翁流ヶ鞠=オルガマリー
大陸の端、常に霧が立ち込める「黄昏の谷」に、一軒の古びた道場兼魔術工房があった。
そこには、かつて「灰色の賢者」と「不敗の剣聖」の二つ名で恐れられた老人オウルドボールと、その孫娘であるオルガマリーが暮らしていた。
オルガマリーには、この世界で生きるための「翼」がなかった。剣を振れば自分の足をもつれさせ、呪文を唱えれば火花一つ散らずに咳き込む。名門の血を引きながら、彼女は剣術と魔術、そのどちらの才能も持ち合わせていなかったのである。
「もう一度だ、オルガマリー。腰が浮いているぞ」
オウルドボールの声は、冬の夜風のように冷たく鋭かった。彼は師匠として、孫娘に一切の妥協を許さなかった。彼が教えるのは、才能なき者が生き残るための泥臭い技術――敵の動きを予測する観察眼と、一歩でも長く立ち続けるための足捌きのみであった。
「お爺様、もう……腕が動きません……」
「『お爺様』ではない。今は師匠と呼べと言ったはずだ。戦場では血縁など何の意味も持たない。敵はお前が誰の孫かなど気にせず、ただその首を撥ねるだけだ」
その時のオウルドボールの瞳には、孫を慈しむ色など微塵もなかった。そこにあるのは、未熟な弟子を死なせないための、凍てつくような「師弟愛」であった。
才能なき者がこの過酷な世界で生きるには、優しさよりも先に、折れない心と冷徹な生存本能を刻み込まねばならないことを、彼は誰よりも熟知していた。
しかし、太陽が沈み、道場の冷たい床から離れると、空気は一変する。
暖炉に火が灯り、工房にパンの焼ける香ばしい匂いが漂い始めると、オウルドボールは厳しい師匠の仮面を脱ぎ捨て、ただの「祖父」へと戻るのである。
「さあ、オルガマリー。今日は欲しがっていたオウルグストの木の実のジャムをたっぷり塗って食べると良い。よく頑張ったな」
彼は、先ほどまで厳しく叱り飛ばしていたのと同じ手で、優しくオルガマリーの頭を撫でた。その手は剣ダコで固くなっていたが、伝わってくる体温は驚くほど温かかった。
「お爺ちゃん……。私、やっぱり向いてないのかな。剣も魔法も、全然ダメで……」
スープを啜りながら漏らしたオルガマリーの弱音に、オウルドボールは穏やかに微笑んだ。
「構わんよ、オルガマリー。お前が剣を振れなくても、魔法が使えなくても、お前は私の大切な孫娘だ。師匠としてはお前を地獄へ突き落とすが、祖父としてはお前がいつでも帰ってこられる温かな家を守り続ける。それが家族というものだ」
オルガマリーは気づき始めていた。昼間の厳しさは、彼女を「独り立ちさせるため」の愛であり、夜の優しさは、彼女を「そのままの存在として受け入れるため」の愛であることを。師弟愛は彼女を強くし、家族愛は彼女を癒していた。
ある日、谷に迷い込んだ魔獣が道場を襲った。オウルドボールは持病の腰痛で動けず、オルガマリーが一人で立ち向かわねばならない状況に陥った。
「落ち着け! 目を逸らすな!」
奥の部屋から響くオウルドボールの、師匠としての怒号。
オルガマリーは震える手で短剣を握り、教え込まれた足捌きで魔獣の攻撃を紙一重でかわし続けた。
華麗な魔法も、力強い剣閃もない。しかし、彼女は倒れなかった。泥にまみれ、息を切らしながらも、彼女は「生き残るための技術」を体現した。
ついに魔獣が隙を見せた瞬間、彼女は渾身の力でその喉元を貫いた。
戦いが終わり、静寂が戻った道場で、オルガマリーはへたり込んだ。そこへ、杖をついたオウルドボールがゆっくりと歩み寄ってきた。
「……よくやった、弟子よ。合格だ」
その言葉は、師匠としての最高の賛辞であった。しかし、次の瞬間、彼はオルガマリーを力一杯抱きしめた。
「怖かったろう。怪我はないか、オルガマリー。すまないな、怖い思いをさせて……」
震える老人の声は、もはや師匠のものではなく、ただの祖父のものであった。
オルガマリーは、祖父の胸の中で泣いた。才能がない自分を誰よりも厳しく鍛え上げてくれた師匠への感謝と、どんな自分でも愛してくれる祖父への甘えが、涙となって溢れ出した。
剣と魔法の世界において、オルガマリーは最後まで「無才」のままであった。しかし、彼女は確信していた。
自分には、鋼のように強い師弟の絆と、パンのように温かい家族の愛があることを。
二つの愛に守られ、そして鍛えられた少女は、いつしか才能という言葉では測れない、最も強い「生きる力」を持つ女性へと成長していく。
黄昏の谷で愛される球技において、飾られた競技用球が球技本来の使用用途によって摩耗していく時。
球技外でその場にあるだけならそれは薄汚れたボールにしか見えないだろう。
しかし、達人の技で魅せられたその時に限っては、
ただ使われず飾りられた鞠でも、競技用の性能に調整された大会規格球とも違う。
限られた者のみが価値を見出すことができる、
血と、知と、緻が織りなす芸術的な美しさをその場に創り出す。
オウルガマリー。
彼女はまさに無辜なる極限であった。
オウルドボール。
不敗と常勝の二つの道を極めた祖父を、
汚名と苦痛の上で殺した男、
アウグステンに出会うまでは。
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その日は唐突に訪れた。
大陸に魔獣をも羽虫として扱う存在、
「」が襲来。
大陸の諸国は地域最大の王国における最強人物を問題解決の鍵と見定めた。
伝説の男。
オウルドボール。
その人である。
「お爺様…」
「コレ、鍛錬の間は師匠と呼べと言うたろう。」
そう言いつつも、祖父の顔を見せてくれたオウルドボールにオルガマリーはただ不安げな表情を見せるしかなかった。
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「「「オウルガマリー!王都の勅令である!」」」
「「「追って通達があるゆえ、即座に王宮へ招聘されたし!」」」
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3日後、そう言って王宮へ呼び出されたオルガマリーが見たものは、
力無く、見窄らしい姿で鎖に結ばれた、
オウルドボールの処刑台であった。
王座を踏みつけて立つ男はこう言った。
「逆賊、オウルドボールの処刑を行う!!」
「我、『』のアウグステン王の前に、親族に言い残すことはあるか!?」
「お爺ちゃんッ!!!!」
「…師匠と呼べ。」
「最後の教えじゃ。よく聞いておきなさい」
「【歩みを止めず、目を逸らすな】」
「やれ」
「家族としてお前を守りきれずすまんかったの。」
「愛している。オルガマリー_______」
何がそこで生まれたのか。
極限を超えたものが何に変貌するのか。
答えはアウグステンの喉笛を切り裂く少女の刃に映し出されていた。




