第24話 底辺配信者は手を上げた
気づいたときには、攻撃は終わっていた。
メタリオンから飛び出した無数の触手が、針となってフロアを埋め尽くす。四方八方へ広がり、壁という壁に突き刺さる。
聖も、エルも、ルナすらも、その針に貫かれた――はずだった。
ブゥゥン――。
青白い光が、二人とドローンを護っていた。
目の前に陣取るのは、黒乃の元から飛び立ったアナスタシア。その周囲を飛び交う浮遊ビットが互いを光の線で結び合い、全員を包むドーム型のシールドを作り出している。
「アナスタシア!」
月乃が叫ぶ。だが、返事はない。
少し前までの彼女なら、ここぞとばかりに一方的にまくしたててきたはずなのに。
球体型のドローンだと思っていた、アナスタシア。
その正体は、二十センチほどの妖精――小人の少女。
あまりの出来事の連続に、聖もエルも押し黙るしかなかった。訊きたいことは山ほどあるのに、何から訊いたらいいのか。
ドクン!
触手が脈打った。
みるみるうちにその触手が太く、大きくなっていく。
聖はすぐに周囲を見渡した。
そこら中に突き刺さった触手が、どれも同じ律動で膨れ上がっていく。まるで、地下45階層そのものを呑み込んでいるかのように。
「食べているのか……『ニュールート』そのものを」
聖がポツリと漏らした。
「ダンジョンを食べるって、そんな……」
口ではエルが否定する。だが、大きく見開かれたその目は、目の前の現実を否定しきれていない。
はっと、黒乃の方を見る聖。
メタリオンが膨れ上がっていた。
巨大な、繭。
黒乃はその真下で、見上げるように佇んでいる。
「く――」
喉が、詰まった。
「ご心配なさらないでください」
声がした。
アナスタシアが発した声だった。
目も唇も閉じたままだったが、なぜかその声が綺麗に耳へ通る。
「主人は問題ありません」
聖が再び黒乃を見据える。
黒乃の周囲を球形の魔力のオーラが囲み、それがメタリオンの触手をかき消していた。彼の周囲だけが、触手の侵入を一切許さないかのように、ぽっかりと空いている。
「シニタクナイ――」
また声がした。
今度はアナスタシアではない。
触手から漏れ出た声。
「なによ、これ……」
恐怖におののくエル。
「モンスターが喋っている、のか……?」
聖の声が震えていた。
次の瞬間、触手が暴れ出した。
壁も床も、関係ない。
三十センチはあろうかという太さの触手が、無数に、のたうち回る。破壊するためだけの、めちゃくちゃな動き。地下45階層が原型を失っていく。
ズシャア――
ドゴォォォン――
キィィィン――
その全てが、聖たちの数十センチ手前で弾かれていた。
壁が砕け、フロアの向こうの通路が丸見えになる。むき出しになっていく地下45階層。遠くで、崩れた足場ごと落ちていくモンスターたちが見えた。
聖は、下を見た。
床は、もうない。暗闇があるだけ。
落ちればどこまで行くのか、底の見えない断崖絶壁。
視界が、黒に染め上げられていく。
残っているのは、聖たちの足元だけだった。
「――ッ!」
声にならない音が、すぐそばで漏れた。
「アナスタシア、あなた――」
ルナのカメラが捉えていた。閉じた目から、鼻から、口から、緑の血を流す小さな妖精を。
「どうして、そこまでして」
絞り出すような月乃の問いに、妖精は答えた。
「私はアナスタシアではありません」
「だったら、何で!?」
空中に浮いていたチェアがぐるりと動く。
妖精が、ルナのカメラを真正面から見据えた。
「私のメモリーに、親友を守れ、と記載されています」
そして、薄く微笑む。
「ですので、お気になさらずに」
ドォォォン――
弾ける音がした。
爆風が触手を震わせる。振動を受けた触手が、片端からひび割れていく。そこらじゅうで砕け、深淵へと落ちていった。
聖は、音の源を見る。
黒乃から巨大なオーラが発されていた。
そのオーラが弾け、メタリオンの触手を全てなぎ倒したように見えた。
オーラは急速に小さくなり、まとわりつくように黒乃の周囲へ収まっていく。
視界が晴れた。
残されていたのは、黒乃の足元と、聖たちの足元。あとは、ぽつり、ぽつりと宙に浮くように残された地面だけだ。
フロアの七割が、暗闇に変わっていた。
シールドの光が消える。
浮遊ビットたちがどすどすと残された地面に落ちていく。その流れで、妖精の座るチェアも力なく傾いだ。
咄嗟に、エルが両腕で受け止める。
聖とエルが、安堵の表情を見せた。
ひゅるると、ルナが飛んでくる。妖精を正面から見る位置に。
血を流し、ボロボロになった、小さな体。
「勝手に無茶して……」
月乃の声が、涙で滲んでいた。
「――何か、不快に思われることがありましたでしょうか?」
「どうでもいいよ、そんなの」
妖精は、よくわからない様子で少しだけ首をかしげていた。
一方――。
黒乃に傷はない。最初の不意打ちで負ったもの以外は、一つも。
五メートルまで膨れ上がった繭型のメタリオンを、ただ見上げていた。
視線だけ動かす。
破壊されつくしたフロアが、そこにあった。
「まさか、ここまでとはな」
柄を握りしめる。片手で、折れたような剣先をメタリオンへと向けた。
「見くびっていたことを謝罪しよう」
黒乃の後方に魔法陣が現れる。
十二個。
それらが円を描くように、空中に並んだ。
「君は記憶に刻まれた」
三時の方向。
その位置に浮かぶ魔法陣が、一つだけ強烈に発光した。
黒乃の黒い衣服が、青に染まっていく。
「第三世界――ビヨンド・ザ・ブルースカイ」
視界が開けた。
頭上には雲一つない青空がどこまでも広がり、足元では風がふさふさとした芝生を撫でていた。
聖は思わず息を吸い込む。太陽に温められた草の匂いが届いた。
瞬き。
空が濁っていた。塵と砂に赤黒く汚れた天の覆い。芝生はどこにもない。ひび割れた灰色の土。喉が灼けるほどの、焦げついた砂の匂い。
黒乃の手の中で、剣が弓へと形を変えていく。
だが、その弓身は、金属でも木でもなく、水。
覗き込めば、そこに映っている。雲一つない青空。風に揺れる緑。
失われた景色が、その中だけで、まだ生きていた。
弦が引き絞られる。番えられた矢は、一滴の雫のように澄んでいた。
「イキル――ワタシハイキタイ!!」
繭が破裂した。
中から現れたのは、巨大な胎児をかたどったメタリオン。
聖の頬が引きつる。エルも同じだった。
黒乃だけが、微動だにしない。
ただ冷静に、矢を向け続けている。
「全身全霊でお相手しよう」
同時に、メタリオンもまた動く。黒乃という存在を、丸ごと取り込まんとして。
「シンデたまるか――っ!!!!」
黒乃が呑み込まれる、その寸前。
矢が、放たれた。
パァン――
メタリオンの身体を、光が貫いた。
次の瞬間、世界が割れる。
赤黒い空に亀裂が走り、荒野がガラスのように砕け散り――ダンジョンの、元の風景が戻った。
黒乃は弓を下ろし、空中へ霧散していくメタリオンの光の粒を見つめていた。追い払うでもなく、目を逸らすでもなく。
やがて、光っていた三時の魔法陣が焼け落ちるように崩れ、残りの十一個が静かに消える。
弓が元の大剣に戻る。衣服から青色が抜け落ち、黒へと沈んでいった。
「アナイアレイターモード解除。アーティフィシャル・パーソナリティを再起動します」
唐突に、妖精がつぶやいた。
地面へ落ちていたビットが、ひとりでに宙へ浮かぶ。それらが妖精を包み込むように集まり、元の球形のドローンへと戻っていく。
カメラの部分に、光る文字が走った。
あっけにとられながら、その様子を見守る聖たち。
やがて、ブィンと音がする。
エルの腕からドローンが飛び立ち、頭上でホバリングした。
「……えーと、ふむふむ、なるほどなるほど」
独りごと。
それから、くるりと回って、カメラが聖たちを見据える。
「幸運ですわね皆さま。主人の本気を見られるなんて」
――アナスタシアだった。
「アナ!」
ルナが弾かれたように飛んでいく。
「ルナさん。先ほどの話の続きですが、来週なら――」
「明後日の午後!」
月乃の叫びに、アナが黙った。
「私も暇だから。遊びに行くわよ」
アナスタシアが、すっと少しだけルナから距離を取る。
「え、えっと……、その、そんなに真正面から誘われると、さすがの私も返事に恥ずかしさを感じてしまうといいますか……」
エルが、あきれ顔でその様子を見ていた。
そんな中、聖だけは真剣な面持ちで黒乃を見ていた。
必死にルナから視線を逸らしていたアナスタシアが、聖の様子に気づき、カメラを黒乃へ向ける。
黒乃は、ずっと同じ場所に立ったままだった。肩で息をしている。
「――心配無用ですわ。久しぶりの全力で、魔力が切れただけですから」
「違う!」
聖が叫んだ。
ビクッと、アナが揺れる。
聖の視線の先。
黒乃の背後に、微かな光があった。
脚に力を込める。
強化アンプルは、まだかろうじて効いていた。
――今ならまだ、届く。
踏み込んだ。
突然迫ってくる聖に、黒乃が目を見開く。
「黒乃彗! 後ろだ!」
はっとして、黒乃が振り返った。
地面には、拳ほどに縮んだメタリオンの残骸が、体を針のように尖らせている。その切っ先は、たった今まで無防備だった黒乃の背中を向いていた。
「こいつ、まだ――っ!」
柄を握る手に力がこもる。
だが――ガクン、と膝が折れた。
倒れ込む寸前、突き立てた剣の柄を必死につかむ。どうにか身体を支えた。
その隙をメタリオンは見逃さない。
針状の触手が、猛烈な勢いで伸びる。
「ッ――!!」
息を呑む黒乃。
ドンッ!
背中に、強い衝撃が走った。
押し出された黒乃に代わり、その場所へ聖が入れ替わるように現れる。
「君は――!?」
地面に倒れ込みながら、黒乃は見据えた。さっきまで自分がいた場所に立つ、聖の姿を。
――勢いで、来てしまった。
入れ替わった聖めがけて、触手が迫る。
――どうする!?
冷汗が、頬を伝った。
そのとき、猛烈な風を切る音。
考えていなかった。
気づけば聖は、回転しながら飛んできたソレを掴み取っていた。
無我夢中で振り払う。
弾かれた針の先端が、虹色の光の飛沫となって散った。
――溶けた!? 復活してこない!!
「聖――!!!」
背後から叫び声。
振り返る。
遠くでエルが、自慢げに笑って親指を立てていた。
手の中にあったのは、漆黒のナイフ。
聖の口の端が上がる。
すぐに視線を戻した。
メタリオンが、もう一度狙いを定めている。
「うぉぉぉぉぉっ!!!」
間髪入れずに、飛びかかった。
針が伸び、聖の身体を突き抜けた。
〈聖さん!!〉
耳元で、ヒナが悲痛に叫んだ。
それでも止まらない。
自分から針の奥へ、奥へと踏み込みながら、聖はナイフをメタリオンに突き立てた。
沈黙。
メタリオンに、小さな虹彩が現れた。
聖の身体がビクッと跳ねる。
だが、メタリオンは動かない。
次の瞬間、その身体が弾け、虹色の液体となって地面に広がった。
ドスン、と聖が膝から崩れ落ちる。
誰も何も喋らない。
遠くでダンジョンが崩れる音だけが、響いていた。
〈聖さん、ルナさんからの一言です〉
耳元にヒナの声。
ぼーっと、それに耳を傾ける。
〈今日で完璧メシは卒業よ、とのことです。……何のことですか?〉
その瞬間、鼓膜が破けそうなほどの歓声が押し寄せた。
ルナが飛んできて、そのまま聖の胸元にダイブした。
「痛っ――! 俺、ケガ人!」
必死につっこむが、ルナは胸元に収まったまま、何も答えない。
――ああ。
聖は全てを悟り、ふっと笑った。
『倒しやがったー!!』
『なんて戦い見せてくれたんだよ、コノヤロー!!』
『歴史に刻まれる一戦! 生で見れてよかった(泣)』
地下1階層の、そして配信の向こう側の、叫びのような歓声が、聞こえる。
目の前に手が差し伸ばされた。
黒乃彗だった。
「やってくれたな」
言葉とは裏腹に、その顔にはどこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
聖は力なく笑みをこぼす。
途端、脇腹が疼いたが、どうにか重い腕を持ち上げて、無言でその手を掴んだ。
引っ張られるように立ち上がった瞬間、ルナが聖の胸元を離れて頭上へ飛ぶ。
そして黒乃は、掴んだままの手を高く、突き上げた。
呆気にとられる聖に、黒乃が答える。
「配信中だ。観衆に応えるのも勝者の仕事だろ?」
半ば強制的に、聖の手がはっきりと天を指す。
どうしたらいいか、わからない。
わからないまま、歓声だけがよりいっそう強くなっていく。
次第に実感が、追いついてきた。
「そうか、勝ったんだ――」
配信を見ている皆に、何かいいことの一つでも言おうと必死に考える。
だが結局、ハハッ――と苦笑いでカメラを見つめるのが、やっとだった。




