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神様に投げつけられた地味なバグスキルを限界まで検証した俺だけ、荒廃した東京で今日も飯がうまい  作者:


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第31話

 朝、目が覚めてすぐノートを開いた。


 昨夜書いた一行が目に入る。


 『明日、全部測り直しだ』


 誰かに宣言したわけでも、義務があるわけでもない。ただ自分で書いたことが五時間後の自分を起こした。貧乏性にもほどがある。


 台所の蛇口をひねると、数秒遅れて水が出た。口に含んで、今日も生きていることを確認する。生きていた。それだけで今日が及第点になる。


 荷物の中から定規を取り出した。



 ◇



 やることは単純だ。キューブを出して定規を当て、数字を読んでノートに書く。それだけを繰り返す。やっていることだけ抜き出せば、薄暗い台所で黒い立方体に定規を押し当て続けている大学生だが、誰かに見られる心配はないので問題ない。


 まず出現距離から確認した。台所から廊下へ出て、歩幅で距離を測りながらキューブを出し続ける。限界は二メートル以内、以前と変わらなかった。期待していたわけでもないが、変わっていないと確認するためだけに廊下を往復している自分が少しだけ滑稽だと思った。ノートに書いて次へ移る。


 同時維持数は、一個ずつ増やしながら四個目を出そうとすると一個目が消えた。上限は三個のままで、こちらも変化なしだ。


 板状の最薄も試す。定規を当てようとして、さっきと同じ問題にぶつかった。当てられない。窓の光で確認すると、さっきの点と同じだ。一ミリだ。最小サイズと連動しているのか、それとも別の話なのか、今の俺には判断できない。ノートに書いて次へ移る。


 ここまでは想定の範囲だった。問題はサイズだ。


 最大から試す。意識を集中させて、できるだけ大きく出す。定規を当てる。


 三十センチ。


 ペンが止まった。


 以前の上限は二十五センチのはずだった。ノートを一ページ戻して確認する。二十五センチ、と書いてある。見間違いではない。もう一度出す。もう一度当てる。


 三十センチ。


 変わっていた。


「……成長してる」


 声に出てから、当たり前だと気づく。中学校にいたあいだも毎日出し続けていた。使用回数が積み上がれば何かが変わる。頭では分かっていたことだ。それでも実際に数字が変わっているのを目の前にすると、手が一瞬止まる。検証者として失格な反応だと思いながら、止まった。


 気を取り直して、最小サイズへ移る。


 できるだけ小さく。もっと小さく。意識を細く絞るようにして、限界まで縮める。


 定規を当てようとして、気づいた。


 当てられない。


 見えているはずなのに、目盛りと照らし合わせようとすると基準点が掴めない。小さすぎて、そもそも定規という道具が前提を満たしていない。


 ……おかしいな。


 以前の最小値は五センチだった。窓から差し込む朝の光の角度を変えながら、台所の床でキューブの位置を探した。


 あった。


 ほぼ、点だった。


「…………」


 しばらく、その点を見つめた。笑いたいのか呆れたいのか判断がつかないまま、床の一点を凝視していた。ミリ単位だ。一ミリだ。定規が通用しないわけだ。


 意識を解除すると点が消えた。もう一度出す。また点が現れる。出して、消す。出して、消す。


「……これ」


 声が出た。


「……目に見えない、じゃないか」


 当たり前のことを言っている自覚はある。それでも実際に確認すると話が別だ。頭の中で何かが静かに動き始めるのを感じながら、とりあえずノートに数字を書き込んだ。書いた文字が少し乱れていた。


 落ち着け、と自分に言い聞かせてから、ノートを閉じた。


 身体能力の確認がまだ残っている。



 ◇



 近くに公園があることは昨日の拠点探しで把握していた。雑草が膝丈まで伸びて、ブランコの鎖が錆で変色しているが、直線距離が取れる場所としては十分だ。


 魔物の気配がないことを確認してから中へ入る。


 まず垂直跳びから試す。目印にキューブを固定しようとして、ふと公園のブランコに目が止まった。支柱の横棒まで、立った状態で手が届くかどうか試してみる。


 跳んだ。


 届いた。それだけじゃなく、そのまま横棒に手をかけて体を引き上げられた。勢いが余って上に乗れた。


 ブランコの支柱の上に、俺が立っていた。


 ……おかしいな。


 降りてから、今度は滑り台へ向かった。階段を使わず、プラットフォームまで跳べるかどうか試す。高さはおよそ二メートルといったところだ。


 跳んだ。


 乗れた。階段を一段も使っていない。着地の衝撃もほとんどなかった。


 しばらく滑り台の上から公園を見下ろしていた。錆びたブランコが風で揺れている。誰もいない。当たり前だ。


「……俺、人間やめてるな」


 声に出てから、笑えるかと思ったが笑えなかった。数字として残せない変化というのが、検証者として一番気持ち悪い。正確に測れないなら測れないと書くしかない。


 滑り台を滑って降りた。階段で降りるより早かった。それだけは確かだ。


 ノートに一行書いた。


 『身体能力:有意な向上あり。計測手段の確保が必要』



 ◇



 拠点に戻ってから、台所の隅に座ってノートを開いた。


 書き出した項目を上から順に眺める。出現距離は変わらなかった。維持数も同じだ。変わったのは最大サイズと最小サイズと板状の最薄、あと滑り台を一跳びで登った俺の身体だけだ。


 ……整理すると、ずいぶん歪な成長をしているな。


 そこまで書いてから、ペンが止まった。


 頭の中でずっと保留にしていた問いが、浮かび上がってくる。



 ◇



 一ミリのキューブで、何ができるか。


 視界の届く範囲に置ける。相手が動いてくれれば、その軌道上に固定できる。破壊不能で、座標に固定されたまま動かない。相手の速度が高いほど、当たったときの威力が上がる。ここまでは以前と同じだ。変わったのはサイズだけだ。


 では一ミリになったことで、何が変わるか。


 当たり前だが、見えない。相手には見えない。避けようがない。気づいたときにはもう遅い。それだけじゃない。以前は通り抜けられなかったものを、通り抜けられる可能性がある。


 そこまで考えたとき、頭の中にあの夜の光景が浮かんだ。


 リビングの床を埋め尽くすように広がっていた、あの巨大なスライムだ。核の直径が一メートルを超えていた。周囲に小型のスライムが複数いて、リュックも物資も全部向こう側にあった。キューブは三個あったが、止まっている相手には何もできなかった。詰んだと思った。実際に詰んだ。


 あのとき、なぜ詰んだか。


 通常サイズのキューブでは、スライムの本体を押すことしかできなかった。核まで届かなかった。だから何もできなかった。


 では一ミリなら、どうなるか。


 スライムの進行方向の床に、一ミリのキューブを固定する。スライムはそのまま前進してくる。キューブが視界に入っていても、あいつらにはたぶん見えない。見えていたとしても認識できない。そのまま乗り越えてくる。体内にキューブが入り込んでいることにも気づかない。じわじわと前進しながら、自分から核をキューブへ近づけていく。


 向こうが勝手に刺さりに来る。


「…………」


 ノートに書きかけた字が止まった。


 窓の外で風が鳴った。雑草が揺れる音がする。台所の静けさの中で、自分の呼吸だけが聞こえた。


 本当にそうなるか、確証はない。スライムの本体密度がどの程度か、一ミリのキューブが実際に通過できるかどうか、核に達したとして致命的なダメージを与えられるかどうか。全部、実地で確認しないと分からない。


 だが筋は通っている。


 ノートに書き込む。


 『超大型スライム攻略仮説:進行方向に極小キューブを固定→個体が気づかず乗り越える→体内に取り込んだまま核へ到達→自滅。要実地検証』


 書き終えてから、一行付け加えた。


 『前提条件:スライムが動いていること』


 そこまで書いてペンを置く。


 ぽこん。

 すっ。


 手が動いていた。出して、消す。出して、消す。台所の薄暗い床の上で、点ほどの黒がちかちかと明滅する。目を凝らさないと見えない。指先ほどもない、ただの点だ。


 それが、あの一メートル超の核を仕留める。たぶん。


「……地味だな、相変わらず」


 独り言が出た。でも悪くない、とは思わなかった。悪くない、なんて言葉では全然足りない気がしたので、黙ってノートを閉じた。


 タワマンに戻る条件が、一つ揃った。


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