第44話
裏口のドアまで、日向さんと壁沿いに並んで近づいた。
角で止まって、小声で言った。
「ここで待っていてください。イージスはこのまま展開しておいてもらえると助かります」
「射程から外れそうになったら前に出ればいいですか?」
「はい。ただ、絶対に建物の中には入らないでください。外で展開を維持するだけで十分です」
日向さんが頷いた。壁に背をつけて、じっと俺を見ていた。
何か言いたそうな顔だったが、口は閉じていた。
「すぐ終わります」
そう言ってから、角を曲がった。
警備の男は椅子に座ったまま、首を前に垂らしていた。
肩が規則正しく上下している。
腰にパイプを差しているだけで、他に武器は見当たらない。
タオルを出して、結束バンドとガムテープを右手に持ち、息を一つ整えてから踏み込んだ。
後ろに回り込んでタオルを口に押し当てると、男が目を開けた瞬間にはもう声が出せない状態になっていた。
暴れようとした腕をねじって背中に回し、地面に押し付けながら結束バンドで手首を縛った。
ガムテープを口の上から重ねて、足首も縛る。
転がした。
男が目だけで俺を見ていた。
何が起きたか理解しようとして、まだできていない目だった。
「静かにしていれば、怪我はしません」
低く言って、小さなドアに手をかけた。
中に入った瞬間、埃と食料の混ざった匂いがした。
薄暗い搬入口に段ボールが積み上がっていて、奥に通路が続いている。
足音を殺して進むと、通路の先に光が見えた。吹き抜けのある広いフロアだ。
一歩手前で立ち止まって、角から覗き込んだ。
——全員いた。
吹き抜けの二階回廊に、人間が鈴なりになっていた。
武器を手に持って、一階を見下ろしている。
待ち伏せだ。
前回逃がした男が情報を伝えていたのだろう。
詰めが甘かった、という言葉が頭をよぎって、すぐ消えた。反省は後でいい。
一階のフロアには十人前後が散らばっていた。
囮として配置された人間だろう。
二階に三十人前後、合わせて四十人は超えている。
——まあ、イージスがあれば関係ない。
フロアに踏み込んだ。
一階の囮たちが俺を見た。
想定外の方向から来た人間を見る目だった。
一人が声を上げると、二階から怒号が降ってきて、どどどっと足音が響いて、階段を駆け下りてくる音がした。
最初の一人がバットを振り下ろしてきた。
当たった。
バットがイージスに弾かれて、男の手から弾き飛んだ。
男が自分の手を見て、指が痺れて閉じられないまま固まっていた。
二人目。 三人目が続いた。
拳。 蹴り。 パイプ。
全部同じように弾かれた。
四人目が止まった。
攻撃が通らない人間を前にして、足が止まった。
後ろから仲間に押されて、また動いた。
足元に薄く板を一枚出した。
踏み込んできた三人がまとめて転倒して、起き上がろうとした一人の胸の上にキューブを固定する。
もう一枚を通路の高さに出すと、走り込んできた二人が顔から突っ込んで止まった。
——楽すぎる。イージスがなかったら死んでいたと思うと、少し複雑だった。
そう思った瞬間、頭上から何かが飛んできた。
二階から投石が始まった。
レンガ。 瓶。 金属の破片。
手当たり次第に投げてくる。
全部イージスが弾いた。
弾かれた破片が床に散らばって、周囲の味方に当たっている。
自分たちで自分たちを傷つけている構図だった。
ウェストポーチからパチンコ玉を取り出した。
二階の手すりに腕を乗せて投石している男の肩を狙って投げると、鈍い音がして男が腕を押さえてしゃがみ込んだ。
もう一個。
また一個。
二階の投石組が次々と腕や肩を押さえて動きを止めていき、残りが後ろへ下がった。
一階の残りが顔を見合わせていた。
俺はパチンコ玉をウェストポーチに戻して、奥へ向かった。
◇
フロアの中央で立ち止まった。
奥のフードコートの方向に、一人だけ動かない人間がいた。
体格がいい。
腕を組んで、こちらをじっと見ていて、周囲に控えていた人間たちが俺が近づくにつれて後ろへ下がっていく中でも、そいつだけが動かなかった。
攻撃が通らない人間が来る、という情報は既に回っているらしかった。
——ボスだ。
俺は奥へ進むのをやめた。
今の位置なら日向さんの展開が届いている。これ以上奥へ入る理由がない。
大きな声で言った。
「あなたがボスですか」
声が吹き抜けに響いた。ボスが少し動いた。
「そうだ」
「話があります。こちらに来てもらえますか」
笑い声が上がって、二階の残りの連中がざわついた。
ボスが腕を組んだまま、少し首を傾けた。
「俺が行く必要があるか」
「攻撃が通らない人間が来るより、自分から来た方が話が早いと思いますが」
静寂があった。
ボスが少し黙ってから歩き出した。
周囲の人間が道を開けて、ゆっくりと余裕を見せながら歩いてくる。
十メートル。 五メートル。
目の前で止まった。
一回り大きく見えた。腕を組んで俺を見下ろした。
「一人で来たのか」
「はい」
ボスが少し笑った。
余裕のある笑い方ではなかった。何かを測っている笑い方だった。
「面白い奴だ。うちに来ないか。悪い待遇はしない」
「遠慮します。割に合わないので」
ボスが笑いを消してじりじりと間合いを詰めようとした、その瞬間、後ろから声がした。
「馬鹿め、油断したな」
昨日の男だった。
いつの間にか裏口から回り込んで入ってきていて、日向さんの首に腕を回して、ナイフを喉元に押し当てていた。
刃が日向さんの首筋に触れていた。
勝ち誇った顔をしていた。
「この女が大事なら、おとなしく降参しろ」
——馬鹿だな、と思った。日向さんを人質に取ったつもりらしい。
一拍置いて、わざとらしく言った。
「ひ、卑怯だぞ。日向さんを離せ」
ボスの表情が変わった。
勝ったと思っている顔だった。
腕を組んで、口の端を上げた。
「どうする。この女が大事なら、おとなしく膝をつけ」
周囲から人間たちがじりじりと輪を縮めてきて、数人が武器を構えた。
昨日あれだけ倒したのに、まだこれだけいるのかと少し感心した。
昨日の男がナイフをさらに近づけて、勝ち誇った顔で俺を見ながら続けた。
「早くしろ。この女、よく見たらいい体してるじゃないか。降参しないなら——」
その瞬間、日向さんが頭上の空間に手を向けた。
亜空間収納の入り口が、昨日の男の頭上でぼんやりと光った。
鉄アレイが落ちてきた。
ごん、という乾いた重い音がフロア全体に響いて、昨日の男が言葉の途中で止まった。
ナイフを持ったまま目が宙を向いて、そのまま地面に倒れた。
動かなくなった。
日向さんが倒れた男を見下ろして、はっきりとした声で言った。
「レディに失礼ですよ」
ボスが倒れた男を見て、それから日向さんを見た。
日向さんは特に表情を変えていなかった。
周囲の人間たちが静まり返って、武器を構えたまま誰も動かなかった。
「この世で一番物騒な人を人質にしちゃあだめですよ」
静かに言った。
周囲の人間たちが静まり返って、ボスが唇を噛んだ。
腕を組んでいた手がゆっくりと下りた。
一人ずつ武器を下ろし始めて、誰かが舌打ちをして、誰かが地面を蹴った。
長い沈黙があった。
ボスが長い息を吐いた。
「……降参だ」
俺は結束バンドをウェストポーチから出した。
今後、日向さんを怒らせるのはやめておこうと心に誓いながら。
「ありがとうございます。では順番に手首をお願いします」




