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神様に投げつけられた地味なバグスキルを限界まで検証した俺だけ、荒廃した東京で今日も飯がうまい  作者:


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50/55

第50話

巨大ホルスタインの腹の底から響くような低い鳴き声が、石組みの通路をびりびりと震わせた。

 5メートルという規格外の巨体が、ゆっくりと前足を掻く。


 俺が次の手を組み立てた瞬間だった。

 ホルスタインの頭部、その2本の角の間に、青白い火花が弾けた。


 ——魔法か。


 理解したときには遅かった。

 角の間に圧縮された光が、次の瞬間に網の目のような雷撃となって通路全体に放たれた。


 避ける隙間なんてどこにもない。視界が青白く染まる。


 ——読み違えた。終わった。


 目を閉じ、全身を焼かれる激痛を覚悟した。

 心臓が嫌な音を立てて跳ね、オゾンの焦げる匂いが肺を満たす。


 だが、1秒、2秒と待っても、肌を焼く感覚は訪れない。


 代わりに、バチバチという激しい放電音がすぐ目の前で弾け、生ぬるい熱風だけが頬を撫でていった。


 恐る恐る目を開けると、目の前に薄い光の膜が展開されていた。

 青白い雷撃がその膜にぶつかり、四方八方へ散らばって石の壁を黒く焦がしている。


 俺は無傷だった。

 隣に立つ日向さんが、右手を前に突き出していた。


 雷の光が収まると、日向さんがこちらを振り向いた。

 少し怒っているような、でも今にも泣きそうな顔をしていた。声が震えていた。


「言いましたよね、本当に限界になる前に言ってくださいって」


 そういう顔をさせてしまった、という自覚が、言い訳を全部飲み込んだ。


「……すみません」


 俺は素直に謝った。


 俺の限界の計算より、隣にいるこの人の直感の方が正確で、何より切実だった。


 ——反省ノートのページが、また1つ増えてしまった。


 雷撃が完全に止み、光の膜越しにホルスタインが鼻息を荒くしているのが見えた。

 あの大技を連発できるのかは分からないが、次を撃たせる理由はない。


 魔法は脅威だが、巨体ゆえに予備動作が大きく、動き自体は決して速くない。


「日向さん、少しの間だけそこで耐えてください」


「はい。気をつけてくださいね」


 日向さんが力強く頷くのを確認し、俺はイージスの範囲から飛び出した。


 足に力を込め、湿った石畳を強く蹴って一気に距離を詰める。

 異常に向上した今の身体能力なら、あの動きの遅い巨体の死角を取るのは難しくない。


 ホルスタインが俺に気づき、丸太のような前足を持ち上げて踏み潰そうとしてくる。

 その軌道を頭の中で描き、空中の少し高い位置に板状のキューブを1つ固定した。


 そこへ飛び乗り、さらに強く踏み込んで跳躍する。

 一気に視界が上がり、ホルスタインの巨大な頭部を斜め上から見下ろす位置についた。


 空中にいる数秒の間に、ウェストポーチへ手を突っ込んでパチンコ玉を数個まとめて掴み取る。


 ——止まっている相手にはキューブは無力だが、こっちには手札がある。


 空中で体を捻りながら、右腕を全力で振った。

 鉄の球が空気を裂く音を立てて、ホルスタインの眉間と眼球に向けて連続で飛んでいく。


 1つ。

 2つ。

 3つ。


 命中した場所から、スイカを割ったような鈍い破砕音が響いた。

 ホルスタインが苦痛に顔を振り乱し、完全に体勢が崩れる。


 着地と同時に、ぐらついた巨体の喉元が落ちてくる軌道上の空中に、1ミリの極小キューブを固定した。


 ——そのまま自重で沈め。


 パチンコ玉の衝撃で前のめりに倒れ込んできた5メートルの巨体が、見えない点に全力で喉元を打ち付けた。


 凄まじい衝撃音が通路に響き渡り、ホルスタインの巨体がびくっと跳ねて、そのまま動かなくなった。

 巨体が光の粒子になって崩れ落ち、大量の光が地下通路を満たして、やがてふっと消えた。


 あとに残ったのは、ソフトボール大の巨大な魔石と、大きな葉っぱに包まれた特大のバターの塊。


 そして——。


 銀色に鈍く光る、ステンレス製の巨大な円柱だった。

 どう見ても500リットルは入る業務用のミルクタンクが、2基並んで鎮座している。

 蛇口のコックまでご丁寧に付いていた。


「……なんでタンクなんだ。牧場の出荷用か。誰が詰めたんだ」


 巨大な牛が消えた後にステンレスのタンクが落ちるという、バグとしか思えない仕様に眩暈がした。


 だが、隣の日向さんは違った。

 タンクの冷たい表面に触れ、満面の笑みでこちらを振り返る。


「榊さん、これ、ケーキがいっぱい作れますね!」


 彼女はためらうことなく、亜空間収納の入り口を開いた。


 合計1トンのミルクタンクが、4次元の彼方へ音もなく吸い込まれていく。

 超高性能な業務用冷蔵庫の運搬能力は、今日も絶好調だった。



   ◇



 中学校の調理場に、ダンジョンの戦利品を並べた。


 186個の高級卵。

 サシの入り方が尋常じゃない特上牛肉が10頭分。

 特大のバターと、500リットルのミルクタンク。

 そして、ショッピングモールから没収してきた大量の砂糖と醤油だ。


 西村さんがそれを1つひとつ無言で確認していく。


 タンクのコックをひねって白い液体を小皿に受け、指で掬って舐めた瞬間、彼の動きがピタリと止まった。


「……本物だ。崩壊前に使っていた、あの極上の特濃ミルクだ」


 西村さんはそれだけ言うと、無言で作業着の袖をまくり上げた。

 さっきまでの避難所の調理当番の顔ではない。

 厨房を支配する、プロの料理人の顔になっていた。



   ◇



 夕方、食堂に歓声が上がった。


 泣き腫らした顔をしていたあの女の子の前に、白いクリームがたっぷりと塗られたスポンジケーキが置かれていた。

 フルーツこそないが、バターとミルクの濃厚な香りが食堂いっぱいに広がっている。


 女の子が1口食べて、今度は声を出さずに泣きながら笑った。

 周囲の大人たちも、目元を拭いながらそれを見守っている。


 俺は少し離れた席からそれを見ていた。

 ダンジョンへ潜った動機は「検証」だったが、あの顔を見たら、そんなことはどうでもよくなった。まあ悪くない、なんて言葉では全然足りない気がしたが、他にうまい言い方も思いつかなかった。


「こっちは大人用のメニューだ」


 西村さんが、俺たちのテーブルにカセットコンロと浅い鉄鍋を置いていった。


 鉄鍋が熱され、牛脂が溶けていく。

 そこへ、あの特上のサシが入った牛肉を広げるように乗せた。


 ジュワァァァッ、という強烈な音が響く。


 すかさず、西村さんがモールから調達した醤油、砂糖、酒で作った特製の割り下を回し入れた。

 甘辛いタレが鉄鍋の縁で焦げる暴力的な匂いが立ち上り、煮込まずサッと火を通すだけの関西風だ。


「食え」


 短い合図で、箸を伸ばす。


 崩壊後の世界で手に入れた極上の卵を溶き、熱々の肉をくぐらせる。

 そのまま炊きたての白米に乗せ、タレと卵が染み込んだところを一気にかき込んだ。


 ——なんだこれ。


 肉が、舌の上で溶けた。

 濃厚な卵のコクと、甘辛い割り下の味が爆発的に広がり、極上の脂の甘みがそれを追いかけてくる。

 すべての旨味が完璧に調和していた。


「うまっ……」


 隣で倉田さんが呻き、大森の爺さんすら目を見開いたまま箸を止めている。

 避難所の大人たちが、一様に語彙力を失って天を仰いでいた。


 日向さんも、幸せそうな顔で黙々と肉と米を往復させている。


 俺も無言で2口目をかき込んだ。

 世界が終わっても、すき焼きの破壊力は変わらないらしい。



   ◇



 食後、冷たい夜風に当たりに校庭へ出た。


 腹の底から満たされるこの感覚は、崩壊後の世界において最高のQoLだと思う。

 だが、俺の視線は自然と正門の先の暗闇へ向いていた。


 夕方に戻ってきた時、正門の少し手前のアスファルトに、見慣れない轍があった。

 ブロックタイヤの跡——オフロードバイクだ。

 昨日追い返した略奪者たちの車とは違う。


 そして今、遠く離れた廃ビルの屋上に、1つの影が見える気がした。

 距離があって顔は見えない。だが、ただ立ち尽くしているだけの略奪者とは立ち方が明らかに違う。

 洗練されていて無駄がなく、こちらをただ静かに観察しているような気配だった。


 ぽこん。

 すっ。


 手の中で、無意識に極小のキューブが現れては消える。


 ——ショッピングモールのボスは「上に指示を出す人間はいない」と言っていた。


 あの発言が嘘だったのか、あるいはあいつすら末端の捨て駒に過ぎなかったのか。

 どちらにせよ、ここに長居する理由はない。


 日向さんの収納から自分の取り分である肉と牛乳と卵をきっちり回収して、今夜のうちにタワマンへ帰る。


 俺は静かにノートを取り出し、新しいページを開いた。

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