刻転
王都の汚名は雪がれ、平和が戻ったかに見えた。
しかし、次元の傷跡は完全には閉じていなかった。
1年後。
王宮の広場に、かつてない規模の空間の亀裂が生じ、そこから再び「超越者」アウグステンが姿を現した。
前回の敗北によりその姿は異形へと変じ、復讐に燃えるその存在感は、世界の理そのものを歪めていた。
「世界の塵共め。今度こそすべてを虚無へ還してやろう!!」
アウグステンの咆哮と共に、王都の空がひび割れる。
王都守護隊は集まっていたが、
魔術師たちの呪文は霧散し、
騎士たちの剣は空間の歪みに飲み込まれて折れた。
「ファウスト家が没落した今、王都を護れる存在なんて…」
人々の絶望が極まる中、一人の女性が静かに歩み出た。
オルガマリーであった。
彼女は剣を構えず、呪文も唱えなかった。
ただ、祖父オウルドボールから授かった「真実の目」を極限まで見開いていた。
オウルドボールは、かつて幼いオルガマリーの中に、魔術や剣術とは異なる、ある特殊な才能を見出していた。
幼い彼女がよくしていた遊び、「音集め」。
道場の屋根から水溜まりに滴る雨雫。
風で地を叩きながら舞う枝や葉。
鳥や蛙の鳴き声や、猫や鼠の駆ける足音。
それらをバックミュージックに雷鳴を予測し、
自らの「曲」のサビに組み込む。
それは「世界の不協和音を聴き取る力」
――すなわち、万物が存在する際に生じる微細なリズムのズレを感知する能力であった。
彼は師匠として、その才能を「生存のための極限技術」へと昇華させるべく、彼女を鍛え上げたのである。
「オルガマリー。お前には力がない。だが、力ある者が必ず犯す『傲慢という名のズレ』を、お前だけは見逃さない」
祖父の教えが、彼女の脳裏に響く。
アウグステンが次元を圧縮した一撃を放つ。それは回避不能、防御不能の絶対的な滅びの力であった。しかし、オルガマリーは動かなかった。
彼女はその攻撃の「リズム」を聴いていた。超越的な力であればあるほど、この世界の物理法則と衝突し、巨大な「不協和音」を奏でる。
彼女は、手にした一本の細い鉄針――魔力も付与されていない、ただの調律用の針を、空間の「空白」へと突き立てた。
その瞬間、轟音と共にアウグステンの攻撃が砕け散った。
「な、何だと……!? 何をした!」
アウグステンの脳裏に天敵の存在が浮かぶ。
「(否。あり得ん!奴らは我らを前に次元の果てに去った…少なくともこの次元には奴等に類するものは存在しないはず!)」
「お前の力は強すぎる。だから、この世界と噛み合っていない。私はただ、その『噛み合わせ』を少しだけ外しただけだ」
これこそが、オウルドボールがオルガマリーに叩き込んだ極限の技術
「理の剥離」
であった。
剣で斬るのではなく、魔法で対抗するのでもない。敵の力が最大になる瞬間に生じる、世界との致命的なズレ――その一点を突くことで、力のベクトルを自壊へと導く。
一年前は力を逃して返すことしかできなかった彼女だがある人物との出会いから自身の才能の真価を、
何よりも祖父が見出した力の全てを引き出すことを可能にしていた。
アウグステンは激昂し、全存在を賭した次元崩壊を引き起こそうとした。
「フザケルナっ!ワレヲ前ニ2度ノ跳梁ハ許サヌ!!」
王都全体が異次元の闇に飲み込まれようとしたその時、オルガマリーはさらに深く、世界の鼓動に意識を沈めた。
彼女には見えていた。
火花散らす次元の歪みだけではない。
アウグステンという存在そのものが、この世界における巨大な「ノイズ」であることを。
「お爺ちゃんが教えてくれた。家族を愛する心は、世界を調和させる一番のリズムだって」
彼女は祖父から受け継いだ温かな記憶――
あの夜のスープの温もり、
頭を撫でる手の重みを、
自身の鼓動のリズムに乗せた。
彼女の精神が奏でる「調和」のリズムが、アウグステンの「不協和音」を真っ向から否定する。
光を超える速度で変化する次元の歪み。
それを踊るように避け、前に。
オルガマリーは、アウグステンの胸元にある次元の核へと、素手で触れた。
「生存の極意、その一。――自分を殺そうとするものと、同じリズムで踊るな」
彼女の指先から放たれたのは、破壊の力ではない。完璧な「静寂」であった。アウグステンの荒れ狂う力が、彼女の調和のリズムに飲み込まれ、急速に安定を失っていく。超越者は自らの力が制御不能となり、自分自身が次元の狭間へと吸い込まれていくのを、ただ恐怖の中で見つめるしかなかった。
「馬鹿な……。ただの無才の人間が、超越者たる私を……!」
「お前は強かった。でも、お前には『帰る場所』のリズムがなかった」
アウグステンは絶叫と共に、今度こそ完全に消滅した。空間の亀裂は閉じ、空には再び穏やかな陽光が差し込んだ。
静寂が戻った広場で、オルガマリーは深く息を吐いた。彼女の体は限界を超えて震えていたが、その表情は晴れやかであった。
彼女は知っていた。この勝利は、自分一人のものではない。師匠として自分を極限まで追い込み、祖父として自分を無限に愛してくれた、あの老人が遺した「家族愛」という名の最強の防壁が、自分を守り抜いたのだと。
「お爺ちゃん。……私、ちゃんと『生存』したよ」
オルガマリーは、空に向かって小さく呟いた。
彼女はその後も、剣術や魔術は絶えず研鑽を積んだが世間の日の目を浴びることはなかった。
しかし、世界に危機が訪れるたび、
人々は一人の女性の姿を目にすることになる。
華麗な魔法も、力強い剣閃も見せない。ただ、静かにしかし世界の調べと歩み、世界の歪みを正していく、
無才にして最強の「調律者」の姿を。
それは、かつて一人の老人が、誰よりも愛した孫娘に託した、未来そのものであった。
オルガマリーは、祖父から受け継いだ二つの愛を胸に、
今日も世界の鼓動を聴きながら、自らの足で歩み続ける。




