第1章 第1項 荒廃した辺境領地、死を待つ人々と科学者の憂鬱、そして醸造への執念が生んだ奇跡
第1章 絶望とアルコール
第1項 荒廃した辺境領地、死を待つ人々と科学者の憂鬱、そして醸造への執念が生んだ奇跡
空は鉛色に塗りつぶされ、大地は痩せ細っている。
魔王軍との戦争が始まってから十年、この世界の彩度は極限まで落ちていた。
ここは最前線から少しだけ離れた、名もなき辺境の小領地。領主として送り込まれた俺、バッカスの目の前には、絵に描いたような地獄が広がっていた。
「死んだほうがマシだ……」
「早く神様の御許へ行きたい……」
畑を耕す手は力なく、虚ろな目をした領民たちが念仏のように――いや、祈りの言葉を呟いている。彼らの唯一の救いは、教会が説く「現世は苦しみの場であり、耐え忍んで死ねば永遠の楽園へ行ける」という教えだけだ。
生きる希望ではなく、死ぬ希望だけがここにある。
「……あー、まずい。空気がまずい」
俺は執務室の窓枠に肘をつき、舌打ちをした。
俺の前世は、とある化学メーカーの研究員だった。アルコールの醸造や発酵プロセス、味覚成分の分析に人生を捧げていた男だ。それが過労死したと思ったら、こんな陰気なファンタジー世界に転生させられた。
ジャイアンのような理論かもしれないが、俺には譲れない美学がある。
俺の視界に入る人間が不幸な顔をしていると、せっかくの酒がまずくなるのだ。
だから、俺はこの状況を打破しなければならない。剣でも魔法でもなく、俺の得意分野で。
「領主様、また得体の知れない実験ですか?」
古びた扉が開き、年老いた従者が呆れた顔で入ってきた。
「実験じゃない。これは『救済』の準備だ。芋の収穫量はどうだ?」
「痩せた土地ですから、食うに困るレベルの不味い芋なら山ほどありますよ。家畜の飼料にする予定ですが」
「それを全部俺の工房へ運べ。あと、井戸水もだ」
俺はニヤリと笑った。
不味い芋? 上等だ。デンプンさえあれば、俺の知識とこの世界の魔法で、黄金の雫に変えてやる。
工房――といっても、納屋を改造しただけの粗末な小屋に籠り、俺は作業を開始した。
まずは芋を蒸し、潰す。そこに俺が密かに培養していた『酵母』もどきの菌類を投入する。この世界には便利なことに『発酵促進』という生活魔法が存在した。通常なら数ヶ月かかる工程を、魔力を流し込むことで数時間に短縮できる。
ブクブクと泡立つ甕の中身。鼻をつく独特の香り。
だが、これだけでは足りない。この世界の人間の絶望は深く、ただの濁酒程度では吹き飛ばせない。
俺はさらにその液体を蒸留器にかける。銅板を加工して作った即席のポットスチルだ。
火を焚き、蒸気を冷やし、純粋なアルコールだけを抽出する。
「高純度、高濃度。……よし、クリスタル・クリアだ」
抽出された透明な液体。
さらにここに、俺オリジナルの『炭酸付与』の魔法を叩き込む。
シュワアアアア……ッ! という爽快な音が狭い小屋に響き渡った。
完成だ。異世界特製、芋焼酎ハイボール。




