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■ 第1話:SNSの熱狂と、不自然な企業間タッグ

 窓一つない地下の第4会議室。

 無機質な空調のモーター音が、ジジッ……ジジッ……と、閉ざされた空間の重苦しい空気をかき回し続けている。

 壁に掛けられたデジタル時計が示す年は、2029年。

 ここは、日常の裏側に潜む巨大な欺瞞を暴き出してきた特務考察機関『サイファー』の密室である。

 氷室司は、長机の上に置かれたマイボトルから、冷え切ったブラックコーヒーを紙コップに注ぎ、無駄のない動作で一口啜った。

 彼は懐からマイクロファイバーの布を取り出し、銀縁眼鏡のレンズについた微小な埃を執拗に拭き上げると、手元の最新型タブレットを厳かにスワイプした。

「……本日の議題は、現在SNSを中心に若者たちの間で爆発的な大流行を見せている、ある【画期的な新製品】についてです」

 氷室の細い指先の動きに連動して、壁面の巨大モニターに、カラフルでポップなパッケージと、青白い電子のグラフが同時に投射された。

「名称は【万能グミ】。一粒食べるだけで、人間の活動に必要な一食分のビタミン、ミネラル、タンパク質などの必須栄養素を完璧に補給できる。さらに、特殊な食物繊維の膨張作用により、たった一粒で長時間の『満腹感』までもが得られるという代物です」

 氷室は紙コップを机に置き、レーザーポインターでモニターの栄養成分表を指し示した。

「価格は一袋に三十粒入って、わずか五百円。水不足や異常気象による農作物の不作が叫ばれる現代において、これは単なる流行の菓子ではありません。純粋な科学の力によって生み出された、【世界の食糧問題を根本から解決する究極のフードテック】です」

 氷室の瞳には、データと科学の勝利に対する揺るぎない自信が満ちていた。

 オカルトや陰謀論など入り込む隙のない、完璧な成分表と経済的合理性。

「……あ、それ、僕もカバンに入ってますよ!」

 パーカー姿の七海悠太が、弾かれたように声を上げ、自分のリュックサックから銀色に光るポップなパッケージを取り出した。

「最近、大学の友達もみんな昼休みはこれ一粒で済ませてるんです。グレープ味とかコーラ味とかあって、普通にお菓子みたいで美味しいし。何より、学食に並ぶ時間もお金も節約できるから、めっちゃコスパ最強なんですよ!」

 七海は無邪気な笑顔で、万能グミのパッケージを振ってシャカシャカと音を立てた。

 しかし。

 その軽快な音を聞いた轟大吾の顔つきは、険しく、岩のように強張ったままだった。

 轟は、分厚い両腕を組み、黒のタクティカルジャケットの背中をギュッと軋ませながら、長机の上の万能グミを鋭く睨みつけた。

「……氷室。お前はパッケージの表面に書かれた『綺麗事のデータ』しか見ていない。七海、その袋の裏面……【製造元】を見てみろ」

「え? 製造元ですか?」

 七海が怪訝な顔でパッケージを裏返す。

「ええと……販売は、誰もが知ってる老舗のお菓子メーカー『大日本製菓』ですね。でも、共同開発のところに……『帝国メガファーマ』って書いてあります。あれ? これって、日本で一番大きな【製薬会社】じゃないですか?」

「そうだ」

 轟は長机の上に自らの暗号化端末を叩きつけるように置くと、太い指で画面を操作し、別の極秘通信ログを巨大モニターに割り込ませた。

 そこには、老舗製菓メーカーと巨大製薬企業の間で交わされた、莫大な資金移動の記録が赤々と点滅していた。

「考えてもみろ。国内最大の製菓メーカーと、抗うつ剤や中枢神経薬を牛耳るトップクラスの巨大製薬企業。……この二つが、なぜか国の認可を異常なスピードで通過させ、たかが『コンビニで買える数百円のグミ』を共同開発しているんだ」

 轟が、分厚い両手で長机をドンッ!と激しく叩きつけた。

「軍事や諜報の世界において、畑違いの巨大企業同士が【不自然な癒着】を見せる時、そこには必ず国家規模の裏取引か、物理的な悪意が存在する! 氷室、お前はこれを『食糧問題を解決するフードテック』だと言ったな。笑わせるな!」

 轟の鋭い眼光が、氷室を射抜く。

「製薬会社が本気で飢餓を救う気なら、なぜ医療用のサプリメントや点滴として、国連や医療機関に卸さない!? なぜわざわざ製菓メーカーと組んで、『若者向けの安価な菓子』という形に偽装して、市中にばら撒いているんだ!!」

「偽装……? ただのマーケティング戦略でしょう。一般への普及を早めるための」

 氷室が不快そうに眉をひそめ、タブレットを握りしめる。

「マーケティングだと? お前は本当に危機感がないな」

 轟が地を這うような低い声で唸った。

「医療品として販売すれば、厳格な処方箋や年齢制限、摂取量の監視が義務付けられる。だが『菓子』としてコンビニの棚に並べればどうだ? 子供から大人まで、誰の監視も受けずに、毎日好きなだけ【製薬会社が作った正体不明の化学物質】を口に放り込むことができるんだぞ!!」

「……っ!!」

 七海が、持っていたグミのパッケージを、まるで毒虫でも触ったかのように慌てて机に放り出した。

「お、お菓子に偽装して、薬の規制をすり抜けてるってことですか……!?」

「ええ、その通りよ」

 密室の淀んだ空気を切り裂くように、烏丸玲奈の艶やかな声が響いた。

 彼女は黒いヒールを鳴らしてゆっくりと立ち上がり、長い黒髪を指先でなぞりながら、机の上に投げ出されたグミをうっとりと見つめた。

「薬というものはね、本来『病という不幸』を治すためのもの。そしてお菓子は、『日常の幸福』を味わうためのものよ。……その相反する二つの概念を、一つの粒の中に融合させるなんて、まるで錬金術師の禁忌タブーだわ」

 烏丸は、透き通るような白い指先をそっと伸ばし、グミのパッケージの表面を撫でた。

「健康な若者たちが、自分はただお菓子を食べているつもりで、毎日欠かさず製薬会社の【成分】を体内に取り込み続けている。……それはもう、食事でも治療でもない。自ら喜んで見えない鎖に繋がりにいく、【甘い服従の儀式】なのよ」

「ククク……ハハハハハ!!!」

 突如、長机の奥から地鳴りのような笑い声が爆発した。

 特務考察機関サイファーのリーダー、御子柴健だ。

 彼はよれよれのスーツのポケットから両手を引き抜くと、ジッポライターを取り出し、カチン、と火をつけた。

 深く吸い込んだ紫煙を天井に吐き出しながら、彼はギラギラと血走った目でホワイトボードの前に飛び出した。

「繋がったぜ!! 氷室、轟、烏丸! なぜ製薬と製菓が手を組んだのか、なぜそれが『万能グミ』という形をとらなければならなかったのか、その悪魔的な理由がな!!」

「御子柴さん、またあなたの悪い癖だ。成分は完全に開示されています。これ以上論理を飛躍させないでください!」

 氷室が立ち上がり、タブレットの画面を突きつける。

「飛躍だと!? 違う、これは完璧な【最適解(答え)】だ!!」

 御子柴は黒のマーカーを掴み、ホワイトボードの中央に『万能グミ』と大きく書き殴った。

 そして、その周りに『製菓』と『製薬』という言葉を書き、それらを太い矢印で結びつけた。

 ダンッ!!という激しい音が、窓のない密室に鳴り響く。

「氷室! お前はさっき、このグミが『世界の食糧問題を解決する』と言ったな! 違う!! 奴らの狙いは、貧しい国の人々を救うことなんかじゃねえ!!」

 御子柴の血走った眼光が、密室の全員を射抜いた。

「奴らは!! この豊かな日本において、国民から【食事という概念そのもの】を完全に奪い取ろうとしているんだよ!!」

「食事を、奪う……!?」

 轟の巨体が、戦慄で大きく震えた。

「そうだ!!」

 御子柴が、黒のマーカーの先でホワイトボードを強く叩きつける。

「たった五百円で、一ヶ月分の昼飯が済む。しかも美味くて、お腹も減らない! こんな魔法のようなアイテムが社会に完全に浸透したら、一体何が起きると思う!?」

 御子柴は悪魔のような笑みを浮かべて、最悪の仮説を咆哮する。

「誰も米を買わなくなる! 誰も野菜を買わなくなる! 外食産業も、食品の物流網も、農業も!! 日本の食を支えているすべての【国家インフラ】が、たった一粒のグミのせいで連鎖的に倒産し、完膚なきまでに崩壊しちまうんだよ!!!」

「ああっ……! ああああああっ……!!」

 七海悠太が、両手で自分の頭を強く抱え込み、パイプ椅子の上でガタガタと震え出した。

「俺たちが……コスパがいいとか、タイパがいいとか言って、喜んでグミを食べてる裏で……!! 農家のおじいちゃんたちや、スーパーの流通が、どんどん首を絞められて死んでいってるって言うのかよ……!!」

 誰も気づかない、甘くて美味しい一撃。

 それは食糧危機を救うための魔法ではなく、国家の根幹産業を意図的に干上がらせるための、致死性の猛毒だったのだ。

「製菓メーカーの流通網を使って、製薬会社の兵器を全国のコンビニにばら撒く!! これが、巨大企業どもが仕掛けた、血を一切流さない【究極の国家転覆計画クーデター】の始まりなんだよ!!!」

「【な、何だって言うんだァァァーーーッ!?】」

 七海悠太の魂を引き裂くような絶叫が、窓のない第4会議室の壁に叩きつけられた。

 机の上に転がる、ポップで色鮮やかな万能グミのパッケージ。

 無機質な空調のモーター音が、まるで日本という国家のインフラが音を立てて崩れ落ちていくカウントダウンのように、低く、重苦しく、彼らの頭上で鳴り響いていた。

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