27話
朝、桐島に声をかけた。
「ノートと文具をもらえますか」
「ああ、もちろん。ちょっと待ってくれ」
桐島は職員室に入って、すぐに戻ってきた。
大学ノート一冊とボールペンが二本。
受け取ると、手に馴染む重さがあった。
「ありがとうございます」
「いや、それくらい。気にしないでくれ」
桐島は気にしないでくれと言ったが、俺の頭の中ではまた負債が一個増えた。
◇
ぽこん。
すっ。
使っていない教室の隅に座って、ノートを開いた。
最初のページに日付を書いてから、現状を書き出す。
拠点なし。自転車なし。物資なし。スキル使用回数は継続中。
中学校:避難者約八十名、自衛隊駐屯、能力者複数、食料不足。
回復スキル持ち、土壌生成、構造把握、身体強化、素材強化、味覚強化、生態記録。
書いているうちに頭が整理されていく。
ノートがないとこれができない。
この一週間、よく生きていたと思う。
次のページに移って、方針を書いた。
『負債を返してから動く』
具体的な返し方はまだ決まっていないが、とりあえず書いておく。
散らかっていた思考が少しだけ線になった。
◇
昼食の時間になって、食堂へ行った。
トレーを受け取って席につく。
芋の煮物と、青菜の和え物と、薄い汁物。
食材の種類だけ見れば、避難所の食事として標準的な構成だ。
一口食べて、手が止まった。
芋の煮崩れ方が均一で、味が染みている。
青菜の和え物は水気がちゃんと切ってあって、塩の当たりが均等だ。
薄い汁物は出汁が出ている。
何を使ったのかは分からないが、ただ湯に塩を溶かしたものではない。
限られた食材でここまでやるのは、技術がないとできない。
避難所の飯じゃない、と思った。
大森が今日も向かいの席で「また同じ芋か」と言っていたが、特に気にしないことにした。
◇
食後、松永のところへ向かった。
廊下の窓際の定位置に、今日も椅子を引き寄せて座っている。
近づくと、顔を上げる前にペンが止まった。
「来たか」
「ワイバーン級の記録です」
ノートのページを破って渡すと、松永は黙って目を通した。
読み終えてから、代わりに折り畳んだ紙を差し出した。
「周辺の魔物分布だ。ここ二週間で確認されたもの」
「ありがとうございます」
受け取って広げると、中学校周辺の簡易マップに魔物の目撃情報が書き込まれていた。
密度と位置を確認しながら、頭の中で経路を組み立て始める。
「ワイバーン級は外壁の真上を通ることがある」
松永が付け加えた。
「ここから見ていると、夕方に北から南へ抜けていく。一定の経路を持っているようだ」
「毎日同じ経路ですか?」
「いや、三日に一度くらいの周期だな。規則性があるかどうかはまだ分からんが」
俺はその情報をノートに書き写した。
松永はそれを見ながら、何も言わなかった。
余計なことを言わない人間だ。
◇
調理の片付けが終わる時間を見計らって、調理場の前に行った。
西村が大鍋を洗っていた。
こちらに気づいて、手を止めずに言った。
「何の用だ?」
窓の外を見ると、校庭の上空を鳥型が旋回していた。
翼開長は一メートルくらい。
浅層種に近い、小型の個体だ。
「あれ、おいしいですよ」
西村の手が止まった。
「……は?」
「鳥型は胸肉が厚くて、ちゃんと処理すれば普通に食べられます」
「魔物の肉を食べたのか?」
「何度も食べてました」
「腹は壊さなかったか?」
「俺は一週間、それで凌いでましたから。あと、腐敗もしないですよ」
「……腐敗しない?」
「常温で数日経っても変色しませんでした。自分で確認済みです」
西村が黙った。
鍋を洗う手は止まったままで、何かを思考しているようだった。
「冷蔵庫がなくても保存できる、ということか?」
独り言のように言った。
「そういうことになります」
「……どんな味だ?」
「種類によりますが、イノシシに近いものはかなりうまかったですね」
西村の目が変わった。
さっきまでとは別の顔だ。
「お前、肉を取ってこれるか?」
「ええ、いけますよ」
西村の手がまた止まった。
「……本当に食えるのか? 魔物の肉」
「何度も食べてました」
「何度も」
西村が少し遠い目をした。
何かを想像しているのか、それとも呆れているのか、判断がつかなかった。
「鳥型だけじゃなくて、他の種類も持ってこれるか?」
「獲物は選べないんで確約はできませんが、いくつか見繕ってみます」
「……頼む」
西村は短くそれだけ言って、また鍋に向き直った。
さっきより背中の力が入っている気がした。
◇
調理場の入口に気配があった。
振り返ると、倉橋が廊下に立っていた。
目が合った瞬間、さっと視線を逸らして歩いていく。
何か言いかけた口が、そのまま閉じていた。
◇
部屋に戻ってノートを開いた。
方針の欄に一行書き足す。
『負債の返済:魔物の肉を調達する』
ぽこん。
すっ。
装備を確認する。
ナイフは腰にある。
バットはタワマンに置いてきた。
小型の鳥型なら問題ないが、複数来たときの対処だけ考えておく。
◇
廊下に出ると、香織がいた。
「どこ行くんですか?」
「ちょっと狩りに」
「一緒に行きます」
「いや、足手まといになるので」
「荷物持ちが必要でしょ」
一人で運べる量には限界がある。
ただ、非戦闘員を連れていけば動きが制限されるし、判断が一瞬遅れるだけで死ぬ。
荷物運搬のメリットと、かばいながら戦うコスト。
天秤にかけると、今のところコストの方が重い。
「俺一人で足ります」
「私もスキルがあります」
香織が言った。
断言だった。
迷いがないように見えた。
「……何のスキルですか?」
「役に立ちます」
答えになっていない。
ただ「役に立つ」と言い切った。
その顔が、嘘をついている顔ではなかった。
「荷物、たくさん持てます」
西村は種類を比べたいと言っていた。
一人で運べる量では足りないかもしれない。
天秤が、少し傾いた。
「……分かりました」
黙って歩き出すと、香織がついてきた。
◇
桐島が校門のそばにいて、こちらに気づいた。
「外に出るのか?」
「夕方には戻ります」
「香織ちゃんも一緒か。気をつけてな」
止めなかった。
校門を出た。
久しぶりの外の空気だった。
植物に覆われたビルの壁面、どこかから聞こえる羽音。
身体が勝手に切り替わる。
ぽこん。
すっ。
振り返らずに言った。
「危ないので後ろにいてください」
「分かりました」
香織の返事は、やけにあっさりしていた。




