい事なのだが……」

セルデュが退室したのを目で追って、口を開く。

「そなたはアンジュの診察をしたであろう。どこまで診察したかとは聞かぬが、その……なんというか……過去に乱暴を受けたとか結婚をしていたとか、聞いたか?」

非常に言いにくい。かつ、聞きにくい質問だ。あからさまに聞けぬ分、言葉を選んでしまう。

「……、ああ、なるほど」

ケンは言葉を反芻し、納得したようだ。伝わったのか?

「杏樹様の、その……お身体についてですね?」

ケンも言いにくそうに考えを巡らせているようだ。

「信じがたいかもしれませんが、私と杏樹様の故郷は……現代においては貞操観念は希薄です。昔は貞操を守るというのは美徳でしたが、今現在、守っているのは稀なのです。簡単に売り買いする輩もいます。床を供にしても夫婦というわけではないのです。婚姻まで身を守るという概念もありません。増してや、杏樹様は特殊な環境にお育ちですから……その、なんといいますか、経験はお有りなのだと思いますよ。年齢も二十歳ですし」

衝撃、だった。

あのアンジュが経験豊富な様子だったのにかなりの衝撃を受けたというのに、ケンの言い分だと、それがアンジュの故郷では普通だと言うのか!?

なんということだ……!!!

「で、では、だ。アンジュは結婚していたとか、花街にいたとかではないのだな?」

一番最初に考えたのは、乱暴されたのかということだった。

アンジュは二十歳に見えない幼さがある。体つきは大人ではあるが、童顔だ。そういう趣味の不届き物に遭遇していたのではないかと案じたのだ。

「就職活動の最中にこちらに跳ばされてらっしゃいますから、学生の身で結婚はされていないでしょう。恋人はいたやもしれませんが……そこまでは伺っておりませんよ」

ケンは少し考えるように顎に手を当て、逡巡する。

「殿下、杏樹様に経験があろうとなかろうと、杏樹様に変わりはありませんよ」

「分かっている。分かってはいるのだ」

分かっているのだ。そんなことは。だが、心の奥底から湧き上がる嫉妬心が抑えられないのだ。

「では、そのお気持ちを杏樹様にお伝えしてみてはどうですか?きっと、殿下が欲しておられる回答を得られますよ。過去を隠したがっているご様子ではございませんし。」

「……ケン、お前は何なんだ。医者を辞めて神官にでもなったのか?医者よりも似合いだぞ」

「患者の心を軽くするのも医師の務めですよ」

確かに、少しイラつきは取れた気がする。不本意だが。

「ご本心をお伝え下さい。そして、お労りください」

……くそう。きっちりクギを刺しやがったな。

「殿下」

退室の挨拶の後、ケンは振り返りじっと見てきた。

濃い茶色の瞳に見つめられると、心が見透かされているような気がしてならない。

「杏樹……杏樹様は深く深く傷ついておられます。ご自分では気付きたくないのか、傷ついていないフリをしています。心の奥底にしまいこんだ感情は鎖となって自分を縛り付けます。その鎖を解き放つのは自分では出来ないのです。杏樹様の鎖を……解いてください、殿下」

同郷人として、何か深い所まで聞いたのだろうか。それとも医師としての経験がそう言わせているのだろうか。分からない。だが―――。

「傷ついているのならば、癒すまでだ」

アンジュはいつだって笑顔でいる。

あの煩いキャロラインの茶会に参加しているときでも笑顔だ。

よほど心が広いのか、もしくは鈍いのかと思っていたが、見当違いだったのだな……。

傷ついた心を隠すために笑顔でいるのだ、きっと。

傷を治すにはどうすればいい?

心の傷に効く薬など、どんなに高名な薬師でも作り出せない。

薬は他人から受ける心だと何かの書物に書いてあった。

そう、薬は己であればいい。


「休憩はおしまいですよ。さあ、お仕事を再開しましょう」

セルデュが書類の山を抱えて、やたらと元気に入室してきた。

なんだ、コイツは。

人が愛しい妻の事を考えておるというのに!

本当にムカつく奴だ!!




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