21.夜
コダマは茶を飲んで、一つ溜め息をついた。それから、ぼうっと天井を見上げる。小柄な若者は、見るからに寂しげだった。
後二日ほどもすると、秘術師の故郷の町に辿り着く。もう旅は終わろうとしていた。
そこは以前にハヤテとコダマが泊まった飯屋だった。くたびれた印象の、やすい店だ。夕食はすでに済み、コダマがもらった湯で香草の茶を淹れたところだった。ハヤテはちびちび酒を啜りながら、ぼうっとしたようなコダマを見ていた。
そろそろ休んでもよい頃合いだったが、コダマは立ち上がろうとしなかった。その理由は明らかだった。秘術師は旅を終えることをいやがっているのだ。
フチと別れてもう三日経っていた。これから二日もすれば、故郷に着く。そうすればハヤテともお別れだった。
「また会いに行けばいいだろ。」
ハヤテは言った。コダマは目を下ろすと、首を振った。
「そんなの無理だ。おれ、またこれから忙しくなるからな。遊びに行くのなんてできないよ。」
言って、コダマは一つしゃくり上げた。ハヤテはくすっと笑った。
「また泣いちまうか?」
そう言って、にやにや笑う。コダマは従者を睨みつけた。
「お前は少しも悲しそうじゃないな。おれは、お前とだって離れるのがいやなんだぞ。それに、フチとは違ってお前は根無し草じゃないか。別れて、それから会えなくなるかもしれないじゃないか。」
「おれも寂しいよ。お前が横にいなけりゃ、寂しいだろうな。」
ハヤテはそう答えた。コダマは驚いて目を見開き、それから恥ずかしそうに視線を逸した。するとハヤテはくすくすと笑う。
「恥ずかしいか? もっと言ってやろうか?」
コダマはむっとして鋭い目つきを返した。
「恥ずかしくない。いきなり言われて、びっくりしただけだ。」
それより、とコダマは視線を落とし、気弱に続けた。
「お前、これからどうするんだ。」
「どうする、って?」
「だから、どうするんだよ。」
コダマは繰り返した。もちろん、この旅を終えた後のことを訊ねているのだ。そんなことは分かっていた。いまはまだ、ハヤテはコダマの従者だった。だが旅が終わればその任は解かれる。
ハヤテは少し口元を歪め、いたずらっぽく笑んだ。
「どうしたらいいと思う?」
「さあ。おれが知るかよ。どっかにまたふらふら出てくんだろ。お前、不便はないのか。どっかに腰を下ろそうとか思わないのかよ。」
ハヤテはその言葉に、にっと口の端を持ち上げた。
「まあ、そのうちどこかに腰を下ろすだろうなあ。どこになるかは分からないけど。」
「どこかいいところはないのかよ。別に急ぎやしないけど、ずっと若い気でいたらだめだぞ。」
市民になるなら、ところにもよるが、たいていは一年ほどは市街に居住しなくてはならない。その間にしっかり町に根を生やし、腰を落ち着ける必要がある。そして大抵の場合は、歳を取ってからよりも、若いほうがそれだけ早く根付くだろう。
いじらしく心配してくれるのが、ハヤテにはなんだかうれしかった。そのせいで、にやにや笑いが消せない。コダマは苛々と舌打ちし、睨めつけた。
「お前のことなんだぞ。何を笑ってるんだ。」
「実のところ、フチに誘われたんだ。」
え、とコダマは驚きの声を上げる。
「何を? まさか一緒に住むようにって?」
「そう。黒鱗の氏族に加わらないかってな。」
「辺境の氏族に? そんなことってあるのか?」
「あるみたいだな。別の氏族の者を迎えるのは、珍しいことじゃあないらしい。」
コダマは目をぱちくりして、それからいかりの色を浮かべた。
「お前、じゃあなんでおれについてきたんだ。フチと一緒に行けばよかったのに。」
息を荒げるコダマに、ハヤテは笑った。
「おいおい、おれはお前の師匠に雇われたんだぞ。お前を送り返すまでは、仕事だ。フチだって、その仕事が済んでからでいいと言っていた。」
ああ、とコダマは頷いた。
「よかった。じゃあ、お前もフチの仲間になるんだな。」
そう言って、顔をほころばせる。他人のことを、まるで自分の事のように喜ぶコダマを、ハヤテは可愛らしく思った。それに少しばかり気後れしつつ、しかし半分はどんな反応が来るかと楽しみにしながら、ハヤテは首を横に振った。
「断ったよ。まだちょっとやりたいことがあるからな。」
ハヤテが言うと、たちまちコダマの顔は険しくなった。
「やりたいことって、何だよ。」
「あいつの申し出はうれしかったんだけど、おれも、もうちょっと自分で居所を探そうかなってな。」
コダマはふん、と鼻を鳴らした。
「ばかなやつ。フチがせっかく言ってくれたんだろ。それを無下にしやがって。そんなんじゃ、いつまで経ってもどこにも着かないぞ。」
「なあ、おれが居つくにいいところ、お前は心当たりないか?」
コダマの言うことは無視して、そう訊ねる。コダマは首を勢いよく振り、語気も荒く答えた。
「あるわけないだろ。おれは旅に出たのが初めてなんだ。ずっと故郷にいてて、それで心当たりなんてあるわけないだろ。」
「だけど、一つくらいはあるんじゃないか。」
「何でだ。旅なんてろくにしたことがないのに、心当たりなんて――」
と、コダマは口を閉ざした。心当たりがたったいま思いついたのだろう。ふたたび口を開きかけ、それから、また閉ざした。
「何だよ、心当たりがあるのか。」
ハヤテは笑みを浮かべながら訊ねた。コダマは少し膨れっ面をしている。この若者は本当に表情がころころ変わる。
コダマは答えようか答えまいか、しばらく口を開きかけては閉ざしてを繰り返していた。だがやがて、茶を一息に飲み干すと、盃を叩きつけるように机に置くと、席を立った。
「悪いけど、おれには心当たりなんてない。もう疲れた。寝ようぜ。」
コダマの声は、心なしか震えていた。感情を頑張って抑えながらも、何とかやり返してやろうと当てこするコダマが、とてつもなく愛おしかった。
あえてコダマに答えず、ハヤテは相手がどうするかを見守った。コダマは言葉なく立ち尽くし、しかし立ち去りもせず、どうしたらいいか分からないようだった。ハヤテは笑い出しそうになるのを抑えるために、盃で口元を隠した。
もうちょっと苛めてやろうかと、ハヤテは口を開いた。
「休むんだろ。おれはもうちょっと飲むよ。先に行っててくれ。」
ハヤテが言うと、コダマは目を見開き、それからいかりの表情を浮かべた。
「分かった。先に休んでくる。この、くそったれ!」
コダマその場で一つ地団駄を踏むと、どなり声を上げた。周りの客が横目でこちらに顔を向けた。だが集まった視線に見向きもせず、コダマはすぐにがばと背を向けてしまった。
ハヤテは椅子を蹴って立ち上がると、コダマの肩を後ろから抱いた。
「悪かったよ、コダマ。からかって悪かった!」
そう言って、ハヤテが笑い声を上げた。コダマは足を止め、俯いた。
「おれ、傷ついたからな。ひどいことしやがって。くそったれ。」
「悪かったよ。悪かった。」
ハヤテはコダマを後ろから抱いた。ぎゅうっと力を込め、髪に口づけする。
「お前の故郷で暮らせるか、やってみていいかい。」
コダマの耳元で、小さく囁いた。小柄な秘術師は、小さく首肯した。ハヤテはうれしくて、また髪に口づけした。
「これで別れなくて済むな。」
そう囁いてから、からかうような調子で続けた。
「うれしいかい、ちびさん。」
きっと足蹴にされるだろうと思ったが、コダマはただ頷いた。ハヤテの腕の中で、その小柄な体は震えていた。ハヤテは驚き、それから、抱きしめた。
二人のすぐ近くに座っていた酔客が、大きな笑い声を上げた。
「おい、恋人を泣かすなよ!」
他の客も、同じようにハヤテらを囃し立てる。コダマはそれらの客に視線を走らせた。
「泣いてなんかない! それに、恋人なんかじゃない!」
そうどなると、コダマはハヤテの腕を振りほどき、のっしのっしと肩をいからせて歩いた。食堂の奥にある階段を、一段飛ばしで昇っていく。ハヤテはその背中を暖かい気持ちで見つめながら、黙って続いた。二人が階段を半ば昇ったところで、どうやらここに泊まるらしい酔客が、他の客に笑いながら言った。
「若い連中がこれからお楽しみだ。寝に行くのは頃合いを見図らなきゃならねえな。」
笑い声が上がった。やすい宿であるから、居室は雑居寝だった。お楽しみなど、たぶんコダマはいやがるだろう。
コダマは振り返ると、またどなった。
「うるさい。大きなお世話だ!」
コダマは半ば駆けるようにして二階に上がって、すぐそこにある扉を乱暴に開いた。後ろから上がる笑い声を聞きながら、ハヤテは居室に入り、後ろ手に扉を閉めた。
コダマはハヤテに背を向けたまま、肩を震わせて立っていた。ハヤテはその肩を後ろから抱きしめた。コダマは身を一瞬だけ緊張させたが、すぐに緩んだ。それどころか、コダマに体を預けるように、重みを傾けてきた。
「どうする、お楽しみにするか?」
ハヤテはからかう声で言った。コダマは、おこりもしなければ、身を振りほどこうともしなかった。しばらく黙った後で、コダマは肩越しに振り返り、うん、と頷いた。今度はハヤテが驚く番だった。まさかコダマが応じるなどと思ってもみなかった。
「本当に?」
そう言う自分の声が、興奮に上擦っていた。もう何日も色事には耽っていなかった。突然身内に灯った火が、内側をちろちろと舐めはじめた。心臓が跳ねるように、どくんどくんと脈打った。
コダマはまた頷いた。ハヤテは顔を近づけた。コダマは目を瞑る。それを可愛いと思いながら、唇を重ねた。まるでこれが初めてでもあるかのように、痺れるような疼きが走った。
短い口づけの後、ハヤテはコダマとともに、寝台に転がるようにして倒れ込んだ。




